断腸亭料理日記2007

吾妻橋藪そば・その2

今日は、昨日の続き。
日曜日、元浅草の拙亭から、吾妻橋藪そばまで。
例によって、ぶつぶつと、落語の稽古をしながら歩く。

天気はよい。
天気予報では寒くなる、といっていたが
さほどでもない。
セーターを着て、内儀(かみ)さんにステンカラーの
コートを出させて着てきたが、前のボタンをとめるほどでは、ない。

吾妻橋東詰め。
墨堤通りを北に向かい右手前の角に、佃煮の海老屋総本舗

はぜやら、葉唐辛子やら、松屋などにも入っているので、
ここで買うことは少ないが、甘さが少なくしょうゆの強い味は、
筆者の最も好むところである。

北側には、皆さんご存知の金色のオブジェを上に載せた、
ビルのある、リバーピア吾妻橋。
アサヒビールの本社ビル、墨田区役所、公団住宅のビル、
などなどが建っている。

区役所前には、墨田区の生んだ偉人、海舟、勝安芳の銅像

アサヒのビルの上には、隅田川や浅草の街を見下ろす、
イタ飯のラナリータ。(眺めも込みで、筆者は好きな店である。)

手前の小さなビル(アネックス)には、ここで醸造している
隅田川ビールが呑める居酒屋。などなど。

この墨堤の道は地下へ一度下がり(その上に勝海舟の銅像がある。)、
右にカーブし、北十間川にかかる枕橋の袂へ出る。

交差点を渡り、リバーピア側を歩く。
アサヒの23番地カフェという、オープンカフェ。
ボージョレーヌーフェア、などと書かれ、犬を連れた人などが
外のテーブルで憩っているのが見える。
天気のいい今日などは、多少寒いが、こうして外で呑むのも
よさそうだ。

その隣のビル。
今日の目的地その1、床屋。
QBハウス、で、ある。

洗髪やら、肩もみやら、余計なサービスはすべて省いて、
髪の毛を切ることだけに絞り、1000円でいいじゃないか、で、ある。
その代わり、月一ではなく、もっと頻繁にいけるし、それでも安い。
前から筆者はそう考え、安い床屋専門であった。
少し前までは、田原町交差点のビルにある、

千数百円のところだったが、最近はもっぱらQBである。

拙亭近所では、上野御徒町界隈にも3店舗かあり、
そちらへ行くことも多い。
しかし、盛り場でもなく、駅前でもなく、
土日以外は人通りもさほど多くはない
こんなところにあるのは、ちと、妙な感じではある。

千円札がなく、隣のコンビニで両替。
(QBは両替までしない、という徹底ぶりには、感心する。)

間がよく、待っている人がなく、すぐに終わる。

店を出て、左。
隣には、最近食べていないが、芋金つばの、満願堂
(ものとしては、金つばの芋羊羹版というところであろう。)

店の説明には、土手の金つばとして、昔は吉原の花魁に親しまれた
ということであるが、今はあの界隈には店はないようである。
(この“土手”とは、いうまでもなく、吉原大門前を流れていた
山谷堀の土手のこと。どこやらに、土手とは、吉原を囲った堀
(通称、おはぐろどぶ、といった)と書いている人がいたが、
それではない。大門前の交差点に今でもある、天丼で有名な伊勢屋も、
土手の伊勢屋、で、ある。)
満願堂の本店は、ここかと思っていたが、オレンジ通りのようである。

さて、ここで、江戸の地図。


吾妻橋を渡ったこちら側は、皆さんご存知のように墨田区。
以前は、本所区。江戸の頃も、広く本所と呼ばれていた。
ちなみに、本所の古い発音は、ホンジョ、ではなく、
ホンジョウ、と、いったようである。

本所に蚊がなくなって大晦日

という川柳がある。
(本所は堀川や池、沼が多く、それだけ蚊が多かったということである。)
これを志ん生師は、ホンジョウと発音していた。
また、テレビの鬼平、今の吉右衛門版の前の、初代鬼平は、
松本白鸚(吉右衛門のお父さん)であったが、彼も
本所を、ホンジョウと発音していた。

本所も北部のこのあたりは、北本所、または中ノ郷という
呼び方もした。この地図にあるように、町名にもなってもいる。

このリバーピアのすぐ北の北十間川を渡った向こう側は小梅村。
今は桜のきれいな、公園(隅田公園。土手ではなく庭のある公園)になっている
ところは、もとは水戸家の下屋敷で、小梅の水戸様などと呼ばれていた。
昨日書いた、落語、文七元結(ぶんしちもっとい)では、
文七はこの、小梅の水戸様、の掛けを取りにいって、そのお金を
誘われた将棋をしている間に、そこに忘れてきてしまったのである。

また、金を渡す側の左官の長兵衛の住む長屋は、本所達磨横丁。
(ついでだが、唐茄子屋政談で、若旦那に唐茄子屋をやらせる
苦労人の叔父さんもこの達磨横丁の住人。)
達磨横丁はこの地図では右下に堀が見えるが
(これは北割下水)その左側の町屋あたりのようである。
(今の町名では東駒形一丁目〜本所一丁目あたり。)

本所のこのあたりと、吾妻橋、浅草、そして浅草から馬道を
ずっといって、山谷堀から吉原。
これらに限らず、様々な落語の舞台になっている。

文七元結の場合、浅草の大川に掛かる吾妻橋と浅草、
場末とはいわないまでも、ちょっとはずれた、本所の裏長屋、
さらに江戸随一の遊所、吉原という、舞台装置として、
また、この四ヶ所の実際の距離感が絶好であったような気がする。

またまた、余談が長くなってしまった。

吾妻橋藪そば、にたどり着かねば。
満願堂の少し先、浅草通り(清澄通り)に出る直前、
左側にある小さな店。

2004年

2時過ぎで、あいたテーブルもあり、座れる。

お酒、お燗でもらう。
(ここも、スポーツ新聞を置いてくれる。)


やはり、酒は菊正宗。
いろいろ文句をいう人はあるようだが、いいじゃないか、
菊正宗で。
居酒屋ではないし、呑みにきているのでもなし、
筆者には十分である。
東京のそば屋、料理屋は、昔から菊正宗は少なくなかろう。
今でも老舗で、菊正を使っているところは多い。
(もっといえば、濃い口つゆのそばには、吟醸酒など
逆に合わないのではなかろうか。生元造りで辛口の菊正宗は
燗酒としては上出来で、しょうゆの濃い江戸東京の食い物には
相性がよいのである。)

そば味噌で呑む。

一合でやめ、そばは、胡麻汁そば。
ここへくると、珍しいので、これを頼んでしまう。


白い胡麻のつゆは、
見た目以上にさっぱりとしており、うまい。
(あやふやな記憶だが、きゅうりの絞り汁が入っていると
聞いたことがあるような。そんな香りがするような、しないような。)

そばを食い終わり、つゆもそば湯で割って飲み干し、
勘定をして出る。

帰りは、ぶらぶらと吾妻橋を渡り、浅草の街へ。




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