断腸亭料理日記2008

蕎麦・築地 さらしなの里

4月19日(土)第二食

さて、毎度の土曜日。

神田まつやのつながりで、見つけた木鉢会という、
東京の老舗蕎麦やで作る、勉強会。

意外に、知らないところも少なくなかったのだが
先週は、日本橋の紅葉川という蕎麦やに、いってみた。
今週も、その木鉢会シリーズ。

私一人が、知らなかっただけかもしれぬが、
ここに入っている店がすべて、そうそう有名店、
ということでもないことは、確か、ではあろう。

逆に、東京では名ばかりの老舗、というのもまた、あるのも事実、である。
たいしたこともないのに、敷居も高く、値も高い。
(蕎麦やでは、少ないが。)

紅葉川もやはり、ちゃんと、していた。
このちゃんとする、というのは、蕎麦やの場合、特に大事であると思う。

飛び抜けていなくともよい、そばも、つゆも、愛想も、それ相応に
『東京のそばや』として、ちゃんとする。
これをもって、東京の正しい蕎麦や、ということであろう。
(これらができていないのに、講釈だけ一人前なのが、
昨日今日でき星の、趣味蕎麦、なのである。)

今週は、築地。
さらしなの里、というところ。
創業明治32年、と、いう。

ついでに(どちらがついでだか、よくわからないが)
歌舞伎でも、ちょいと、幕見で、見に行こうか、
と思い立ったのである。
築地から、歌舞伎座は目と鼻の先。

調べてみると、夕方、勧進帳。
その前が「将軍江戸を去る」という、慶喜が大政奉還後、
上野の山から水戸へ去る、ところを描いた、
ちょっとかわったもの。
おもしろそうである。

多慶屋の交差点まで歩き、日比谷線、仲御徒町駅から、乗り、
築地で降りる。

江戸の地図。


築地は、築地川に囲まれた、埋立地。

今、築地という町名が付いているところは、
随分と広い。

新富町、銀座寄り、中央区役所のあるあたりが、一丁目。
その、新大橋通り寄りが二丁目、新大橋通りを渡って、旧築地川
今は、築地川公園になっているところまで、が、三丁目。
築地本願寺も三丁目。(その向こう側、聖路加の
あるあたりが、明石町)
そして、晴海通りの向こう側が、新大橋通りをはさんで、
場外の一部と、銀座側の両側が、四丁目。
さらに向こう側、築地市場と、がんセンター、
朝日新聞の広い区域が、全部五丁目。
場外を含んで勝鬨橋の袂、晴海通りの両側が六丁目。
残った明石町寄りが、七丁目。

江戸の頃、本願寺がある以外は、ほとんどが武家屋敷。
明石町を含めて、このあたりが、脚光を浴びるのは、
明治元年、外人の居留地になってからかもしれない。
青山学院、立教、明治学院など、ミッション系の
大学の、開学の地は皆このあたりという。
この名残が、今は、ランドマークになっているタワー、
聖路加、ということであろう。

本願寺は拙亭の近所、浅草にも浅草本願寺があるが
もう一か所、昔からこの築地にもあった。

有名な、「おそれ入谷の鬼子母神」というのがあるが、
この後に続く「どうで有馬の水天宮、
志やれの内のお祖師さま、びっくり下谷の広徳寺、
うそを築地の御門跡」

の、御門跡で、ある。

そして、築地といえば、なんといっても
代名詞にもなっている、魚河岸。
中央卸売市場。文字通り、東京の台所。
この築地の魚河岸は、大正時代の関東大震災後、
江戸から300有余年あった、日本橋から、
この地に移転してきた。

市場には素人は入れないが、周辺にある、場外市場などは
私なども、正月の買い出しにもきたものである。
その周辺の、鮨や、そして縁はないが、料亭。

海産物問屋、その他、市場関係の商売が築地の街の
雰囲気を決めている。

そして、もう一つ。
朝日新聞と、少し離れているが、三丁目の日刊スポーツ。

朝から午前中は魚河岸関係、午後から、夜は、
新聞関係。さらに、本社は今は汐留に移ったが、
今でも、この界隈に多くのビルが残っている、日本一の
広告代理店、電通もこの街の住人といってよいだろう。

お寺あり、魚河岸あり、料亭あり、新聞、広告、
これに、隣の聖路加の病院。
魚河岸と料亭、新聞と広告は、まだつながりがあるが、
なんとなく、ちぐはぐな感じがするのも
築地の街の持つ、独特の雰囲気、というところかもしれない。

ともあれ。
蕎麦や、さらしなの里、で、あった。

築地駅で降りて、新大橋通り沿い。
新富町の方に、少し戻った、明石町側。

こぎれいな店の構え。
意外に、小さなたたずまいである。

2時過ぎ。
入ると、中はテーブル席。
遅い時間だが、ほとんど埋まっている。

にこやかな女将に案内されて、座る。

グラスの生ビールをもらう。

そばはなにがよかろうか。
今は、「桜葉切り」らしいが、変わりそばもあるようである。

「お薦め」と、書いてある、「鳥汁そば」、1050円、と、
いうのにしてみよう。

そば粉は「福井大野」のもの、などと書いてある。

きたきた。


卵黄、が、ついている。
「これは?」

運んできた、お兄ちゃん(?、若旦那?)に
思わず聞いてしまった。

ざるの上の、そばにかけるのか、つゆに入れるのか。

答えは、「お好みですが、つゆに」ということ。
まあ、そうですよね。

池波先生ではない。
普通は、つゆに入れるであろう。

つゆには、焼いたねぎ。
こういう気の使い方が、やはり、うれしい。
行き届いている、というのか、
凝ってはいないが、うまいものを出そうという
気持ちがある、ということの現れであると、
思うのである。

そばは、さらしな、という店名だが、
これは、普通のそば。
白い更科はまた、別にあるようである。

食べてみると、予想通り、うまい。
鶏も、よい鶏のようである。

ペロッとたべて、勘定をして出る。

気のよい女将さんと、お兄ちゃんの送り出す声も、
また、よい。

これから、歌舞伎座へ回る。

昼の部が跳ねたところで、
おばさま方でごった返す歌舞伎座前。

幕見の列に着こうとするが、
なんと、発売開始の1時間前にもかかわらず、
「今ですと、お立ち見でぇ〜〜す」と、歌舞伎座のおじさん。
1時間以上待って、さらに立ち見で、幕見!。

こりゃだめだ、、。

またにしよう。
いたって、あきらめも早い。

ぶらぶらと、帰宅。



ぐるなび




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