断腸亭料理日記2008

断腸亭、中東ドバイへ行く その2

『断腸亭、中東ドバイへ行く』今日は2回目。
昨日は着いたその日。
エミネーツモールというホテルやらを併設した
巨大ショッピングモールの朝食まで。


さて、ここのモールの名前や、ドバイの航空会社の

名前にもなっているが、エミレーツ、のこと。

私も今回知ったのだが、エミレーツとは、
首長、という意味だという。

UAEは、Unitede Arab Emirates で、〆てアラブ首長国連邦。
この国は七つの首長国の連合国だそうな。
最大の首長国は、ドバイの西隣のアブダビ首長国。
ここの首長が国としてのUAEの大統領。
そして、ドバイ首長国の首長がUAEの首相。

朝食を食べ、再び、バスに乗り、簡単な市内観光へ。

(ドバイのナンバープレートをつけたメルセデス製のバス。
これで観光。)

(ドバイでも市内のどこにでもある、モスク。
高い塔と丸い屋根が目印。
ご承知の通り、昔は、この高い塔から肉声で、
「アッラー、アクバル、、」と、お祈りの時間を伝えたのだそうだが、
今回の滞在中、この声が聞こえたのは、
ダイビングでドバイから離れ、UAEの東海岸の田舎町へいったとき
一回であった。)

ドバイは近代的な高層ビルの都市として、
発展しているところもあるが、旧市街というのか、
シルクロードの昔、ドバイが西と東を結ぶ中継貿易をしていた頃から
クリークと呼ばれる短い川(正確には、入り江)沿いに
発展してきた。この雰囲気がまだ残っている地域もある。
また、このクリーク沿いはドバイ首長国の中心部でもあり、 
イギリス統治時代(あるいはそれ以前)から現代に至る
ドバイの主だった建物もこの付近にある。

(市内のクリークと対岸に見える、高層ビル。
手前に見えるのは、首長一族の所有するという
豪華クルーザー。

実は、道をはさんだこの手前には、サウジアラビア大使館やら、
現イギリス大使館、さらに地図にはなにも書かれていない、
首長一族関係と思われる広大なお屋敷があったのだが、
すべて、撮影禁止といわれた。

意外に、ドバイには撮影禁止のものが多い。
前に書いた、女性も、そうなのだが、
政府施設、石油施設、軍施設、その他警察官もだめ。
うっかり、撮ろうものなら逮捕されるのか。
ガイドブックによればイスラム教は偶像崇拝を禁じていることから
アラブ人は写真を思いのほか嫌うとのこと。
だが、これら偶像崇拝禁止ということだけではなく、
政府、石油関係施設などの撮影を禁じているは、
ちょっとだけ見えた、アラブのナイーブな部分なのか、、、。)

今は博物館になっている石造りの砦のような首長の古い家。
(これは金曜で閉館のためバスから見るだけ。
この隣の建物が、現首長のオフィス。これも撮影禁止。)

この砦が実際に使われていたのは、
さほど古い時代ではないそうな。

ドバイで石油が発見されたのは、1960年台。
アラブ首長国連邦のイギリスからの独立が、1971年。

その頃に、当時(先代)のドバイ首長がそれまで使っていた
この建物を、博物館にしたという。

よく、アラブというのは、日本でいえば大名がいた、戦国時代、
あるいは、江戸時代から、いきなり現代になってしまった、
などといわれるが、いかにも砦然(とりでぜん)とした
この建物を見ると、なるほど、と頷かされるものがある。
部族社会の長が首長。首長国のそれぞれは現在も絶対君主制である。

ともあれ。


アブラと呼ばれるクリークを走る、木造の小舟に乗る。


(今でも、貿易をしているのか、
大小たくさんの船がクリークに走り、かつ、舫われている。)

(甲板の上で身体を洗う、アラブ人らしいお兄さん。)

そして、スパイスや、金などを扱うスークと呼ばれる
迷路のような市場、などを簡単に見て歩く。


(スークにはアーケード状の高い屋根がある。)

左側、岩塩と、右側、岩塩に黒や赤の胡椒が入ったミックス。
スパイスと一緒に、乳香というアラブのお香(石のような塊)も
盛んに売られている。

洒落に、土産物屋でさっそく、例の男性が頭に巻いている布と、
輪っかのセットを買ってみる。
50Dhs。(ディルハム、50Dhsで¥1500ほど。)
黒い輪っかは、昔、ラクダの足を縛るためのものであったそうな。

着てみた。(腹が出ていないと感じは出ないか、、。)

この着いた日は、金曜日で、金曜はイスラムの国では
休日であるという。
先にかいた博物館もそうだが、
七割程度の店は、閉まっていた。

さて、さて。
ドバイの旧市街を歩いた感想。

真っ先に気が付くのは人のこと。
ドバイというところは、人口の8割が外国人であるという。
実際に、こうしたスークを歩いても、空港で見た
例のアラブ服を着た人にはほとんどお目にかかれない。

UAEの人口構成は、驚くことなかれ、
UAE国民は全体の19%という。
それ以外は外国人。50%がインド、バングラデシュ、パキスタン
などの南アジア系の人々。アラビア半島の東隣はパキスタン、そしてインド。
ご存知のように、彼らはここに出稼ぎにきているのである。
そして、20%程度が、UAE以外のアラブ人と
イラン人であるという。
(ちなみに、日本人は似たようなものと思ってしまうが、
イランはアラブではなく、ペルシャという地域名で
呼ぶのが正しいのだそうな。)

実際に、スークなどを歩いていて見かけるのは、圧倒的にインド系。
それから、アフリカ系なのか、見た目には黒人。
東洋系、と見える人々は、町にはほとんど見あたらない。
(インドネシア、タイ、フィリピンなど、東南アジアからの
人々は、街では少ないが、ホテル、ショッピングモールのレジなどで
働いているのをよく見かける。)
結局、外国人の彼らがみな肉体労働は引き受け、
ドバイ人達は、マネージメント。
街中をちょろちょろ歩いていないのである。

(横道にそれるが、ドバイの治安のこと。
一般に、本来のイスラム教国は、治安はよいものという。
これは、以前にダイビングで行った同じイスラムの国、
モルジブでもこれは聞いたことであった。
ここドバイも多様な人種がいるのだが、その割に、というのか、
治安はよいようである。
日本同様に、飲料の自動販売機なども、海外では珍しく、
スークなどの街角でちらほらと見かけた。)


さて、一方。

これだけ多様な人種がいるドバイだが、
世界中どこへいっても目にする、中国系の人々が少ない。
これは珍しいのではなかろうか。
ひょっとすると、アラブの特徴かもしれない。
なぜであろうか。
インド系に押されて入り込まなかったのであろうか。
あるいは、アラブと中国は相性がよくなかったのか、、。




と、いったところで、今日はここまで。
『断腸亭、中東ドバイへ行く』続きはまた明日。



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