断腸亭料理日記2008

池之端・おでん・多古久

12月17日(水)夜

さて。

今日は、またまた、忘年会、の、ようなもの。
上野に住む、会社の同僚と二人。

雨も降っている。

温かいもの、というので、池之端のおでんや、多古久

池之端、と書いたが正確には、ここの今の町名は上野二丁目。

多古久のある池之端仲町通り。
上野広小路、三橋、アブアブ前の交差点から、
斜めに昌平橋通りまで抜けている、池の端藪蕎麦などもある
通り。

江戸の地図


このあたりの地名は、私などから見ると、
どうも不思議なことが多い。
ここは、今、広くは上野かもしれないが、やはり池之端といった方が
しっくり、くる。これが一つ。
もう一つは、この狭い界隈だが天神下といういい方もしている
ということ。これはなにか。

まず、歴史的には、この通りの北側は、江戸の頃から池之端仲町。
今ある春日通りは明治になってからで、江戸の頃は
上野から湯島へ向かう本通りで、宝丹で有名だった
守田薬局をはじめ、江戸の頃も老舗が軒を連ねる通りであった。

今、町名の池之端は、昌平橋通りよりも西。
旧岩崎邸を含み、文字通り不忍池の西の畔沿いに
根津の交差点の手前までになっている。
(このあたりの旧町名は、岩崎邸あたりから下谷茅町。
根津側は池之端七軒町と呼ばれていた。)

この仲町通り、仲町という地名自体も今はないが、
今でも、この仲町通りは、私なども池之端という
感覚である。

翻って、上野、という町名である。
南側、千代田区に接する、中央通りの西側から、
春日通りの南までの、旧西黒門町(と+α)が上野一丁目。

その春日通りの北側。文京区の湯島三丁目、いわゆる
天神下が食い込み、東側、旧上野北大門町、同下谷数寄屋町、
池之端仲町を合わせたところが、上野二丁目。
そして、中央通りの東側、JRまでが、
春日通りの南が上野三丁目、北が四丁目となっている。
まあ、このあたり、便宜的に上野という町名と、丁目を振った。
そういうことだとは思われる。

そして、先に挙げた、もう一つの疑問。
文京区が不自然に、ここに食い込んでいるということ。
普通に考えると、これはやはり不思議、で、ある。

今でも一般に、池之端ではなく、天神下、とこのあたりを
いってもいる。この天神下、今の湯島三丁目は、旧町名では
文京区の前身である本郷区天神下同朋町と湯島天神三丁目で、
明治の頃から、既に下谷区、ではなかった。

上の、江戸の地図をもう一度見ていただきたい。
この食い込んでいる部分、池之端仲町の南側は、江戸の頃は、
板倉摂津守やらの武家屋敷であった。
そういう意味では仲町は片側が武家屋敷、という、
通りの片側だけの町、いわゆる片町(カタマチ)で
あったといえよう。

そして、この武家屋敷がそっくり明治になり、
地域としては、下谷区ではなく、本郷区に入れられた
ということだと思われる。
武家屋敷から、開放されたのだから、本当は
下谷でも本郷でもよかったはずである。
これがなぜか、である。

ここはおそらく池之端の引力よりも、
湯島の天神様の引力の方が強かったのではなかろうか。

事実、上の地図にも見えるが、天神下同朋町というのは江戸の頃
からあり、天神下の名前を冠しているが、場所は広小路のすぐ近く。
また、板倉摂津守屋敷の南側、今の一方通行の通り
(広小路がカーブをしている部分、鈴乃屋脇の通り)
には「湯島天神裏門坂通」と書かれている。
つまり、武家屋敷も含めて、ここは江戸の頃からもともと、
広小路のすぐ手前まで、湯島天神下と考えられていた。

上の地図には入っていないが、板倉摂津守屋敷のさらに西側、
天神様の坂下は江戸の頃から、湯島天神門前として町屋であった。

今、ここの適切な史料を持っておらず、よくわからないが、
ここは、もしかしたら江戸の頃から天神様の門前で、
茶屋などがあったところだったのかもしれない。
そして、武家屋敷が解放され、地域としてはその西側天神様門前と一緒になり、
明治の世に、湯島天神下の、花街=三業地と栄えるようになった。
そういうことではなかろうか。

ただし、この天神下の北の端っこ、今、
池の端藪蕎麦もある仲町通りに面した南側は、
明治以降、町名は湯島天神町になったが、
むろん片町ではなくなり、呼び名としては池之端とするのが
自然であった、ということであろう。

前置きが、そうとう長くなってしまった。

そんな池之端仲町通りの北側。
昌平橋通りに出る、ちょい手前。
藪蕎麦のはす向かいに、おでんや多古久はある。

19時前の早目の時間、店に入る。
カウンターと、少しのテーブル席しかない店だが、
運よくあいていた。

二人で座る。
まずはビール。

お通しは、豆腐の入った、鶏のつゆ。

さっそくおでんをもらう。
おでんの大きな鍋は、カウンターの向こう側、角、に、ある。

連れと合わせて、同じもの。


焼き豆腐、大根、玉子。
白い土鍋に入れて、出てくる。

以前から、なぜかここは薄めのだし、かと思っていたが、
しょうゆ味で、今日は意外に濃く感じる。
銀座などのお多幸よりは薄い、かもしれないが、
これは、関西風、ではないだろう。
うまい。

続いて、


がんも、すじ、つみれ、ちくわぶ。

食べて呑んでいるうちにも、お客は入り、
一杯になり、以降は、断っている状態。
早く来てよかった。

店は、お祖母ちゃん、ご主人、女将さん、
三人でやっている。

満席だと、てんてこ舞い、で、ある。

ぬた、やら、白子やらももらい、
ビールから燗酒に。

ここの二合のお銚子の形がよい。
今はあまり見ない、昔、白鳥といわれた、
首の長いもの。

だいぶ呑んだ。

勘定をして、傘を差し、元浅草まで、
ぶらぶら歩いて、帰る。





住所:東京都台東区上野2−11−8 長谷川ビル1F
電話:03-3831-5088



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