断腸亭料理日記2008

08年鳥越祭 その1 生まれ育ちのことから。

6月7日(土

さて、土曜日。
今年も、我々の鳥越祭がやってきた。

今週末(6/7、8)は、鳥越祭。

私の住む台東区など下町の祭りは、下谷に始まり、
三社、神田、などなど、行なわれ、
毎年、梅雨に入らんとする今頃が、
鳥越、となっている。

先日、三社祭について、少し書いた。

これに関して、様々皆様、ご意見はあるだろうが、
結論からいうと、私は祭、というものがどうも好きなのである。

なぜ好きになったのだろうか。

少し長くなるが、私の半生を説明するようなことにもなるのだが、
今日は、このあたりから考えてみることを、お許し願いたい。

そもそも私の父方の先祖は、なん回か書いているように、
江戸の頃から、曾祖父以前まで、今の品川区大井町付近で
代々の百姓として暮らしてきたわけである。
(しかし、私はその地で生まれたわけではない。)

私の祖父は、百姓の後、米屋をしていた曾祖父の家の三男
として明治の頃、生まれたのだが、戦後その地を離れ、
都内ではあるが、いろんなところに住んでいたようである。
(話を聞くと、随分いい加減なじいさんであった。
身体がさほど強くはなく、戦争にとられることもなく、
そのくせ、酒呑みで、決まった仕事も持っていなかった。
その分、祖母や、私の父は随分と苦労をさせられた。)

父は、その大井町で生まれ育ち、実際の戦争へは行っていないが
士官学校在学中に終戦。戦後、大学へ行き直し、
技術系のサラリーマンとなり、仕事の都合で大阪やらに
住んだこともあったが、私は東京郊外の私鉄沿線、
新興住宅地に父が買った家で育った。

郊外の新興住宅地で育った私は、
祖父以前の大井町というところもほとんど知らず、
やはり、父祖の地を離れ、根がない、という
漠然とした不安。自分の属するべきところ、
というものはどこなのか、ということをいつの頃からか、
考えるようになっていったように思う。

学校は地元の小学校、中学校を卒業し、
高校は、中野富士見町にある都立富士高校。

このあたりから、日本史というものに興味を持つようになった。
当時の私達の日本史の先生は、大学は東京教育大学で
日本民俗学を専攻され、大学院まで行かれた方であった。
授業の端々で先生が民俗学について話されたことに惹かれ、
東京教育大学の後継である、筑波大学へ進み、
同じ日本民俗学を学ぶようになった。

大学卒業後、私は、民俗学研究者の道は選ばず、
東京市谷に本社のある印刷会社へ就職し、20年経ち、今に至っている。

卒業後住んだところは、世田谷の明大前の古いアパート。

これは結婚してすぐ。ここを選んだのは、私の会社のある市谷に
京王線、都営新宿線一本で行けること、また、都心に近く
便利であることが理由であった。

その後、三十前で、葛飾の四つ木にマンションを買い、引越した。
なぜ葛飾だったのか、といえば、当時、私の職場は市谷であったのだが、
内儀(かみ)さんの仕事場が千葉の幕張で、
東京でも東側がよかったということ。
そして、もう一つ、やっぱり、一度、下町というのか、
東京の東側に住んでみなくてはいけないのではなかろうか、
という考えがあった。

葛飾の四つ木は、同じ四つ木でも、町名は東四つ木、というところで、
古い地名でいえば、木根川というところ。

ここは、荒川(放水路)の向こう側で、中川と荒川の合流点そば。
戦後しばらくまで田圃や、池、沼のあるところであったようだ。
家並みとしては、今は、町工場の町。
町内会もあり、質的には、下町といってよいところ。
しかし、木根川神社という神社が地域の氏神様であったのだが、
祭はといえば、お神輿の出るようなものはなかった。
(この間に、三年弱、名古屋に単身で転勤をしている期間があった。
そして、この間に、この日記を書き始めたのではある。)

その後、今から、数年前、マンションを買換えようと探していると、
たまたま、元浅草に売り出されている新築を見つけ、
葛飾四つ木から荒川と隅田川と、川を一気に二本も超えて、
今の地に住むようになったというわけである。
そして、そこには、生まれて初めて、きちんとした町内会があり、
歴史のある祭があった、ということである。

さて、祖父以前、その後、そして私自身の生まれ育ち、
住んだところなどを書いてきた。
その中で、自分のルーツはなんなのか。
漠然とした、不安、を持つようになったということ。

しかしながら、小中学校と郊外ではあるが、東京都で教育を受け、
中野区にある都立高校を卒業し、父方は代々東京育ち。
(曾祖父以前は江戸府外の農村ではあるが。)
その祖父と祖母も、私の育った郊外の家に一緒に住んでいた。
それで、食べるものは、東京の、さほど品の良くない、濃い味付けで育った。

こんなことで、一応のところ、東京というところにアイデンティティーはあり、
故郷はどこかと聞かれれば、迷うことなく東京、と答える、とは考えていた。

そして、もう一点、祭について書くには、
大学で学ぶようになった民俗学のことにもう少し触れなくてはならない。
ここから、やっと、今日の主題に近くなってくるのだが、
だいぶ長くなった。

続きは明日。



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