断腸亭料理日記2009

★2009年残念ながら閉店しています。★

浅草千束・元祖恵比寿ラーメン

4月14日(木)夜

ひさぁしぶりかもしれない。

浅草千束の、元祖恵比寿ラーメン。

ここは夜も遅い。

会社帰り寄ってみようと、新御徒町からTXに乗り換えて、
浅草駅。

降りて、国際通りを北上。

言問通りを越えて、千束五叉路、手前。
左側にある。

今、この店は、どのくらいの人が知っているのだろうか。

40歳代以上、25年前に東京でラーメンを食べていた人であれば
知っているかもしれない。

私が大学生の頃、で、あるから、25年ほど前。

今も、ラーメンはブーム状態は続いているのだろうが、
この頃は、その端緒、ではなかろうか。

時代は、バブルよりも少し前。

原寸大でラーメンの写真を紹介した、
文芸春秋の「ベストオブラーメン」(1986〜7年、前後か)。
(ついでに、このシリーズは、B級グルメなる言葉と
コンセプトを提案し、定着させた、といえるようだ。)

伊丹十三監督の映画タンポポ(1985年)、などもそうかもしれない。

学生であった我々には、安いものだが、うまい、
そして、なにか一家言いってみたい、、。
そんなところに、はまったものであった。

その頃の、東京ラーメンブームの、旗手、だろう。

この店は、今の親爺さんが、恵比寿で屋台で始め、
その頃、長蛇の列ができるまでになっていた。
我々も、筑波から車を飛ばしで、行列に並びにきたもの。

当時、私などは、ノーマルなしょうゆ味のラーメンとして、
そのうまさに、そうとうな感動を受けた、ものである。

我々などの、ラーメンのオールドファン(もうそういった方が
よいのかもしれないが)、には、忘れられない店、
のはず、で、ある。

その、恵比寿ラーメン。
その後、25年の間に、変転があり、
今の地に店を構えて、どのくらいになるのか。
はっきりしたことは知らないのだが、
私が浅草に引っ越してきた頃には、あったので、
少なく見積もっても6〜7年以上、にはなるだろう。

近所でもあり、引っ越してきた当初、懐かしさで、
すぐに食べにき、以前の大行列はないが、その頃と、
ほとんどかわらぬ味を確認した。

それ以来、思い出したように、食べにきてはいる。

最近は、チャーハンやら餃子やらもメニューにあり、
夜は、呑んでいる人も見かけるようになっていた。

さて、この界隈のこと。

浅草千束町、このあたりは、一丁目。

浅草千束町といえば、江戸の頃からの、遊郭、
吉原が有名で、あろう。
これは、ここからも程近い、四丁目。

この一丁目には、かの優良路麺(立ち喰いそば)
ねぎどん、関西風おでんの老舗、お多福も、ある。

歴史的には、なん度か書いているが、江戸の頃から
浅草寺裏の浅草奥山と呼ばれた、歓楽街。

明治に入り、軽演劇、寄席、その後の映画、などの六区興行街、
北側、奥山には、日本最古の遊園地、花屋敷ができ、
今のすき焼きや、米久のある、ひさご通りあたりには、
浅草十二階(凌雲閣)ができ、大いににぎわった。
(十二階は、当時の観光高層ビル。)

そして、あまり語られないが、銘酒屋と、呼ばれる吉原とは
また違った店が密集するところ。
銘酒屋は、飲食は名目で、酌婦を置き、二階で客の相手をする、
というもの。

明治から、昭和の3〜40年代までが最後であろうか、
子供も楽しい六区興行街から、今、観音裏と呼ばれている
言問通りの北側の料亭街、浅草花街、あるいは芝居小屋、
江戸から続く遊郭吉原、千束町の銘酒屋などの大人の街。

このあたり全体が、ある種、一体となり、今の新宿歌舞伎町
いや、それ以上の大歓楽街、あるいは、魔窟、魔境、、、
様々な形容詞がつけられるところ、で、あった。

今でも、むろん、その頃の面影と、その後の業態などは、
ご存じのように存在している。

また、もう一つ。

ビューホテルあたりでは数年前にも発砲事件が起きていたり、
あるいは、三社祭になると、紋々(もんもん)を背負った、
兄ィが闊歩し、こうした歓楽街につきものの人々、彼らの拠点が、
古くからあり、そして今もあることは、地元では周知の事実ではある。

もちろん、普段は、そんなことには気が付かないほど、
あぶない街ではないのが、少なくとも、先に述べた歴史を含め、
そういう面もこの街にはある、ということは、善悪の価値判断とは別に、
知っていた方がよいだろう、というのが私の立場で、ある。

さて。

元祖恵比寿ラーメン、で、あった。
(そうである。なんで、親父さんは、そんな、このへんに
店を構えた、のであろうか。)

店に入ると、カウンター奥で呑んでいる人々もいる。

自販機制なのだが、布が掛けられれている。
夜はいいのかな?
親父さんに、いいですか?、ときくと、
よいよう。

カウンターのあいている席に座り、上着を脱ぐ。

ビールは?

缶と瓶があるようだ。
餃子をつまんで、ラーメンというのも
食いすぎであろうから、缶ビールと、
時間差で、わんたん麺、¥1000也、を頼む。

わんたん麺も、恵比寿時代からのメニューではある。

ビールを呑み、わんたん麺が、きた。


ちょっと、大きめの画像にしてみた。

メンマが縦にきれいに並べられている。
この親父さんの几帳面さを象徴しているのだろう。

わんたんは、このメンマの下に隠れている。

しょうゆ味のラーメンというのは、昔ながらの
中華そば、などといういい方をするむきもあるが、
ここのしょうゆ味は、そんな形容詞には当てはまらない。

“昔ながら”の味、を、遥かに上回る味、で、あろう。

昔ながらは、しょうゆの味ばかり立って、いるのが多かった。
しかし、ここのしょうゆ味は、それを凌駕し、
メンマの味と合わせ、そうとうに奥の深い旨味がある。

とんこつやら、魚介やら、さらには、最近はイカスミ?
様々なとんがった味が現れている。しかし、奇を衒わない
ノーマルなしょうゆ味でハイレベルな味を作っているのは
なまなかな、ことではない。

わんたんもうまい。

食べている間にも、お客は入り、
親父さんと、もう一人で今はやられているようだが、
大忙し、で、ある。

うまかった、うまかった。

店を出、帰りはタクシーで、元浅草まで帰宅。





東京都台東区千束1丁目15−8
柴田ビル
03-3875-0141




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