断腸亭料理日記2009

下町のにおい、山手のにおい・その3

今日は、日食記念?、、。

いや、夏なので、少し、考えてみようと、思い立った。
(なにが夏なので、なのか、よくわからぬが。)

なにを考えるかというと、
少し前に「下町のにおい、山手のにおい」というような表題で
下町対山手、に、ついて、考えてみたことがあった。

今日は、その続きをもう少し考えてみたいと思う。

あの時にも、実は、伝わらない人には伝わらないのだろうな、
とは、思ったのではあった。

山手にしても、下町にしても、東京の話で
東京に生まれ育った人であれば、なんとなく理解してもらえる
内容だとは思うのだが、そうでない人には、理解もできないし、
そんなことにこだわる理由もわからない、そんなことではなかろうか、と。
いわば、東京ローカルの話で、勝手にやってくれ、か。

いや、そんなことはない、もっと普遍的な問題を含んでいる
とは思うのであるが、それはそれとして、今回は、もう少し、
わかりやすくお伝えしたいと思い、手始めに、
「下町のにおい」なるものを分解するところから始めたい、と、思う。

そもそも、私が「におい」と書いている通り、
「下町のにおい」は、具体的なモノ、ではない。

皆さんが、下町と、いって思い浮かぶのは、
長屋、であるとか、そこに置かれた植木鉢、で、あるとか、
共同井戸であるとか、路地であるとか、、、。
具体的な場所を挙げると、谷中、根津、千駄木
(通称谷根千)だったり、月島、だったり、
いかにも下町らしい建物やそれらを取り巻く様々なモノ。

しかし私が言っている「下町のにおい」とはそういう
具体的なモノではない。
道具立てとすれば、いかにも下町らしいが、
そういうものがあれば、下町らしい「におい」があるのか
といえば、必ずしもそうではない、のである。

私が言っている「におい」とは、そこに住んでいる人々の
行動様式や考え方のことなのである。

歴史的には、そういう道具立ての中で、
「下町のにおい」は形成されてきたのではあろうが、
今、そういうものが残っているところが、下町ですか?
と言われれば、必ずしもそうではない。

むろん、そういう道具立ての中で暮らしている人々で
「下町人らしい行動様式や考え方=下町のにおい」を持っている
人々もむろんあろうが、そういう長屋がなくとも、
「下町人らしい行動様式考え方」を持っている人々は
足立区だったり、荒川区だったり、先日の大田区だったり、
従来の下町ではないところにも、
たくさん住んでいる(と、思われる)。

つまり、下町らしさとは、モノではなく、
人(の行動様式)である。

ちょっと、話題が変わるが、こんな例はどう思われようか。

今、京都などでも人の住まなくなった古い町屋に
若い芸術家の卵などが、住む、というのが、
流行り、に、なっている、と聞く。
古い町屋は、デザイン的にも優れているし、風情、味、
そういうものがデザイナー、アーティストの目では
魅力的であることは、大いに頷ける。
そして、最近は、これと同じようなことが、先の谷根千だったり、
東向島(旧玉ノ井)だったりで、起こっているやに聞く。

むろん、こうしたこと自体は、わるいことではない。
古い町が地盤沈下していこうとする中で、若い人が住む、
ということは、商店街やら地域の活性化にもむろんなる。

しかし、そういう道具立てに住めば、下町人になれるのか
といえば、そうではない、ということなのである。

むろん京都も同様であろう。
いや、京都などは、東京下町なんというところ以上に、
行動様式や考え方には、決まったものがあると、想像する。
(あるいは、排他的、よそ者は受け入れない(?)と昔から
京都の人々はいわれてきた。そういう人々が、本当のところは
どう考えているのか。
地盤沈下していくよりも、まずは、誰かに住んでもらいたい。
そのうちに、行動様式の部分、文化も、理解してほしい、
と思われているのかもしれない。)

ともあれ。

この文章は「下町人らしい行動様式や考え方=下町のにおい」を
わかりやすく説明したい、というのが趣旨なのだが、その前に、
ちょっと脇道のようだが、なぜ、こういう京都の町屋や、
下町らしい長屋、に、若いアーティスト達は魅力を感じるのか、
その肝(きも)はなんなのか、もう少し、考えてみたい。

私のいう「下町のにおい」は、モノではない、と書いている。
では、モノの下町らしさと、人の下町らしさになんらかの
関係があるのかを、考えてみたい。

先に東京下町の長屋や京都の町屋の魅力に
「デザイン的に優れている、風情、味」というようなことを
挙げてみた。

私個人が住みたいか、と、いわれれば、メンテナンスのたいへんさ
隙間風など、日本家屋に特有の欠点、を考え合わせ、多少の
躊躇を感じてしまう。
しかし、私であれば、例えば、毎年行っている、
箱根、塔ノ沢温泉の福住楼のような、
明治大正の頃に造られた、乙な、しつらえの中で
寝泊まりできる、と、いうことは、この上ない贅沢な
時間であると思っている

あるいは、着物を着て、歌舞伎座へ芝居を見に行く、

同じく着物で、池の端藪で蕎麦を食う。

普通の扇子ではなく、江戸扇子を持ちたい、とか。

細かいことをいうと、多少の違いあるかもしれぬが、
大きくは違わなかろう。

自分達の以前の生活文化、諸道具、着物、その他、
長屋、建物を含めて、衣食住。
ルーツを大切にしたい、というような気持。

また、そうした古いものの色、形、風合い、素材、等々
ひっくるめて、デザインの素晴らしさ。

あるいは、そういうものの中で暮らすことは、現代の
欧風化、あるいは、近代化された、ものに取り巻かれた
暮らしにはない、昔の日本人が持っていたゆっくりした時間の流れ、
そんなものがある。
(前に、尾花の時間、という題で、南千住のうなぎやの座敷で、呑みながら、
小一時間、昔の作法で作る、蒲焼を待つ時間の
贅沢さ、を書いた。これも、近い世界かもしれない。)

こんなことではなかろうか。

今、挙げてきたものは、いずれも私の好みで、
町のものであり、江戸のもので、ある。

しかし、よくよく考えてみると、これは、古いものであれば、
町のもの、だけではなく、農村の古民家、でも同じことはいえるわけで、
世の中には、そういう趣味の人もいる。

長屋、長火鉢、江戸扇子、着物、、、これらは、
まあ、「下町」(あるいは、江戸)に付随するもので、
これらが身の回りに、あることによって、豊かな気分になれる。

「下町」に付随はするが、私のいう
「下町人らしい行動様式や考え方=下町のにおい」
の必要条件ではない。

現代の下町人がみんなそんなものを持って、
そんな生活をしている、わけがない。
むろん、好きな人もいるだろうが、
いわば、これは、“趣味”であろう。
(まあ、例えば、江戸指物の職人さんなどは、
生活そのものかもしれぬが、それはまれな例、で、あろう。)

また、逆に、嫌いな現代の下町人(若い衆)がいるか、と、いわれれば、
それも、あまりいない、ような気もする。
知らない、というのはあるかもしれぬが。

もし嫌いな下町人の若者がいたとすれば、きっと、
その若者は、下町を後にして、山手に移り住む。

(・・・なにか、このあたり、この“下町なるもの”とはなにか
の考察の、ヒントがあるような気がする、かも・・・。)



話が途中だが、長くなった、つづきは明日。






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