断腸亭料理日記2009

「食べ物日記―鬼平誕生のころ」を読んで。

その1

6月13日(土)第一食

この春、池波先生の
「食べ物日記―鬼平誕生のころ」(文藝春秋)が出ていた。
読まれた方もおられるかもしれない。

私も、出てすぐ買ったのだが、読み始めたのは、最近。

先生は、毎日、食べ物の日記を、奥様のために
つけていた。これはまあ、有名な話である。

奥様のため、と、いうのは、へんなようだが、
去年の今頃は、なにを食べたのか、を参考に、
今日の献立を考える、という使い方をしていた、という。

毎日の先生の(ほぼ)食べ物だけを
書き記したある一年間の日記、で、ある。
昭和43年、副題にもあるように、鬼平の執筆を始めた頃。
先生が45歳の頃。

(なんと、私の今の年齢と、同じである。
この日記によれば、先生は、秋になると、三日に一ぺん以上
松茸を食べていた。この差はなんだ?!と、思ってしまう。
、、、まあ、あたり前、で、ある、か。)

今まで、食のエッセイもたくさん出版されており、
また「銀座日記」(新潮文庫)など日記に近いものも出ている。

しかし、書かれていたとは聞いていた、完全な食だけの日記
そのものが出版された、というのは、やはり、池波先生
ならでは、で、あろう。

読まれてみればわかるが、食以外の
なにをした、どう思った、といったような
いわゆる日記的な記述は、皆無ではないが、
限りなく少ない。ほぼ、食べたメニューだけが
簡潔に記されている。
これで、一冊の書籍が成立してしまうのは他の人では
ありえないだろう。

読んでみると、とにかく、おもしろい。
他の人はどうかは知れぬが、今まで「池波レシピ」
と、称して、作品に出てくる様々なものを作ってきた私にとっては、
今まで知らなかったこと、多くの発見があった。

(むろん、食べ物、以外の記述は限りなく少ないだけに、
ほんのわずかでも書かれている内容は、先生にとっての、
重み、のようなものが、逆に感じられ、やはり、一つのエッセイ作品
になっている、のも、確かなこと、ではある。)

この作品(?)の中で、まず気が付くのは、先生は同じものを
そうとう集中して食べている、ということだろう。

好物をよく食べるということ以上に、
凝り性ということなのか、今いう、マイブーム、というような
ものなのか、先の松茸に限らず、同じものを毎食、毎日とはいわないが、
三日に一ぺん、というような頻度で継続して、
立て続けに食べていることがある、ということ。

松茸以外でも、5〜6月頃には、やはり、三日置き程度の
頻度で、うに(おそらく生)を食べていたり。
最もすごいのに、こんなのがあった。
「夕食」に目黒とんき、で、とんかつを食べ、おそらく、
包んでもらって帰ったのであろう、翌「第一食」に、串かつ、
さらに、「夕」にもまた、同じ串かつ。

いくらうまく、気に入っているものでも、人というのは、
こう毎食、同じものは食べられるものではない。
(それも、油もの、で、ある。)
先生の食べ物への、執着の強さ、で、あろうか。
(毎朝夫人手製のカレー以外食べないイチローという例もある。
しかしまあ、あれは、プレーに入るための儀式、というような、
もう少し別の意味もあろうが。)

私も、比較的、同じものを続けて食べる、ということは
他の人よりもするようには思うが、やはり脱帽、で、ある。

やはり、一つのものに没入することは、大事なことか、
などと、妙に納得したりもする。

他にも、発見はいくつもあるのだが、
これは食べ物以外のこと。
この頃、先生は東横落語会へ毎月、通っていたこと。

聞いているところでは、当時の東横落語会は、志ん生、文楽、圓生
などの大看板、若手花形が出演し、なかなか盛況であったという。
今思えば私などには、垂涎(すいぜん)のホール落語会、で、ある。
そこで、ある月の東横落語会へいき、

『小さん「笠碁」がいい。小さんの笠碁は、一種ふしぎな

魅力をたたえている。』

とコメントまで書かれている。
(笠碁と、いえば、馬生師(先代)もよいが、やはり小さん師がよい。
談志家元も演り、家元のものは毒がありファンとしては抱腹絶倒だが、
笠碁という作品のできとしては、やはり、“不思議な魅力をたたえた”
小さん師に軍配が上がるだろう。)

池波先生は、ご自分で書かれている通り、
芝居はもともと仕事でもあり、子供の頃から歌舞伎も
ごく身近で見られていたり、また、映画は年におそらく、
300本以上も観られているほどの映画好きであることも有名。
あるいは、好きな音楽についても、よく書かれている。

しかし、落語、というのは、文章に書かれていない。
皆無、と、いってよいだろう。
今回の「食べ物日記」を読むまでは、浅草育ちであるから、
聴いたことがない、ということは、あり得ないとして、
ひょっとして、嫌いだった?とも思っていた。

やっぱり、聴かれてはいたんだ、と、安心をしたり、、。

それでも、まったく、公(おおやけ)には
書かれていないことには、やはり意味があったのだろう。
芝居、映画、音楽などに比べて、興味のプライオリティーが
低かったのは間違いないかもしれない。
当時はまだ、今と違って、映画評などと同じように、新聞雑誌で、
落語評をする、うるさ方も少なからずおり、そういう人と
議論をするほどには、落語への関心はなかった、
そういうことかもしれない。

ともあれ。

読んでいて、食べたくなったものも、いくつかあった。

サーロインステーキ。

先生はステーキも好きであったようである。
(ステーキに限らず、カツレツなどの揚げ物、油ものは、
やはりお好みであったのだろう。そこに酒も加わり、
痛風にも苦しまれた、と、いうことか。)

ステーキの場合、ほとんどが、外食、で、あるが定期的に出てくる。

お気に入りの煉瓦亭などの洋食や、というよりは、
銀座清月堂のようなところ。

さて。

金曜、秦野から小田急で新宿に戻り、
西新宿の路地裏、ボルガ、で焼きとんで酎ハイを
二杯ほど呑んで、大江戸線で帰宅。

なぁーんとなく、もの足りず、帰りハナマサで、
サーロインステーキの肉を買ってしまった。

しばらく、ステーキは食べていなかったので、
刺激されて食べたくなったのである。

帰宅し、さっそく食べようと、筋を切り、塩をし
黒胡椒も挽いて、かけて、、しばらく馴染ませた方がよいか、、、
と、思って、座ったら、眠くなってしまった。
酎ハイを呑んだ酔いが回ってきた、というのもあろう。

ちょうどよい。
食べすぎはいいわけがない。
明日の朝にしようか。
ラップをして、冷蔵庫に入れておく。

翌朝、起きて、鉄のフライパンで焼く。

バターではなく、普通のサラダオイル。
肉を焼く前に、にんにくのスライスを炒めて、香りを付けたくらい。
あとは、ただ焼く。


つけ合わせは、先日の茹でた新じゃとが
冷蔵庫にあったアスパラを残った油で
炒めたもの。

ご飯はなし。
酒もなし。
(少しは気を付けたつもり、で、ある。)

ハナマサなので、オージービーフで
特段、高い肉ではないが、サーロインステーキ、
たまには、食べたくなるもの、で、ある。










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