断腸亭料理日記2009

森下・さくら鍋・みの家 その1

11月1日(日)夜

さて。

日曜の夜。

深川森下のさくら鍋のみの家へ、行くことにした。
ここは意外なようだが、私は初めて、で、ある。
さくら鍋とすれば、有名なところ、で、あろう。

先日、千住ねぎの一件で、使っている店を調べた。

その中で、この店が、“千寿葱”を使っていることが
わかったのである。(この件では、情報をいただいた方もあり、
この場を借りて、御礼申し上げます。)

この森下の、みの家、以外にも、さくら鍋やには、
過去、いったことがない。
これには、少しわけがあった。
馬肉はむろん食べられないわけではないのだが、
以前、競馬をやっていた、ということ。
また、乗馬も少ししていたということがある。
そんな縁のある馬を、なにも食べなくともよいだろう、
ということで、あえて食べないようにしていたので
あった。

が、まあ、最近は競馬もしていないし、
乗馬もご無沙汰。もう解禁してもよいか、
といった、いたって、いい加減なもの、で、ある。

夕方TELをしてみると、
ここは、4名以上からが予約でき、2名なら、直接きて下さい、
とのこと。
少し、早め、6時前に着くように、出かけてみる。
森下までは、大江戸線で3駅、すぐ、で、ある。

さて、森下というところ。
なぜだか、私は、気になるところ、なのである。

この駅のある交差点付近、みの家以外にも、
居酒屋の山利喜あるいは、
少し離れるが、高橋(たかばし)の伊せ喜(どぜう)
など、味のある店がある。

そういうこともあるのだが、
それだけでなく、街として、というのか、魅かれるものがある。
今でもそうだが、住んでみたいところの一つ、でもある。

魅かれる中身が、なんなのか、自分でも
よくわからぬのだが、森下というところが持っている
なにか“土地の記憶”のようなもの、かもしれない。

江戸の地図を出してみよう。


今、森下は、江東区森下。
江東区の西北の端。
墨田区と境を接している。

江東区は、以前は、深川。
墨田区は本所と名前がかわるだけで、
昔から、境もかわっていない。

現代の地図も見比べていただきたい。


より大きな地図で 断腸亭料理日記/深川森下 を表示

北に竪川があり、南に小名木川がある。
本所と深川の境は、竪川ではなく竪川から南へ下がった、
今は埋められている、五間掘、六間掘、という掘割である。
(一部、隅田川寄りが、堀ではなく、路地が境である。
これもちょっと不思議、ではある。)

鬼平ファンの方ならば、ご承知であろう。
彦十が住んでいたり、火盗改の同心達の“つなぎ”の場所として、
重要な舞台である、ご存じ、軍鶏鍋やの五鉄。
これは、本所二つ目といういい方をするが、
竪川の二つ目橋の北詰、東の橋の袂にあったという設定。
(今は上を高速が走り、面影すらない。そういえば、二つ目橋も
今は、二之橋、という。)

それから、もう一つ、弥勒寺。
弥勒寺自身も物語に登場するが、この門前に、
茶店を構えるお熊婆さん。
平蔵の放蕩無頼の若い頃の“馴染み”、でもあり、
密偵のような、働きもさせている。
池波先生は、よく、骨と皮ばかりになって
「七十をこえた凧(たこ)の骨のような老婆」と書かれているが、
私は大好きなキャラクターである。

五鉄と、弥勒寺お熊婆さんの茶店は、こんな位置関係にある。
本所といいながら、南端で、隣は深川の森下。
池波先生が、ここに前線基地のような場所を設けたのは、
なんとなく、意図したことと、思われるのである。

もう少し広く見ると、
竪川の北は(先日の烏亭焉馬師匠が住んでいた)相生町や
尾上町、やらあり、見世物小屋などある向(むこう)両国の盛り場と、
両国橋も遠くない。
森下の西側は、大橋。(今の新大橋は、以前よりも少し
北側にかけられている。)

深川の中でも八幡様のある今の門前仲町も
櫓下(やぐらした)などと呼ばれ、江戸の頃から、
芸者さんもいる盛り場であったが、ここ森下も深川の中では、
大橋、向両国も近く、繁華なところであったのか。

そんなこんな。

この森下界隈の江戸の頃の様子は、ある程度想像される
のであるが、もう少し、詳しく知りたいものである。

また、明治以降はどうだったのか。
これも、知りたいところ。
当、みの家の、ホームページによれば、
隅田川、小名木川の水運で働く人々、
あるいは、木場の若い衆。そんな人々をお客として、
この店は、明治30年に開業しているという。
ある種、“荒くれ者”達で活況を呈していた、というような
想像もできる。
(森下に限らず、深川全体もしかり、で、ある。
「浅草博徒一代」(佐賀純一 ちくま文庫)という浅草を
根城にしていた、博打打ちの一代記を読んだことがある。
ここには、明治の頃の深川の水運に携わる
“荒くれ者”達の様子も描かれ、雰囲気は伝わってくる。)

ともあれ、本所深川は、私は今まではあまり深く掘り下げて
みたことはなかったのが本当のところである。
門仲(もんなか)の魚三のところでも書いたが、今住んでいる、浅草界隈とも、
その雰囲気からして、同じ下町でも明らかに違う。
これを機会に、もう少し、本所深川、勉強をしよう。

閑話休題。

森下の地下鉄の出口を出て、新大橋通りを
東に歩き、すぐに左側に、みの家はある。
さくらの花の看板が目印。
(その隣は、山利喜なのだが、今は改装中。
別館で営業中。)

入ると、下足。
小父さんと小母さん、二人いる。
傘も持っていたので、これも預かってくれる。
会計の番号でもある、木の下足札を渡され、
奥へ、というので、ずっと入っていく。

縦長の二間続きの大きな座敷で、入れ込み。
同じ入れ込みといっても、あんこう鍋の神田須田町の
いせ源とも違うし、南千住のうなぎや、尾花とも違う。
この二軒は、一つずつが2〜4人程度の独立したお膳。

あるいは、桜の長い板に焜炉(コンロ)をのせる、駒形どぜう
とも違う。どうなのかというと、テーブルを
二列にずーっと、長く並べている。
(テーブルの向う側へは、後ろの戸をまたいで、出入り
しなければならないという。このあたり、飾らない、
深川森下、と、いうことか。)

その一番奥、大きなお酉さまの熊手の前、へ案内される。

座るとすぐ、品書きと同時に、玉子と箸が
置かれる。




といったところで、今日はここまで。
つづきは、また、明日。





みの家





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