断腸亭料理日記2010

池波正太郎と下町歩き6月

小伝馬町から

6月19日(土)

10時になった。

表を見ると、雨はあがっているのか。

どうもそんな感じ、で、ある。

いい塩梅。

ひどい雨なら、着物はやめようと、思っていたのだが、
これならばよさそう。

着物を着る。

襦袢に青い小紋の着物。
角帯を〆る。

白足袋。

羽織りは、この前買った深緑のもの。

資料を入れた鞄を持つ。
それから、手拭と、扇子も。
扇子は、少し前に、日本橋の丸善で買った、
赤い柿渋のもの。

雨があがった、とはいえ、足元は、濡れているかと、
下駄、にしようかとも、思ったが、いけるであろう、
と、雪駄に。

傘は?

天気予報では、一度あがった雨も、また、降り出す、
と、いっていた。
持っていこうか。

傘も持って、階下まで降りると、
なんと、日が出ている、ではないか。

なんということだ!

こんなことがあろうか。

どうも私は、そうとうな“晴れ男”、なのか。
第一回の4月は、前の晩に、季節外れの雪まで
降っていたが、講座の時間には、寒かったが日が出ていた。

傘は置いて、出る。

小伝馬町までは、タクシー。
春日通りまで出て、車を拾い、
清洲橋通り、真っ直ぐにいって、神田川、靖国通りを渡り、
道なりに左。

江戸通りを右折。
鞍掛橋をすぎて、小伝馬町の交差点まで。
(元浅草からここまで、1000円かからなかった。)


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皆さんとの待ち合わせは、十思(じゅっし)公園。

日比谷線小伝馬町駅のある小伝馬町交差点のすぐそば。
北側へ入ったところ。

皆さんに挨拶し、11時、スタート。

ここ十思公園は、実は、ご存知の小伝馬町牢屋敷の跡。
なにも、牢屋敷からスタートしなくてもよい、
のではあるが、本来の意図は、ここにある、
石(こく)町の時の鐘、で、あった。

時の鐘、というのは、江戸市中にいくつもあった、
時刻を告げる鐘。
石町、というだけあった、もともと、この
牢屋敷にあったのではなく、ここから、さほど離れていないが、
元の日本橋石町、今の中央通りから、少し路地をはいった
ところにあったのだが保存のため、ここに置いてある。
(鍵かけられ、撞くことはできない。むろん、勝手に撞かれては
うるさくて迷惑であるが。)

ここ、石町の鐘は、江戸市中でも最初に置かれたものという。
もともとは、江戸城内にあたものだが、城下、江戸草分けの頃、
街として最初に拓いた日本橋界隈、その石町に置いて、
町民に管理をさせるようになった。

時の鐘は、ここ以外には、どこにあったのか。
「花の雲 鐘は上野か浅草か」という芭蕉の句があるが、
上野寛永寺、浅草浅草寺境内。あるいは、芝の切通し。
市谷亀岡八幡、新宿天竜寺などが有名、で、ある。

と、このあたりまで、説明して、
もう汗だく。
この公園に着いた頃には、よい天気になっていたのである。

この小伝馬町牢では実際に、いわゆる処刑も行なわれており、
その菩提を弔うために、明治以降にお寺さんができている。
三軒あるが、その一つが大安楽寺というお寺。
ちょっと由来がおもしろい。
大倉喜八郎(大倉財閥)と安田善次郎(安田財閥)が寄進し、
「大」「安」楽寺という。

この他、この公園には、安政の大獄でこの地で処刑された、
吉田松陰先生の碑、などもあったりする。
(むろん、松陰先生は偉大な方であったのだろうが、
もっともっと、多くの無実の人がここで処刑された、
のであろう。なぜ、この人だけ、、と、も思われる。
いずれ、明治の長州出身のお偉いさんが建てたのであろうが。)

ここから、この公園とは同じ敷地にある、
十思スクエアという今は中央区の施設前へ。
これは、元は十思小学校。
どこもご多分にもれず、都心は子供が減って、
どんどん小中学校は統廃合されている。
この建物は、震災後の建築で、鉄筋だが、
お洒落な建築。

このまま、昭和通りまで出る。
小伝馬町の隣は、以前は鉄砲町といった。
鬼平にこの鉄砲町は、平蔵旧知の岡引きが
住んでいるところとして、出てくる。
これは、鬼平でも、初期の頃。
ご存知の通り、鬼平では、密偵という形で、
盗賊であったが、平蔵に心服した者を使っているのが、
通例になっていたので、岡引はあまり出てこないので
レアキャラ、といってよかろう。

昭和通りに出ると右。
しばらく行くと、碑が建っている。
これは、神田八丁堀(竜閑川)の跡の碑。

むろん、八丁堀という堀なので、ここだけではないが、
なぜか、この場所に建っている。
江戸初期に掘られ、一度江戸期中に埋められ、
明治になりまた、掘り直され、第二次大戦まで
界隈の水運に利用されていた。
神田八丁堀は、外濠から、浜町掘(川)
につながり、浜町掘は、神田川と隅田川を結んでいた。

堀跡なので、両側のもとの河岸道が、界隈の路地の間隔と、
違っている、、といったことぐらいが、ここが
元、堀であったことの名残。

ここから、少し先まで行って、
昭和通りを渡る。


しかし、、、暑い、、、。
日差しも強い、のであるが、
雨上がりで、蒸すこと蒸すこと、、、。

その上、一生懸命、声を出しての説明、
汗だく、で、ある。



と、今日は、このへんで。
つづきはまた明日。







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