断腸亭料理日記2010

池波正太郎と下町歩き11月 その4

またまた、NHK文化センターの『講座』
「池波正太郎と下町歩き」の11月。

昨日は虎ノ門の金毘羅様のことなど。





現代の地図


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江戸の地図(霞が関、内幸町側)


江戸の地図(西之久保・愛宕下方面)

江戸の地図(愛宕下・芝口方面)

さて。

ここからは、新橋へ。
途中、なにもないのだが、旧外濠の跡を歩く。

日本郵政ビルの脇の通り。
これが外濠の北側の河岸に沿った道。

まっすぐ行くと、少し大きな通りに出る。
この左側は経産省で、先に書いた、
第一回帝国議会が開かれた仮議事堂跡の敷地。

こちら側が表。
そして、この場所に橋があり、橋の名前は
新し橋。

通りを渡って、今度は外濠跡の南側を歩く。
現代、江戸両方のこの場所の地図を見ていただきたい。
今、ここのビルの下にはガソリンスタンドがあるが、ここ。
外濠が斜めに屈曲しているが、今の道路、建物もその通りに
屈曲している。

外濠南河岸跡の道を歩く。

左側は物産のビル。

右側は新日石のビル?
だったはずなのだが、人気(ひとけ)がない。
移転した?
(今は、新日石ではなく、JXホールディングスに
なっている。まったく、石油業界も今はどうなっているのか、
よくわからない。)

日比谷通りに出て右。
外濠通りまで出て、日比谷通りを渡る。

外濠通りの左側を新橋駅方向に歩き、次の交差点の手前までくる。

この正面、外濠通りの向こう側の右角。
ちょっと古めのビルがある。

読者の皆さんも、なんとなく、
ご記憶の方もあるかもしれない。

通りの反対から見ると、屋上までの全体像がわかるので
こちらから、見学。

これは錠前、建具金物の専門店の堀商店さん。

今は嗜好に合わせた特注品も手掛ける。
1890年(明治23年)に創業。創業当時は最新の欧米の錠前、
建具金物また暖炉金物などを輸入販売していた。
建物は、1932年(昭和7年)建築。鉄筋コンクリート造4階建で、
西の角に垂直線を強調した窓を持つ階段室と塔屋を設けている。
軒回りの装飾に特徴があり、スクラッチタイル貼りの外壁、
水平線を強調した窓廻りに当時のデザインの特徴が
よく表れている、のだそうな。登録有形文化財。

私も、以前から、なんとなく気になっていた建物だった。
先に見た、旧文部省の建物と、時代は同じで震災後の建築。
ベージュ色のタイルなど、似た雰囲気もある。

外濠通りを渡って、近くで見る。
寄ってよく見ると、ちょうど角にある、入り口の石の階段に
アールデコ風というのだろうか、アルファベットのロゴが
埋め込まれていたりし、ディテールも凝っている。

この堀商店の通りを南に入る。

この次は、烏森神社。

と、その前に、この通りのことを少しだけ。

この堀商店から南に折れる通りを江戸期には、
愛宕下の大名小路といっていた。

普通、江戸で、大名小路というと大手近くの坂下門外や、馬場先門外、
譜代の有力大名の上屋敷が軒を連ねているあたりをいうことが多い。
今の、皇居外苑前広場や、濠を渡った丸ノ内の“三菱村”あたり。

が、ここも、大名小路と呼ばれていた。
むろん、ここも大名屋敷が続いているため、で、ある。
また、この界隈、今は広く新橋だが明治期までは広く
『愛宕下』であった。それで、愛宕下の大名小路。
(“新橋”の呼称の件は後でも出てくるのでご記憶に留められたい。)

この旧大名小路から、烏森は駅側に細い路地を入る。

外濠通りからなん本目だっけ?。
なん度もきているが、いつも、ここでよかったっけ、
と、不安になる。
ここ、皆、似たような路地なのである。

角に、イギリス風?というのか、緑色を基調にした
外観のパブ?のあるところ。

これを入ると、烏森神社の前になる。

路地の幅はどうであろうか、2〜3mであろうか。
いわゆる、裏路地。

ずーっと、入ってくると、右に曲がる路地があり、
左に烏森神社。

ここは、お稲荷さん。
小っちゃな神社だが、この界隈、新橋の鎮守。
神輿も出る、立派なお祭りもある。
(これも後で出てくるが、もう一つの神社と隔年で神輿が出る。)

起源に関わる伝説はあるようだが、
実際のところは、烏森、というくらいで、
このあたりは江戸開府前は、森で、烏がいた。
地名も、烏村、烏丸、烏が森などと呼ばれていたようで、
地名が先で、後から、お稲荷さんが祀られ、
あるいは、烏の森に、無名なお稲荷さんが祀られており、
烏森のお稲荷さんと呼ばれるようになった、
まあ、そんなところか。

で、烏森、というと、やっぱり、烏森の花柳界に
触れておかなければならない。
今でも、この細い裏路地に多少、そんな雰囲気も感じられるが、
ここは、戦後昭和の40年くらいまでは
まだ芸者さんもいた花街であった。

上の地図を見ていただければわかるが、江戸期、烏森神社の
まわりは、びっしりと、武家屋敷。

明治に入り武家地が解放されると、新橋以北の(金春)芸者が
明治5年の銀座の大火で焼け出され、こちらへ移り、
烏森神社周辺に花街が生まれ、これが烏森花街、新橋南地と
呼ばれたものになった。大正期の数字で芸者屋109軒と繁栄したが、
戦後徐々に衰退し、昭和40年代以降には、ほぼ消滅したようである。

金春芸者についても、またあとで、、。




と、いうことで、また明日。






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