断腸亭料理日記2010

池波正太郎と下町歩き 9月その4

さて、さて。

今日もNHKの『講座』「池波正太郎と下町歩き」6回目、
一期の最終回。
浅草北部、三ノ輪から山谷堀に沿って、吉原。
昨日は吉原の別称、ナカ、にもなっている、引き手茶屋が
軒を連ねる、メインの通り、仲之町のことやら、書いた。





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江戸の地図



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吉原のことを書き始めると、切りがない。

私の場合、吉原に関するほとんどの知識は、
落語から得ている。

昨日も書いたが、江戸落語には吉原を扱った噺(はなし)は
ほんとうに、数多くある。(歌舞伎でも吉原は、落語同様に数多く
舞台になっているが、得意な落語で書かせていただく。)

人情噺だが「紺屋高尾」(「幾代餅」)同じく「子別れ」、
「文七元結」このあたりは、有名であろう。
少し、マイナーな噺だが、マニアの方はご存知であろう。
「松葉屋瀬川」なんというのもあり、圓生師匠のテープが残っている。
(あまり語られない吉原を、かなり細かく描写していて参考になる。)
やはり、廓(くるわ)というところは、人の様々な本性のようなものが
出てくる場所で、人情噺の舞台にしやすかろう。

普通の噺もいくらもある。

足りなくなった勘定をお客の家までついていき、回収する、
付き馬の噺、その名も、「付き馬」。先にも書いた「五人廻し」。
似たようなところで「三枚起請」。
それから自分の家の二階に吉原を作ってしまおうという、シュールな噺、
「二階ぞめき」。あるいは、「お見立て」「お直し」「錦の袈裟」
などもそうか。
先代文楽師匠が絶品であったが「明烏」。
あるいは同じく文楽師で「よかちょろ」。うるさい親父と若旦那の
やり取りが抱腹絶倒。これぞ落語!。(談志家元のものも◎。)
先に書いた「欠伸指南」のように、ちょいと、出てくるもの
まで入れれば、もうべら棒な数であろう。

落語では吉原以外の廓噺もある。
ついでなので、これも書いておこう。

吉原以外の廓?。先に、お前は、遊廓は江戸では吉原だけ、
と、書いたじゃないかと、いわれそうだが、
公に許されていたのは、吉原だけ、なのであるが、
限りなく公許に近い形で、遊廓と同様の機能を
果たしていたところがある。

それは完全な非合法の、いわゆる岡場所ではない。
これは、なにも江戸だけに限らない、日本全国ほぼ同様、
どこにでもあった。
どこあろう、それは、街道沿いにある宿場町。

宿場町の旅籠には飯盛り女郎(めしもりじょろう)などというが
女中兼、遊女というものを置くことが許されていた。
旅の途中、旅人、むろん男の、は、彼女らを買うことが
できたのである。
(一般の宿場では、飯盛り女郎を置かない純粋な宿屋もあった。)

と、いうことなのだが、江戸から一つ目の宿場は、
江戸も近く、いや、ほぼ、江戸なので、旅人が
泊まる宿場としては使われず、女郎を置く店、遊女屋、
宿場全体では吉原同様、遊廓として機能していたのである。

この宿場は、東海道、甲州街道、中仙道、日光奥州街道の
四つの街道で、それぞれ江戸から一つ目、すなわち、品川、
新宿、板橋、千住。
これらを合わせて、四宿(ししゅく)と呼んでいた。

これら四宿を舞台にした落語もある。

有名どころでは、品川を舞台にした「品川心中」。
それから、同じく「居残り佐平次」。どちらも名作だが、
「居残り」などは、数ある落語のなかでも、
一番好きなものをあげろといわれれば、私は迷わず「居残り」、で、ある。

(「居残り」は元来は圓生師だが、談志家元のものが、最高である。
CD、VTRも出ているので、是非一度、聴いていただきたい。
また、日本映画の往年の名監督、川島雄三がこの「品川心中」と
「居残り佐平次」をミックスした映画を撮っている。
「幕末太陽傅」というが、フランキー堺主演、
石原裕次郎なども出演した名作。これもおすすめ。)

または、新宿が舞台の落語は「文違い」なんというものもある。
これは、二人の馴染み客に親の具合がわるい、などといって、金を巻き上げ
自分が惚れている、目のわるい色男に、目を治すためといって、
貢(みつ)ぐ。だが、結局、色男、目がわるいというのも嘘で、
女も騙されていた、という。どうかすると、今でもありそうな、、。
騙し騙され、虚々実々。色と欲、金と見栄。
男と女の騙し合い、廓の世界、で、ある。

書き始めると、止まらないので、この辺で、
やめておこう。

『講座』であった。

吉原については、まあ、こんなところでよいだろうか。

そうである。『講座』の趣旨、池波先生と吉原の関連を
書いておかねばならぬ。

ファンの方はお気付きだろうが、鬼平も、剣客も梅安も、
主要三シリーズには、吉原は、ほとんど出てこない。
皆無ではなかろうか。

根津いろは茶屋、上野山下など、岡場所はよく登場することを
考えると、間違いなく、先生は意図して書いていない。
理由はわからぬ。(書けなかったのであろう。)

エッセイなどによれば、先生は、十代の頃(十五〜六、七)
吉原にはそうとうにお世話になっていた。

株屋の小僧をやっておられ、自分でも株で儲け、
儲かった金を、ドーンと、吉原のある店に預け、この中で後は、
よろしく頼む、なんという、遊び方をしていたという。

ちなみに、吉原というところ、初回、裏、馴染み、と三回通う。
(二回目を裏を返す、といい、三回目からが馴染み。
裏ぁ返さないのは客の恥、馴染みぃ付けさせないのは
花魁の腕のわるいところ、なんという言葉は落語でもよく出てくる。)

馴染みになり、さらに通う。とにかく、一人に通うもの、で、あった。
(もっとも、通わせる仕組みもあったのだが、、。)

〜惚れて通えば千里も一里 長い田んぼも一跨(また)ぎ

なんという、都々逸(どどいつ)を志ん生師は唸っていた。
田んぼとは、山谷堀、土手道沿いは田んぼ(吉原田んぼ)であったので、
そのことである。
(この都々逸、ほんとうは、下は、〜逢えずに帰ればまた千里、
の、ようである。)

通う、という遊び方が一般的で、馴染みになれば、その敵娼
(こう書いて、あいかた、と、読むのである。廓用語。)
以外には、その店はもちろん、吉原内でも他へは行かない、
というのがルールであり、マナー、で、あった。
(なので、じゃあ、今日は品川へ、行こうか!なんて、、。)

そういうことなので、池波先生の敵娼は、
同じ店で、ほぼ一人であろうと想像できる。
(まあ、これは実際にご自身でも書かれてもいるが、
この年齢なので年上の人であったという。)

また、吉原が登場する作品も少ないが、ある。

幕末から明治の剣豪、幕臣でもあった伊庭八郎を描いた
「幕末遊撃隊」など。
このあたり、廓の乙な、池波レシピ、浦里、なんというのもあり、
前に書いているの、こちらもご参照されたい。




今日は『講座』で喋っていない内容になってしまった。
池波先生の件などは、喋ってもよかった、、。

ともあれ。

今日はここまで。
つづきは、また明日。






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