断腸亭料理日記2011

上野の山、から

4月3日(日)

さて。

日曜日。

今日は朝から、4月の『講座』の資料作り。

基本はむろんできているのだが、
新たに調べ直しているのである。

午後、内儀(かみ)さんの希望で、
花を見に、上野の山へ出掛けてみることになった。

開花宣言は出たが、まだよくて2〜3分
というところではなかろうか。

晴れ間が出たりもしているが、気温は低い。

途中、稲荷町の床屋に寄って、上野駅前の歩道橋を渡り、
公園の黒門口から入る。

報道されているように、公園から宴会などの
自粛要請が出されているからか、例年よりも人は
少なめ、いや、半分以下、かもしれない。

いつもであれば、上野公園の中は、足の踏み場もないほど
皆、ブルーシートを広げ、そればかりでなく、
歩いて花見をしている人も数多くあり、アメ横の雑踏レベルで、
前に進むのも一苦労といった有様。

開花具合は、そこそこ、花見ができるかな、というくらいには
咲いている。

こんな中、気丈にもブルーシートの宴を繰り広げている人々もある。

西郷さん、彰義隊の墓、天海大僧正の塚、清水堂、下へ降りて、


五條天神、韻松亭、時の鐘、上野大仏、精養軒、と、
話をしながら、歩く。
まるで、内儀さんを相手に『講座』をしているようである。

お化け燈籠が右側にあり、上野東照宮が左。

東照宮の参道には、屋台店が出ている。
この参道には、先に書いたが、どれも慶安四年、
当社が創建された年に同時に諸大名達によって
奉納された灯籠がある。

そのずらっと並んだ、大名の名前入りの灯篭の前に
いか焼きなんぞの、屋台店が店を出している、のである。

酒井雅楽頭家本家二代目の酒井忠世奉納の、石の大鳥居があり、
その前から家格順に並んで、譜代、親藩、本殿前は徳川御三家の
銅の灯篭となっている。

今日、たまたま見つけたが、屋台店のある前の灯篭、
つまり、比較的外側に近いところで見つけたもの。

お読みになれようか。

池波ファンであれば、お分かりであろうか。
『真田太平記』のもう一人の主人公、そう、

“真田伊豆守○○朝臣信之”

と、読める。

真田幸村の兄、信州松代真田藩祖、真田信之である。

(○○が、どうも読めない。
他の文字が読めるのに、これだけ読めぬというのは、
ヘンである。もしやすると、消してあるのでは?という気もする。
真田家は豊臣姓を名乗っていたこともある、
という情報もあり、ここに彫り付けてあった豊臣を
後に、削り取られた、のでは、という気もする。)

ともあれ。
















こんな貴重な文化財の前で屋台店が店を出し、
灯篭にはビニールの紐を結びつけられたりしている。
嗚呼。

京都などではまず、考えられないこと、で、あろう。
これが上野の山というところ、なのである。

だが、寒さには勝てず、いか焼きの屋台の前の
テーブルに座り、熱いワンカップと、いか下足焼き。


少し、温まった。

せっかくここまで来たのだから、と、動物園も
覗いていかない手はなかろう。

西方より来日した、2頭、で、ある。
公開三日目。


4時閉園ということ。
あと1時間ほどである。

入って、長い列につくが、それでも、流れており、
比較的早く、パンダ舎の前に。


こちらがメスのシンシン。
オヤスミ中。


オスのリーリー。
まったく同じポーズで、同じくオヤスミ中。

まあ、相手は生き物である。
寝ていても、怒れない。


動物園側にある、五重塔。

前に書いたが、もともと江戸期には東照宮のもので、
明治になり、寛永寺、そして東京市に寄贈され、
今は動物園の敷地にある。

動物園にくる人も、違和感があろう。
元に戻せないのであろうか。

そのまま放ってある理由が、わからぬではないか。



ちょいと途中だが、今日はここまで。

明日につづく。








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