断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き2月 その1

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NHK文化センター、断腸亭の『池波正太郎と下町歩き』

新年度4月スタートのもの、2/22、参加者募集開始しました!

NHK文化センター

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と、いうことで、NHKの『講座』、来期も引続き、やることになりました。

50代、あるいは、私と同年輩、40代、お若い30代、方々も、是非。
月一回、第三土曜日、東京の町を歩いて、楽しく呑む会、と、
お考えいただければ、わかりやすいかと思います。
広くご参加いただければうれしいです。

断腸亭

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2月19日(土)

さて。

そんなことで、今期、あと二回になった、
NHK文化センターの「池波正太郎と下町歩き」2月。

今回は、地下鉄の月島駅集合で、佃から、
佃大橋を渡って、明石町、築地、木挽町。
食事は、銀座コアビルの中国料理・楼蘭。

いつものように、グーグルマップ。


より大きな地図で 断腸亭の池波正太郎と下町歩き2月 築地〜銀座 を表示

それから、今回、実際のルートをトレースする機能のあるサイトを
見つけたので、これでも作ってみた。


(写真でもトレースできるので、ちょっと、おもしろいので、
お試しを。)

江戸の地図


寒いには寒いが、天気は、晴れ。

どうも、やはり、私は晴れ男、の、ようである。
4月の開始から、一度も雨が降っていない。

月島駅の6番出口。
私は、大江戸線で到着。

今日の私のイデタチは、紺のウールの着物に
同じ布の羽織。(いわゆる、アンサンブルというやつ。)
紺の絹の襟巻。先月同様の、鳶のコート。
昨日買った、大野屋の白足袋に、雪駄。

月島の6番出口というのは、最も、佃に近い出口。
佃大橋と直角に交わる路地、で、ある。

11時、集合で、大橋とは反対側に、歩き始める。

真っ直ぐいくと、佃二丁目の信号のある交差点。
左側は、大きなマンション。

これと対照的に、この右側には、古い日本家屋が
ところどころあり、さらに、裏には、長屋、といってよい
家々が並んでいる。
戦災で焼けておらず、太い梁(はり)の震災後の建築の家屋もある。

二丁目の信号を左に入る。

すると、大きめの四つ角があり、行き止まりになる。

江戸の地図と、現代の地図を見比べていただきたい。
この行き止まりが、旧佃島の東の端。

つまり、今歩いてきた、佃二丁目も、月島も、
皆、明治以降の埋め立てによるもの、で、ある。

まず、このあたりの歴史に少しだけ触れてみよう。

ご存知のように、江戸の海、江戸湾、江戸湊は、
遠浅であった。特に、このあたり、湾の一番奥にあたるが
このあたりも同様、砂州であった。

江戸期でも隅田川河口のこのあたりは、
川底というのか、海の底というのか、が、浅く、
当時でも少し大きな船は、岸に近付けなかったという。

上方の酒だったり、米だったり、魚だったり、
様々な荷を積んだ船が大消費地江戸には集まってきたわけである。
しかし、とてもとても、岸に近付けず、大きな船は品川沖に係留し、
小舟に移し替えて、日本橋やら、浅草御蔵やらに
運んでいたらしい。

江戸の頃も、土砂を取り除き、水深を深くする、
いわゆる、浚渫(しゅんせつ)をしようと試みたことは
あったらしい。しかし、むろんのこと、当時は、人力で、
貧乏な幕末の幕府財政ではとても大きな事業はできず、
川底はどんどん浅くなるばかりであった。

これが、明治に入っても、実際のところ新政府も
金がないのは一緒で、抜本的な浚渫が始まったのは、
やっと、1880年(明治20年)前後。

ここから、浚渫とその浚(さら)った土砂で月島の埋め立てを行ない、
月島1号地から4号地に新佃島を加えた5区画の埋め立てが
終了したのは1931年(昭和6年)で、40年以上かかっている。

ま、ま、そんなことで、江戸を含めて明治20年までは、
佃島と北隣りの石川島しかなかったのである。
そして、この海上(いや、浅瀬)に、月島ができて、
その後、晴海その他、今の有明、さらに遥か彼方まで
埋立地が広がっていったのである。

お気付きになるだろうか。

明治、大正、昭和と、近代の東京の街の様変わりの様子と、
埋め立ての歴史は、若干、ずれている。
本格的な埋め立ては、戦後のこと、なのである。

あとで、触れることになるが、このずれがあり、
私も、今回調べて知ったが、戦後まで、この隅田川河口、
江戸前の海では、伝統の白魚が獲れていたのである。

そんなことで、佃島には入れなかったが、
今日は、ここまで。

また明日。







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