断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き2月 その10

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NHK文化センター、断腸亭の『池波正太郎と下町歩き』

新年度4月スタート。募集中!

NHK文化センター

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グーグルマップ。


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ルートマップ



江戸の地図


さて、引続き、2月の『講座』。

昨日は、築地市場。

お知り合いでもある、新大橋通りにある、
佃煮の佃茂さんから、再び歩き始める。

本願寺の前で新大橋通りを渡り、晴海通りまで戻る。

そして、晴海通りを北上。

しばらくいくと、松竹とADKのタワーが右側。
その先が、万年橋。

上の、江戸の地図にもあるが、
以前は、築地川。

今はご存知のように、首都高。

これを越えると、今は工事中だが、ご存知の歌舞伎座。

上の、江戸の地図でご覧になるとわかるが、
先の築地川があり、その西側に三十間掘がある。

その三十間掘の東河岸が、木挽町。
江戸の頃は、この河岸のすぐそばだけが町で
その背後は、武家屋敷。

明治に入り、この武家屋敷も含めて、木挽町に
なっている。

木挽町という名前は、比較的よく、歌舞伎芝居と
結び付けられる。今、歌舞伎座があるので、そうなのか
といえば、実は、そうではない。

江戸の頃から、木挽町は歌舞伎の町、で、あったのである。
江戸の地図、木挽町五丁目に書き入れたがが、このあたりに、
木挽町三座、と、呼ばれる芝居小屋があったのである。

ここは、今でいえば、昭和通り沿い、東武ホテルのある
あたりである。


江戸名所図会 木挽町芝居

・木挽町五丁目、木挽町三座

少し、江戸での歌舞伎の、そもそも、にも触れよう。
江戸の歌舞伎は、1624年(寛永元年)、中橋
(京橋と日本橋の中間あたり)で
猿若(中村)座が櫓(やぐら)をあげたのが初め。

その後、1634年(寛永11年)葺屋町(今の人形町)に
村山座(後の市村座)が開場。

1642年(寛永19年)。まだ二代将軍秀忠の頃。
江戸もまだ初期、と、いってよかろう。
この頃に、三十間掘の東側、木挽町に山村座が開場。
これが、木挽町の歌舞伎芝居の始まり。

次いで、1648年(慶安元年)同じく木挽町に河原崎座が開場し、
木挽町には二劇場が集まった。

さらに、その後、1660年(万治3年)同じく木挽町に
森田座が開場。

これで山村座、河原崎座、森田座が揃い、
木挽町三座と呼ばれ、木挽町四丁目から五丁目は
芝居茶屋などが軒を連ね、葺屋町、堺町の芝居町と
並ぶほどのにぎわいを見せ、「木挽町へ行く」といえば、
芝居を観に行くことであったという。

当時はいわゆる元禄文化華やかなりし頃で、
ちょうど初代團十郎が活躍したのもこの頃である。

3年後の1663年(寛文3年)、河原崎座は後継者がなくなり、
森田座が吸収、再び木挽町は森田座、山村座の二座となる。

そして、将軍家宣から、家継の時代になってくる。

1714年(正徳4年)、江戸城大奥と、歌舞伎界を巻き込む大事件、
そう、ご存知の絵島生島事件が起きたのである。
(詳細には触れぬが、大奥の御年寄、実力者である絵島が
月光院の墓参代参の帰りに江戸城出入りの呉服屋の手引きで
木挽町の山村座に寄り、その後、目当ての役者、生島を料理屋に
呼び宴会、挙句の果てに、大奥の門限に遅れてしまった、
という事件。)

これに連座し、山村座は取り潰しとなってしまう。

これで木挽町は、森田座一座となってしまい、
芝居町は、次第にさびれていく。

このことは幕府にとっても治安維持の観点からも
よろしくない。廃座になっていた河原崎座の二代目に再興を許し、
森田座の控え櫓とした。

以降、天保の浅草猿楽町に江戸三座が集められるまで
森田座もしくは河原崎座、どちらかが、
木挽町で劇場を開いていた。

さて。天保改革による歌舞伎劇場の浅草集中も、
江戸幕府瓦解により、文字通り、歌舞伎界も
大きく変わった。

明治に入り、1872年(明治5年)、森田座はいち早く、
浅草猿楽町から出る。

移転先は、森田座発祥の木挽町からもほど近い、新富町。
今の町名でも新富町だが、堀の北側。
当時は、このあたりに新島原という遊郭が設けられていた頃、でもある。

1875年(明治8年)、森田座は、新富座と名前を改めた。
その後、新富座は1910年(明治43年)、松竹の傘下に入り、
震災で倒壊するまで劇場は続けられた。

現代の歌舞伎座の定式幕の「黒・柿色・萌葱色」は、
この新富座・森田座から続くものが使われている。

つまり、今の松竹の運営する歌舞伎座は、
森田座からの直系、ということになる。

と、いったところで、今日はここまで。

明日は、いよいよ、銀座コアビル、R。










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