断腸亭料理日記2011

壽 新春大歌舞伎 その3

引き続き、正月三日の新春大歌舞伎。

昨日は、『御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)』の
芋洗い=一口から、東京の坂について、少し考えてみた。

今日は、残りの二幕のこと、やらを。

二幕目は『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』
の『三笠山御殿』という幕。

これは、白状をすると、筋書き、を読みながら観ても、
さっぱり、わからなかった。

後で、筋書き、にある、解説を読んで、
やっと、わかった、という、ていたらく。

なにかというと、舞台は、古代の蘇我入鹿のいる時代。
歌舞伎に、そんな時代があったのか、というくらいである。

そして、蘇我入鹿の時代に、この作品が書かれた当時の、
江戸時代の人物が、迷い込む、という設定。

いわば、ファンタジー。

本当は、なん幕もある作品の内の一部で、
もしかしたら、全部を観れば、もう少し、理解できる
のかもしれぬ。
また、脚本自体が、上方(かみがた)、で書かれたもののようで、
これもわかりにくくしている一因のような気がする。

江戸歌舞伎の荒事、と、いうのは、見た目が派手で、
そういう意味では、わかりやすい。
『妹背山婦女庭訓』は、上方のものだからか、
同じような長いセリフのやり取りが多く、
きつかった、、。

きちんと、下調べをしてくるのであった。

そして、もうひと幕は『寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)』。

これは、わかりやすい。

歌舞伎をある程度、ご存知の方であれば、
知っていることだと思うが、江戸の頃、
正月の興行は、必ず、『曽我』もの、を演る、という。
これがお約束であった。

『曽我』と、いうのは、曽我五郎、十郎兄弟の
仇討の話である。

正月は『曽我』を演っていた、というのは、私も、
橋本治氏の「大江戸歌舞伎はこんなもの」

を読んで、知っていた。

これを、下敷きにしている。
(もしかすると、この前の幕も、蘇我入鹿の出る話で、
字は違うが『曽我』つながりであったのかも?)

これは、お話は、とても単純。
曽我兄弟が敵(かたき)の工藤祐経と対面し、
敵、と、名乗るのだが、祐経は、自分には大切な役目があり、
それが終われば、潔く、討たれてやる、という。

で、

『「まず、それまでは」

 「方々(かたがた)さらば」』

と、幕になる。

まあ、よい話、なのであろうが、
よくよく考えると、

なんじゃそりゃ、?。

これで終わっちゃうの?

仇討はどうなるのだ?

と、思う。

橋本治氏が書かれているのは、偉大なるマンネリズム。
毎年、毎回、おんなじことの繰り返し。

これが、よかった、というのである。
なるほど。寅さんや、水戸黄門のようなもの?。

言葉を変えると、様式美、ということになるのか?。
(ちょっと、違うような気もするが。)

私の、わかるフィールド、落語にも、歌舞伎芝居を
もとにした、ねたは、少なくない。

先の、「まず、それまでは」のセリフ。
落語の中で、聞いたことがあったのである。

圓生師の「掛取(かけと)り万歳」で、ある。

この噺は、暮、借金取りが、沢山押しかけてくるのを
その取りにくる人の、好きなもので、断ろう、
というもの。

たまった店賃を取りにくる大家には、
狂歌が好きなので、

貧乏の 棒も次第に長くなり 振り回されぬ年の暮かな

貧乏も しても下谷の長者町 上野の鐘(金)のうなるのを聞く

と、いろんな狂歌で、断る。

そこで、芝居の好きな酒屋には、
芝居をして、断る。

芝居仕立の金がないことの言い訳がいろいろあって、
最後のセリフが、

「まず、それまでは、

お掛取り様、、、」

と、これで、芝居好きの酒屋は、よろこんで帰っていく。

私にとっては、

は〜〜〜。

そういうことだったのか。

で、ある。
(『掛取り』は落語でも、さほど、有名な噺ではないので、
だれもおわかりにならぬかもしれぬが、、、)

『まず、それまでは、、』

と、いうのは、決まりゼリフであった。

これを聞きたくて、観客は、
この芝居を観にきていたのである。

様式美、かどうかは別として、日本人というのは、
こういう、決まり、の、ものが好きであったことは、
間違いない。

橋本氏も書かれているが、
ことに、江戸の頃は、鎖国の時代。
社会というものは、ほぼ固定されていた。

職人の家に生まれれば、職人になるし、
武士は親の身分や禄(給料)を、そのまま受け継ぐ。

努力をしても、しなくとも、同じ。
変わらない。

そういう社会では、むしろ、変わらないことが
よいことであり、正しいこと、に、なる。
そして、かわらないことを、皆、求めるようになり、
そこに、安心感を見出すようになる。

よくもわるくも、確実に、我々日本人のメンタリティーには
変わらないことを求める、という、超保守的な部分が
ある、のであろう。

平成の開国、もよいのだが、もう面倒だよ、
ガスも、電気も、電話も、インターネットもいらない。
もう一回、鎖国でもしようよ。

なぁ〜んとなく、そんな空気が、今の日本にもあるような
気がしてならない。


ま、ま、そんなことを考えた芝居であった。










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