断腸亭料理日記2011

談志がシンダ。4

談志師匠が亡くなって、
落語家立川談志の落語界においての
功績を考えてきた。

それにつけても、家元も若かりし頃から考え続けてきた、
落語ってなんなのか、これをもう一度考えてみなくては
いけないのだろうと、思っているのである。

家元は一生を賭けて、落語に取り組んできた。
落語に命を賭けたといってもよいだろう。

落語とはなんなのか、というのは、落語がこの世の中にある意味、
と言い換えてもいいような気がする。

昨日考えたように、談志師匠の死、とともに、
落語というのは、急速に色を変えていくだろう。
場合によっては、色を変えるだけでなく、
もっともっと、衰退していくだろう。

ある意味、これはもうどうしようもないことだとは思う。

しかし、談志師が命を掛けた落語とはなにか。
この世の中にある意味、があるのである。
どうしても次世代に残さなければならないものが、
あると、私は思っている。

立川談志という落語家に多大な影響を受けた私は
これを大袈裟にいえば、私のできるやり方で、
次世代へ伝えなければいけないと、思っている。

その本体はなんなのか、これを考えてみたい。

落語がこの世にある意味、というのは、現代的には
あるであろうか。

それこそ、昨日書いたように、40年前であれば
落語は、東京では、皆のすぐそばにあり、落語が
存在する意味など考える必要もなかった。

おそらく、今は、ここから考えなければいけなかろう。

今の例えば、20代の若者に聞けば、むろん、落語は
知っていても、笑点?ぐらいなもので、
実際に聞いたことのある人は、1割にも満たなかろう。
漫才、コントなど、いろいろあるお笑いのジャンルの
一つ、ぐらいなものであろう。

つまり、一人でなにかおもしろいことをいう、芸人。
(ピン芸人)まあ、そんなものであろう。

ピン芸人の1ジャンルならば、なにも着物を着て、
座布団に座ってやる必要はない。
立ってやってもいい。

昔からいわれてきたことであるが、
落語にある新作、というジャンルは、
このピン芸人の1ジャンルとほとんど、差はない。

むろん、新作落語も話芸としての落語という約束事を借りて
いる、という違いはある。例えば、右を向いてAさんを演じ
左を向いてBさんを演じる、という、上下(かみしも)を切る
という、約束事が落語にはあるが、新作落語もこれを
そのまま使っている。

しかし、これだけなら、なにも座って、着物を着る必要はない。
現代のことを語るならば、むしろ、着物は邪魔であろう。
不自然である。立って、上下を切ってもよい。
古典がほとんど知られていない今、なんだか
よくわからないことになってきている。

新作落語というのは、あくまで、古典があっての新作であることは
いうまでもない。
今、新作を演じている落語家も、それはよくわかっている
であろう。
新作とはいえ、あくまで着物を着て落語の約束事のもとで
落語をしているのは、落語という形が好きだから、であろう。
もっといえば、古典を本当はしたいのだが、自分には
向いていないので、新作をやっている、という人が
おそらく多いと思われる。
(春風亭昇太師などは、若かりし頃、やはり談志師にやられて
落語の世界に入ったと聞いたことがある。)

やはり、あの、着物を着て、座布団に座って、という
落語の形式に、意味があるのである。

そして、あくまでも噺は古典。
古典落語とはなにか、が、落語とはなにか、と
言い換えてよいと、一先ずはしよう。
(いや、ひょっとすると、その内、新作の方が力を増し、
あくまでメディアとして、表現手法として、落語が残る
そんなことにもなるかも知れぬが。)

今回『談志がシンダ。』の2回目であったか、
そもそも、談志師の功績として、芸人(=演者)自らが、
落語とはなにか、ということを正面切っていい始めたことを
挙げた。

この時に、いくつか、キーワードを出した。
一つは、落語とは人間の業の肯定である、というもの。

あまりにも有名だが、談志師が若かりし頃出したもの。

しかし、この時も書いたが、実際には
『業の肯定』だけですべての落語をくくるのは
あまりにも乱暴で、無理がある。

そんなものを扱っていない噺も少なくない。
『業の肯定』は落語の大事なテーマの一つだが、
これだけではない、ということ。

そしてもう一つ書いた。
これも談志師の提出したコンセプト『テーマ』。

この噺では、これが言いたい事(=テーマ)である、と。

これも、やはり、無理がある。
テーマのない噺だって多い。

今日は、結論からいってみよう。

私が今、考える、落語とはなにか。
言い換えると、落語が存在している意味。

下の図のようになるように思われる。


図の見方を説明すると、(古典)落語すべてに
共通するものは、「江戸の風(=江戸伝統演芸)」。
そして、下敷きになっているのは「江戸・東京下町人の人生観」。

そして、笑い。笑いがない落語というのは、ほぼ、ない。
人情噺でも笑いは必要不可欠。
ここまでは、ほぼどの落語にもあるもの。

そして、まあ、ないものもあるが「落語の了見」。
さらに、その中に談志師のいった「業の肯定」がある。

すべての落語は範囲は色々だが、この四角のなかのどこかに
入っている。
(なにか、あたり前じゃねぇか、といわれそうだが。)




長くなった。

一応、先に結論を出したので、
この後は明日に続けよう。








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