断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き 9月

その4

9月17日(土)

引き続き『講座』。

甘酒横丁と人形町通りの交差点。
これを左に曲がる。次は、水天宮。






人形町という町名は、昭和になってからできたものである。
ただ、上の江戸の地図、上の方を見ていただければわかるが、
江戸の頃から、この通りは、人形町通り、と、呼ばれていた。

これは、人形作りの職人が、あるいは、人形遣いが多く住んでいた、
人形の市が立った、など、いろんな説があるが、
はっきりしたことは、わからないというのが、正しいように思う。

この人形町通りは今も、味のある店が
たくさん並んでいる。

私などは、わしや、というお惣菜や漬物、佃煮を
扱っている家が好きである。
なんでもうまい。

人形町というところは、戦災で焼かれていない。
それで、少し前までは、神田の須田町などと同じように
昭和初期の古い木造の家が随分と残っていたものである。

今は建て替えられて、面影はほとんどないが、
それでも、同じところで同じ商売を続けている家も
多いのだろう。それで、味がある。

新大橋通りを渡った左手が、水天宮。

急な石段を上がって境内へ。

水天宮様。
私、このあたりはよくうろうろしていたし、
存在は知っていた。また、落語などにも名前はよく登場し、
そういう意味ではとても、馴染み深いのだが、実は、
境内に入るのは初めてである。
なぜか?。まあ、簡単な話、子供がいないからである。

そう。

ここは、安産の神様。
妊婦さん達が、安産を祈願する。
昔からのことである。

今回、調べて、私も初めて知った。
水天宮様の由来、である。

祭神は天御中主命(アメノミナカヌシノカミ)と安徳天皇、建礼門院、
二位の尼。(二位の尼は平清盛の正室時子)。

ほう。実在の人であったか。

建礼門院(平徳子)は清盛と時子の娘。
高倉天皇の中宮となり、安徳天皇の母。二位の尼、
安徳天皇はともに壇ノ浦で入水。

そうそう。祇園精舎の鐘の音、、
平家滅亡、悲劇の人々。

建礼門院は生き残り、京都へ戻り59歳まで生きたという。
(これも、私は、知らなかった。)

総本社は福岡県久留米市。(へ〜、知らなかった。)
総本社の社伝によれば、建礼門院に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた
按察使の局伊勢という人があり、この人が現筑後川のほとりの
とあるところに逃れ、安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を
建てたのがはじまり、という。

それが慶長年間というから、太閤秀吉政権末期から、
家康が征夷大将軍になった頃。久留米に遷り
筑後久留米藩二代藩主有馬忠頼によって社殿が整えられたという。

その後も久留米藩歴代藩主により崇敬され、九代藩主頼徳の時、
文政元年(1818年)に芝増上寺の南にあった久留米藩江戸屋敷に
分霊を勧請した。これが江戸の水天宮のはじまり。

江戸でも町人に信仰者の多い水天宮への一般参拝が許され、
毎月五の日に開放された。

有馬家の会計記録には「水天宮金」という賽銭や奉納物、
お札などの販売物の売上項目があり、
その金額は安政年間の記録で年間2000両に上り、
財政難であえぐ久留米藩にとって貴重な副収入だったようである。

『おそれ入谷の鬼子母神』『びっくり下谷の広徳寺』
『どうでありまの水天宮』、または『情けありまの水天宮』の
地口も有名。

明治4年(1871年)、有馬家屋敷の移転とともに
赤坂に遷座し、さらに翌年、有馬家中屋敷のあった
現在の日本橋蛎殻町二丁目に移転した。

と、いうことで、ここにきたのは、
明治の初め。

武家屋敷の神社は他にも、ある。
前にこの講座でもいったが、虎の門の金毘羅様。
これは、讃岐丸亀藩の屋敷の中で、彼らも、
金毘羅様のお賽銭やらは、随分あてにしていたようである。

ということで、水天宮で、一休み。

いや〜、暑い暑い。


そうそう、余談だが、水天宮のイントネーションのこと。
これも触れておきたい。

皆さんは、su-i-ten-gu、のどこにアクセントを置くだろうか。

一般には、平板だが、どちらかといえば、te、であろう。
これは東京でも山手のアクセントであろう。

落語などに出てくるアクセントは、頭の、sui、を早口に
(二重母音のように)続け、ここにくる。
(おわかりになろうか。)
こちらは、東京下町アクセントといってよいのかもしれない。
(あるいは、江戸弁ともいえるか。)

他にも、三ノ輪や、伝法院など、山手の人、下町の人間を
見分ける言葉は、意外にあるものである。




と、いうことで、今週はこのへんで。
人形町の本題ともいえる、旧芝居町と
元吉原のことなどは、また来週。
乞うご期待。










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