断腸亭料理日記2012

松川二郎著『全国花街めぐり』











さて。

今日は、表題にある通り、松川二郎著『全国花街めぐり』
(誠文堂)という本のこと。


この本の宣伝でもタイアップでもない。
なぜなら、昭和4年発行の本だから、古本で手に入れるしか
ないし、私もそうした。
(と、思ったら、復刻版が出ているよう。)

ここなん回か、向島の玉ノ井だったり、下谷だったり、
旧花街、(玉ノ井は花街というよりは、色町か。)のことを
書いている。

まあ、こういうものを書くねた本、といってもよいもの。
従って、今日はねた明かし、では、ある。


(この機会に書いておこう。
花街、と、いつも漢字で書いているが、これは普通はハナマチと
読むことが多く、私もその読みで使っている。
ただし、これを音読みして、カガイ、という場合もある。
特に、京都大阪など関西では比較的こちらの方がメジャー
だったのかもしれない。)

この本の発行された昭和4年は、むろん戦前。
関東大震災の後。

まあ、東京などでは、大正から昭和の初め、
花街が隆盛を極めていた頃、と、いってよい時期。

古色蒼然とした箱入り、布製の装丁で豪華な感じであるが、
中身は軽いもの。

全国と銘打って、青森の弘前から、長崎の丸山、
隈なくではないようだが、日本中の花街のまあ、案内書。
今でいう風俗案内といってもよいものかもしれない。
玉代、箱代、祝儀の相場(つまり芸者遊びにかかる費用)から、
その土地の主な料亭、待合、果ては人気芸者さんの名前まで
載っている。

毎度書いているが、東京の街の、特に盛り場の成り立ち、
歴史、文化を考えるには、花街を抜きには語れない、
と、私は考えている。

が、ほとんど記録に残っているものはない。
あるいは、現代においては、花街は、いわく江戸の文化香る、
などと、妙な誤解をされて語られていることも少なくない。

こういったことを正しく明らかにするためには、
この本は貴重な史資料、と、いってよい。

ただし、基本はお慰みのご案内なので、信憑性という意味では、
相応の割引は必要と思われる。

そもそも、なんで私がこんな本に行き当たったかというと
これには、さらにねた元がある。

それは毎度紹介しているが、立命館大学助教の
加藤政洋という先生。

この先生の専門は人文地理だが、都市文化を専門にしており、
特に、花街の研究がユニーク。

この先生の論文

花街 異空間の都市史 (朝日選書785)

この仕事は、花街について体系的に調査、考察され、
私などには目からうろこ、これが知りたかったんだよ、
という内容のものであった。
そして、この中の参考文献にこの『全国花街めぐり』があり、
一次史料にあたらねばと、手に入れてみた、のであった。

全国であるから、むろん東京も京都、大阪もある。

東京は市内25ヶ所、府下10ヶ所。

実際は市内28花街などといったりもしたようだが、
この本で章立てされて出てくるのは、25ヶ所、で、ある。

試みに、書き出してみよう。

市内、

新橋、柳橋、浜町、芳町、日本橋、赤坂、池の端、浅草公園、神楽坂、

富士見町、四谷荒木町、四谷大木戸、麻布、白山、駒込新明町、湯島天神、

講武所、烏森、新富町、霊岸島、深川、向島、吉原、洲崎、新宿。

(この他に、芝神明、芝浦、飯田河岸あたりが入って、28なのかもしれない。)

府下、

品川、五反田、目黒、渋谷、玉川、二子新明町、調布、玉ノ井、青梅、八王子。

皆さんは花街であったというこれらの街をご存知であろうか。
むろん、今もある街の名前も多い。

名前がわかるところであれば、今、その街のどの辺りが花街であったのか
おわかりになろうか。

また、今はなくなった町の名前もあり、わからないところも
あると、思われる。

いまだに流れを汲んだ盛り場であるところもあるし、
今は、まったく面影もないところもある。

市内だと、富士見町なんというのが、わかりにくいかもしれない。

富士見町は今の千代田区、九段南。
靖国神社のちょうど靖国通りをはさんで反対側の一画。

富士見町という町名自体は、今は飯田橋寄りに残っているが、
昔は、このあたりから富士見町であった。

今は、あのあたりオフィス街といってよく、ほとんど痕跡はない。

また、麻布。

ここなど私はこの本で知った。

その説明を、ちょっと、書き出してみる。

『二の橋から仙台坂へ向かっての横町を、一歩露地へ踏み込むと、

所謂(いわゆる)江一格子(えいちごうし)の二間間口に磨(すり)

ガラス丸ボヤの御神燈(ごじんとう)がズラリと並んで、問はずとも

狭斜(きょうしゃ)の巷(ちまた)であることを象徴している。』

などと書かれている。

これ、大体が、意味がおわかりになろうか。
いかにも芸者屋(待合?)というたたずまいを説明している
ことはわかるだろう。

江一格子というのは物の本によれば、
『細い桟を縦にごく狭い間隔で打ちつけた窓格子』
ということで、中からは外が見えるが、外からは見えにくい、という。
この商売の特有の格子窓、であろう。

二間間口、はよかろう。

磨ガラス丸ボヤ。

ホヤは、ランプを覆うガラス。

これが丸くて、くもりガラス。

御神燈というのは本来は提灯。広くは、お祭りの提灯あたりを
いうと思われるが、江戸・東京では、例えば清本の師匠といった、
芸人だったり、あるいは、鳶の頭などの、まあ、粋筋(いきすじ)
の人が門口(かどぐち)に下げたものであった。
この場合は、芸者屋を現すものであろう。

で、その御神燈を模したランプがあったのであろう。

狭斜の巷、は、これだけで、色町、遊郭のこと。

二の橋、仙台坂といえば、あのあたり、今では、ハイソ?または、
お洒落な街である。

さて。

府下、では、品川。品川は、旧品川宿の準遊郭、で、おわかりに
なろう。

当時とすれば、新開地であった五反田、なども、そうであった。
まあ、五反田は今でも、ラブホテルがあったり、また、
いわゆる風俗のメッカだったりするのは、この流れ、
なのであろう。



まだまだ、花街のこと、書きたいことがたくさんあるが、きりがない。
また稿を改めるとして、今日はここまでとしよう。







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