断腸亭料理日記2012

断腸亭の夏休み イタリア その17

8月16日(木)〜17日(金)

引き続き、イタリア、シシリア、タオルミーナ。
いよいよ今日は、イタリア最終回!。

タオルミーナの裏にそびえる山の上にある
マドンナ・デラ・ロッカ、という教会まで上がってきた。

それにしても暑いので、近くにあった、お爺さんが
やっている小さなお店で、水を買って、教会の日陰で
一休み。(water!、と英語でいうとacqua? と聞き返されたので、
Si`. Non gas!)

ここまできたら、この上にある城塞まで
上がらねばならぬ、とは思うのだが、また、この山道を登るのかと思うと、
なかなかに決心がつかない。

ここに座っていても、そうそう観光客は多くはない。
なぜであろうか。下の、タオルミーナの街の賑わいから比べると、
驚くほど。
歩いて登らねばならぬので、面倒がって、
上がってこないのかもしれぬ。

気を取り直して、登り始める。

登り始めると、意外に早く登れそう。

九十九折の登山道をなん回か曲がると、
城郭の門があり、そこから先は石段なのだが、
なんと、その門には鉄格子があり、そこには
がっしりと鍵がかかっている。

門の鉄格子の間から、写真を撮ってみた。

ここまで登ったが、残念。あきらめるしかあるまい。

しかし、こんな高いところまで
よくまあ、石を運び上げたもの、で、ある。

ギリシャ、ローマ時代からなんらか、ここにあったようだが、
今残っている状態になったのは、アラブ人占領時代、3世紀頃
と、いわれているようだが、はっきりしたところは、不明のよう。
その後、11世紀、シシリア島全体が、ノルマン人に統治された
時代に要塞として使われていた、ということである。

降りてくると、ちょうど、教会の屋根を見下ろす位置。


サボテンもある。

これもまた、絶景。

すると、どこからか音楽が流れ始めた。
少し聞いて、慌てて動画で撮ってみた。

シューベルトのアベマリア、で、あったろうか。

12時?。

観光客用の演出なのか、地元の人のためのものか、
わからぬが、よいタイミングで通りかかったもの、
で、ある。

さて、下山。
登るのはたいへんだが、降りるのは
あっという間。

昼飯は、帰る準備、パッキングをしなければならないので
レストランではなく、なにか買って部屋で食べることにする。

ホテルそばのBar(バール)で買った。

右側が、pizzaloという、二枚のピザで
具をはさんだようなもの。
具は、ハムとチーズ。シシリア独特のもののよう。

左は、パイ生地で具をはさんだ、キッシュのようなもの。

さて、夜。

今日は、もう面倒なので、ぶらぶら歩いて、
目に付いた店に入った。

道路に出してあるテーブル。

最初は、前菜盛り合わせ。


カポナータやら、サラミ、茄子の焼いたの、
オリーブ、チーズなど。

そして、一番安心して食べられる、最後はこれ。


スパゲティーボンゴレ。
シシリアでは、これが一番、うまかった、かもしれない。

ここのものはトマトも多少入っているが、
基本は、さっぱり系。

やっぱり、こういうさっぱり系が、うまい。


翌朝。

帰りもバスだが、7時と早い。

朝食も食べられず、チェックアウトし、
タオルミーナの小さなバスターミナルまで。

ここに小さなBarがあり、



なにか食べるものはないかと、のぞいてみる。
夏のシシリアの朝食というと、ブリオッシュと
グラニータ。

ブリオッシュはご存知の玉子の入ったパン。
これはイタリアのもの。

グラニータはシシリア発祥のアイス。
これはジェラートよりもさらに柔らかい。
グラニータをブリオッシュにつけて食べる。

店のテーブルではおじさんが一人で食べていた。
お!、これだ、やってみようか。

グラニータは持ち帰れるものを買う。

 

ホテルで食べたブリオッシュは日本で食べるものと
同じような形をしていたが、ここのはこんな形。
グラニータはカップ入り、エスプレッソ味。


まあ、想像通りの味。
パンは間違いなく、ブリオッシュで、アイスは
かなり柔らかい。
トルコのアイスが日本でも少し前に流行ったが
あんな感じで、とろみがある。
夏の朝飯にこういうものを食べるのは、
ちょっとよい、かもしれない。

バスがきて、乗って、来た道同様。
そして、カターニアからローマ、待ち時間もさほどなく、
ローマから成田まで直行。


お疲れ様でした。

 

と、いうことで、断腸亭の夏休み、イタリア、
ローマとシシリアのリゾート、タオルミーナ
一巻の読み切り。

私にとっては、ほぼ初めてのヨーロッパ。
いろいろな意味で収穫があった。
ローマでも、シシリアでも、今までは、ほぼ忘れて生活していたが
自分自身がカトリック信者、である、という意識が
はからずも自覚されたこと。

また、シシリアのリゾート、タオルミーナでは、
絶景の海と山と街で、思いっきり、ぼんやりと
すごすことができた。
(NYCバレーを古代ギリシャ劇場で観ることができたのは、
僥倖と、いえよう。)

また、ローマでもシシリアタオルミーナでも、ともにそうであったが、
人々の対応で腹が立つ、ということも皆無で、あらためて
イタリアの人々のフレンドリーさを感じることができた。
おそらく、他の欧州の国々ではこうはいかなかったのではなかろうか。

さて。

最後になったが、イタリアで気になった、日本の木の文化に対して、
こちらの石の文化のこと。

イタリアというところは、古代からの文化先進地であり、
そうであるがゆえに、外敵の侵入、内部での戦乱を
繰り返してきた。

タオルミーナでもそうだが、わざわざ、山の上に
街を作ったのも、そういう側面があったのであろう。

また、石で家を作るというのも、そういうことであろう。

これに対して、我国は、地政学的に絶妙な位置にあり、
中国の先進文化を享受しながらも、侵略されることもなく、
鎖国をしても生きてこれた。
それで、木で家を作っても、なんら問題はなかった。
そういうことなのであろう。

そこから今、私達が考えるべきことはやはりあるだろう、
ということに思いが至る。

おそらく、世界でも稀有な木の文化の我国だからこそ
石の文化の人々とは違う哲学があるはずである。
そこから、世界に対してできることがきっとある、と、思うのである。
今、私達は、それを考えねばならなかろう。
妙な話だが、イタリアへきてそんなことを考えた。

 

長々、お付き合いただいた方々に感謝をしたい。

明日からは、また、相変わらずの
断腸亭料理日記に。

引き続き、ご愛顧を!。


 


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