断腸亭料理日記2012

断腸亭の夏休み イタリア その2

8月10日(金)

さて。

引き続き、断腸亭の夏休み。

ローマ二日目。

ローマで観光のできるのは二日間のみ。
今日と明日。
明後日は、シシリアへ移動日。

二日間でローマでなにを見るか。

こうなると、もうある程度、決まってきてしまう。

で、重大なことが1点。
なにを隠そう、私、カトリック教徒、なのである。

が、まあ、実際は、両親がカトリックだった関係で、
幼児洗礼(生まれてすぐの洗礼)を受けたもので、
教会にはこのなん年もご無沙汰、という、信者とすれば、
まったくの不熱心なもの。

しかし、兎にも角にも、いくら不熱心とはいえ、
ローマにきたからには、パパ様(ローマ教皇)のおられる
バチカンには真っ先に参らねばならないのは、いうまでもなかろう。

そこで、今日一日は、バチカンへ、と決まった。
さらに明日は、お決まりのコロッセオ周辺。
まあ、これが順当なところ。

地図を広げ、予定を立てる。

バチカンは今いるテルミニ駅から地下鉄で四つ五つほど。
その途中、内儀(かみ)さんがどうしてもいきたいという、
最近頻繁にCMに登場する、トレビの泉へ。

ローマには地下鉄は2本だけ。
東西線と南北線、という感じであろうか。

地下鉄には1日乗車券もあり、4回以上乗るのであれば、
これがお得のよう。

二駅乗って(実は、乗る線を間違え、戻ってきて、
また乗り直したりしている。)、降りる。

どうでもよいのだが、初めてのイタリアの街で、
それも地下鉄、当初、↓このuscita、の表示が
わからないかった。


citaはcity なので、これがどこかの特定な場所を指し示す、
のかと思ったのである。が、なんのことはない、出口、の、こと。

もう一つ、via という単語。
地下鉄の出口表示にも、via○○、などと書いてある。
viaは、ご存知の通り、英語では、経由、という意味。
それで、やはり、○○は地名で、○○方面かと思った
のであった。

が、やはりイタリア語では異なり、通り(road もしくはstreetか)
の意味。で、なんのことはない、via○○で、○○通り。

ともあれ。

地上へ出て、出たところで、人に聞く。

ローマの人、いや、これも滞在中ほぼずっとそうであったが、
イタリアの人々、実に親切でフレンドリー。
いやな顔一つせず、面倒くさがらず、むしろ、笑顔で
教えてくれる。

おお、これこれ。

Fontana di Trevi。


そして、少し歩いて、たどり着く。


これ、広場(イタリア語でpiazza=ピアッツァ)なのだが、
結構狭い。

もともとは、古代ローマの頃のものに歴史はさかのぼるようだが、
今の状態になったのは、250年前の1762年という。
日本史でいえば、宝暦の頃で吉宗政権と田沼政権のあいだ頃。

紀元前、7世紀とか5世紀という、古代ローマからのローマの
長い歴史の中では、比較的最近のもの、と、いうことにもなろうか。

真夏の街歩きは、イタリアでなくともそうであろうが、
あたり前のように、暑い。

幸いなのは日差しは強いのだが、湿度は低いようで、
日陰に入り、風でも吹いていれば、日本の真夏よりは
よほどすごしやすい。

このトレビの泉前の建物の日陰で、一休み。

ここからは、ついでなので、歩いていける、
スペイン広場へ。

Piazza di Spagna。


スペイン広場の名前の由来は、このスペイン大使館があるから
ということ。


この階段の上が教会で、ここも、映画ローマの休日にも出てくる、
有名なところ。

この階段の完成は、1725年(享保10年)でやはり先のトレビの泉と
同じような年代。

ついつい、日本だとどのくらいの年代かと、
計算してしまう。
私のタイムスケールはやはり、そうできているようである。
それで、なんとなく、このくらいの時期か、というのが、
体感的に理解できてくる、ので、ある。

さて。

スペイン広場には先ほどの地下鉄の駅があり、
そこから再び乗ってバチカンへ向かう。

三つほど乗って、バチカン最寄駅で降りる。

最寄といっても、15分程度であろうか、
少し歩く。

しばらく歩くと、城壁が見えてくる。
暑いので、脇にあったself service と英語で書かれた、
カフェというのか、バール(Bar)というのか、へ、入って一休み。

不熱心とはいえ、自分でもカトリック教徒である、という
意識はあり、バチカンの近くにくると、さすがに、
緊張というのか、厳粛な気持ちになる。

私自身、教会へ行っていたのは、親と一緒に、であったので、
中学生の頃までではあろうか。
なぜ行かなくなったのか、というのは、
誰でも憶えがあろうが、思春期になり、親離れを始めた頃、
ということが一つ。

もう一つは、ある意味、カトリックの教えに
疑問を持ったから、ということ。
この疑問、というのは思春期、ということともある程度
重なっているのだが、難しくいえば、自己の確立とともに
教条的なものへのある種の自然な反発ということであったのだと思う。

今のカトリックは比較的、緩くなっている、と、
思われるが、当時はまだまだ、それこそ中世以来の
天動説を信じていたような教義というのか、規範を
維持していた部分が多かったのである。

身近なところでは、中絶、離婚、自殺、安楽死はダメ。
(これらは今でもそうかな。)

進化論なども、それこそ、アダムとイブから始まり、
人間は神が創りたもうたもので、教義には反する。

まあ、これらは一例だが、明らかにおかしいだろ、
そんなものを一方的に信じられるか、といった心境であったと
思われる。

今となっては、カトリック教会自体も変化しているだろうし
大人になった私であれば、それはそれとして、
と、カトリックというものを理解することはできるようには
なっている。

バールを出て、城門をくぐり、ちょうど、向かって右手から
かの、サン・ピエトロ(日本語のカトリック式にいうと、
聖ペトロ)広場へ入り、正面にまわる。


カトリックの信者の端くれとして、長年の不信心のせいか、
なにかやはり、巨大なものに圧倒され、打ちのめされるような
気分である。
(本当は、カメラを構える気分でもなかったのではある。)


長くなった、明日に続く。




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