断腸亭料理日記2012

浅草・牛鍋・米久本店

12月9日(日)夜

日曜日。

今日は、内儀(かみ)さんが鍋、というので、
浅草ひさご通りの、牛鍋、米久へ行くことになった。

牛鍋というのは、いわゆるすき焼のこと。

浅草にもすき焼や、というのは随分多い。
なかでも実際のところ、米久が一番リーズナブル。

ここは大きな店で予約をしなくてもよいと思ったが、
5時半頃、一応、内儀さんにTELを入れさせる。

予想通り、OK。

タクシーで向かう。

ひさご通りは、六区の北側。

国際通り,ビューホテル前の信号で降りて、この前閉じた
映画館の脇を抜け、左に曲がってひさご通り。

米久は真っ直ぐ行って左側。

大きな硝子戸を開けて入る。

下足。
若主人風のお兄さんが出迎え。

二人、といって上がる。

お兄さん、そこにある大きな太鼓を叩く。
ドン、ドーン。

二回。

お兄さんがそのまま案内してくれる。

玄関正面に大きな木製の時代物のつい立があり、
ぐるっとまわって、そのちょうど裏側の座敷、つい立前。

ここにきたのは、随分前。
確か、その時は、二階であった。

すべて入れ込みの畳の座敷。

雰囲気とすれば、神田須田町のあんこう鍋や、いせ源に
ちょっと近いかもしれない。

テーブルにはガスのコンロ。
その上には、既に鉄鍋がのせられている。

座って、ビール。

メニューはほぼ、牛鍋のみ。
牛鍋(上)3160円、牛鍋(とく)3790円。

上を二人前を頼む。

鴨居の上には、古い店の看板であろうか、
木の板に店名が書かれたものが、額に入れて飾られている。


創業は明治19年。

この界隈の町割りも、雰囲気も、現代とは随分変わっている、
と思うのだが、明治の頃と、今とこの店の場所は、ほぼ変わっていない
ようである。

このあたり、古くは、浅草奥山などと呼ばれ、見世物小屋やら、
床店(屋台)その他が並ぶ、江戸からの盛り場であった。

そして、このすぐ南側には、明治23年、かの浅草十二階こと、
浅草凌雲閣が建っている。この店の創業のすぐあと。

凌雲閣は高い建物がなかった当時、一大ランドマークになった。


((東京名勝)浅草公園十二階(凌雲閣)と仁丹看板
1890年-1923年 絵葉書 Wikipediaより)

手前の池は「ひょうたん池」。南側から十二階を見ている。
池は戦後埋め立てられ、今の六区、ウインズのビルになっている。

また、明治の頃、荷風先生なども書かれているが
一名、魔窟。“銘酒屋”がこのあたりから、千束、吉原付近まで
軒を連ねていた、と、いう。

凌雲閣は大正時代の関東大震災で一部倒壊。
安全を考えて、軍によって破壊された。

その後、この界隈の銘酒屋は、整理され、
一部は隅田川向こうの玉ノ井へ。
また一部は、観音裏芸者に吸収されていった
ともいう。

ともあれ。

ビールと牛の佃煮と玉子がきた。


ビールはスーパードライの大瓶。
佃煮は、ちょうどコンビーフのように肉の繊維はほぐれるくらい
柔らかく煮込み、甘辛く味をつけたもので、うまい。

待っている間にも、お客がどんどん入る。
そのたびに、太鼓が鳴る。

ドン、ドン、ドーン。
どうも、人数分叩いているよう。3人だ。

はとバスの団体さんもきて、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドーン。
で、12人。

肉もきて、さっきのお兄さんが最初は鍋に入れてくれる。


このうえに、トク、が、あるが、上(じょう)でも見事な霜降り。
ザク、というが、一緒に入れるのは、ねぎと焼豆腐、細めの白滝と、
シンプル。ごちゃごちゃ入るよりも、このくらいがよいかもしれない。

玉子を溶いて、煮えるのを待つ。

煮えてきた。
かたくなる前に、食べねば!。


玉子をくぐらせて、食べる。

うっハァー。
まさに、堪えられない。

外ですき焼きを食べるのは、久しぶり。
むろん、割り下の味も違うし、なにも言葉がない。

やはりたまには外ですき焼きを食べねば。

二人前、二人で食べ、内儀さんの希望で、
もう一人前。

今度は、トク、の方。


さらに、美しい霜降り。

言い忘れたが、肉もうまいが、白滝もうまい。
雷門の松喜でも売っている、大原本店のもの、かもしれない。
細くて腰がある。

内儀さんと話していたのだが、白滝だけ欲しいくらい。


いや、いや、大満足。
うまかった。

席で、勘定。

ご馳走様でした。

 



ぐるなび

台東区浅草2-17-10
03-3841-6416




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