断腸亭料理日記2012

隅田川の白魚

さて。

今日は、隅田川の白魚について、
ちょっと書いてみたい。

NHK文化センターの講座
『池波正太郎と下町歩き』の2月度-佃島〜築地-
詳しく書いているのだが、また、書いてみたくなった。

なにかといえば、先の初芝居の『三人吉三』の
例のセリフ。

「月も朧に 白魚の 篝(かがり)も霞む 春の宵(中略)
こいつぁ〜春から 縁起がいいわえ」

これは大川端庚申塚の場。

大川というのは、むろん隅田川のこと。

どのへんかといえば、両国の少し南の東側、本所、
今の墨田区側の河岸(かし=岸辺のこと)。

大川端といえば、今、大川端リバーシティーなんという
高層住宅ができているが、あれはもっと下流の佃の北側の
石川島。

本来は、この両国橋をはさんだ少し北あたりから
南は新大橋あたりまでであろうか。
むろん、通称であるから、きちんとした定義などは
存在しないが、あのあたりを、大川端と呼んでいた。

で、そこで、白魚の篝も霞んで、いたのである。


広重のこんな絵がある。

これは『江戸土産 佃白魚網夜景』という。

つまり、佃付近の白魚漁の風景。
広重は、幕末の人なので、幕末の風景と思っていいだろう。

篝というのは、篝火。
絵でも、炎が見える。

時期としては、冬から、春先。
旧暦でいえば、十二月の終わりから、正月。
今の暦でいえば、二月頃。

江戸湾の汽水域、隅田川などの河口付近で
このように夜、四手網に篝火を焚いて、
白魚を獲っていたのである。
(両国橋のあたりまで、白魚が獲れていた、
ということなのである。)

白魚という魚は、ご存知であろうか。
むろん、今は隅田川や東京湾では獲れない。

鮨やでもあまり見かけないかもしれない。

江戸湾、隅田川河口の白魚、というのは。
ある意味、江戸前の魚を象徴するような
存在といってよかろう。

この白魚は、江戸幕府を開き、江戸の街を築いた
徳川家康の好物であった。

その好物の白魚を獲るために家康は、遠く、関西から
漁師を呼び寄せ、隅田川河口の当時中洲であった
ところを埋め立て島にし、住まわせた。
これが佃島と佃島の漁師達。

このため、幕末まで佃の漁師達は、義務として、
毎年春先に白魚漁をし、将軍様に納めていたのである。

そして、驚くことなかれ、
白魚は戦後しばらくまで、東京湾で獲れていたのである。

今、例えば、築地でも、佃島でも
水辺に行ってみても、海、という感覚は誰も持たない
であろう。月島、晴海、さらには豊海、有明、、、
もはやどのあたりまでいっているのかわからぬくらい、
埋立地はずっと先まで続いている。

まあ、勝鬨橋あたりで、川岸のテラスへ降りて、
かすかに、潮の香りがするので、海も遠くないのかな、
と、感じられるくらいであろう。

東京湾の埋め立てが本格的に始まったのは、戦後
なのである。
明治大正、戦前と、技術力のこともあったろうし、
第一、埋め立てというのは、莫大な費用が必要で、
その必要があっても富国強兵に突き進む明治政府、
東京市の財政では、後回しになっていたといってよかろう。

そんなことで、戦後まで、意外にも、江戸の頃の
江戸湾が残っていたということなのである。

私が生まれたのが昭和38年だが、結局、東京オリンピック
をひかえた、昭和37年に佃をはじめとする、東京湾奥の
漁師達が漁業権を放棄し、白魚をはじめとする、
江戸から続く、江戸前の漁は完全に滅んだのであった。
(やはり、我々の生まれた頃は、東京にとって、
日本にとってといってもよいのかも知れぬが、
大きなターニングポイントである。落語なども含め、
身近な江戸が滅んだ時期であった。その故郷江戸が、
滅んだところに、我々は東京に生まれた、
ということである。)


と、いうことで、、、。

今日(1/10)。帰り道、御徒町の吉池で生、刺身用の白魚を買ってみた。


三重産、1枚980円也。

帰宅し、飯を炊き、酢飯にする。

生。


軽く湯通し。



にぎってみた。


軍艦巻も作った。

味は?

どうなのであろうか、これ。
軍艦巻が、一番うまい。

まあ、淡泊。

今、鮨とすれば、軍艦巻が最も一般的なのは、
そういうことなのか。

ともあれ。

「月も朧に 白魚の 篝も霞む、、」

大川端を、見たかったものである。











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