断腸亭料理日記2012

東京スカイツリー界隈のこと その4

さて。

引き続き、スカイツリー界隈のこと。

昨日は、スカイツリーの北側、いわゆる向島の江戸。
田園に高級料亭があった頃を見てきた。

明治以降どうなっていったのか。

大きく見ると、隅田川の東部、本所深川、いわゆる
墨東の明治は、近代化、工業化の歴史であった。

早いところでは、幕府の軍艦製造所であった石川島が
明治政府に引き継がれ、明治7年には民間払い下げで
石川島播磨重工業、今のIHIが生まれている。

が、実際には、多くの大資本による工場の開業は
明治20年代あたりまで待たないといけない。

文明開化、富国強兵とはいえ、そこまではまだ国力が
ついていなかったということであろう。

したがって、業平や押上、向島も明治に入ってもそう大きくは
かわらず、業平など江戸から町であったところは、町で、
江戸からの農地と料亭がある、向島もそのまま続いていた。

現代の地図


より大きな地図で 断腸亭料理日記/押上・業平橋 を表示

江戸の地図


が、そうはいっても、大資本ではなく、中小の工場はできはじめ、
マッチなどは、1873年(明治3年)に錦糸町あたりで
国産初のものが製造されている。

墨田区で最初の大資本による工場は、鐘ヶ淵紡績、1889年(明治22年)。

その後のご存知の鐘紡。
鐘ヶ淵は、墨田区ではあるが、ずっと北の方。
隅田川が西にカーブをするところ。

池波ファンであれば、剣客商売の秋山小兵衛がおはると住む
隠宅のある場所。

その後、三井系の東京モスリン1896年(明治29年)。
場所は押上のちょっと東の吾妻。現町名は文花で、
今は都営住宅になっている。毛織物の工場。

そして、札幌麦酒1900年(明治33年)中之郷瓦町。

これが今の、アサヒビールの本社と墨田区役所の場所。
浅草から見える、例の黄色いビル。

最初は朝日ではなく、札幌であった。

ビール業界は、ご存知の通り、戦前に合同し、戦後解体。
この時に、吾妻橋工場は朝日麦酒になり、再開発される
1989年(平成元年)までアサヒビールの吾妻橋工場として、
80年以上あの場所にあった。


これは1967年(昭和42年)の写真。

吾妻橋は今と変わっていないのだが、まわりに高いビルが
ないせいであろうか、隅田川も広く見えるのが不思議。

そして、地元の人々に長い間親しまれたビアホール。


工場に隣接してあった。

これは昭和57年(1982年)。
再開発される直前、ということである。

ビール工場ができるまで、あの吾妻橋を渡ったところは
江戸の地図でみると、松平越前守屋敷となっている。
主はなん回も変わっているようだが、ここには、立派な庭があったという。

明治になり、その庭が一般にも公開され、その後、
その庭の脇に煉瓦造りの工場として札幌麦酒の工場は、
始まった、という。

大名庭園に煉瓦造りのビール工場。
なんとなく、絵になっていたのではないかと、想像する。
(残念ながら、明治当時の写真は発見されず。)

さて。時代は戻って、もう一度、明治。
次は、あの、花王で、ある。
花王石鹸1902年(明治35年)請地(うけち)。

請地というのは、今は残っていない地名だが、
当初は先の東京モスリンの西に小さな石鹸工場を開業。
そして、今でも花王の「すみだ事業場」としてあるが
1923年(大正12年)吾妻(当時)に大きな工場が開設された。

お気付きかもしれないが、今見たように、
大手資本の工場の場所は、向島、業平・押上からは
少し外れたところにできている。

で、この範囲はというと、メリヤス、ゴムなどの中小規模の工場と
大資本の工場に労働力を供給する住宅地、まあ、長屋などが
たくさんできていったということなのである。
こうした過程で、江戸の頃の田園の風雅な、という向島は
一気になくなっていったのであろう。

田園に密集してできた、町工場と長屋。
震災、戦災後の改良はあったが、基本は区画整理がされず
江戸の頃の田んぼ道が現代まで残っている、といってよかろう。

そして、なんといっても私とすれば、この区域で
忘れてはいけないのが、断腸亭永井荷風先生の「墨東綺譚」の
舞台、で、ある。

書籍



映画


(映画は新藤兼人監督、津川雅彦、墨田ユキ主演)

今の東武の東向島、昔の名前は玉の井。
いわゆる、赤線、で、ある。

先日書いた、浅草の十二階下の魔窟、銘酒屋、揚弓場が看板の、私娼街。

これらが、関東大震災後、向島の北部へ移転。
荷風先生の作品の舞台となった玉の井となる。

玉の井は、戦災後さらに移転、鳩の町、と名をかえる。
鳩の町は、玉の井から明治通りを渡った、南側、で、ある。
これも赤線。
鳩の町は、その後、昭和33年の売春防止法完全施行で消滅し、
今は、ごくわずか、街並みにそれらしい雰囲気が残っている
ところがあるくらい、で、ある。

コメントはせずに続けよう。

ツリーの北側、押上、文花、京島、曳舟、東向島、向島。
細い路地。そして、魅力的な商店街がある、というのも
特徴である。

代表が京島のキラキラ橘商店街

2007年

たしか、ボクシングの内藤選手の奥さんの実家が
この商店街であったと記憶している。

いかにも下町。
お惣菜が安くてうまい。

私はここからさらに川向こう、葛飾の東四つ木に
住んでいたことがあるが、ここの渋江銀座もよかった。
今の下町というのは、実際には、浅草などよりも、
このあたりとか、葛飾、足立、なんというところの方が
よっぽど下町らしいだろう。

町工場の町で、昼間も家に、町に、人がいて、
家族経営のため、お母さんも忙しく、商店街にはお惣菜が充実する。

一方仕事の方から見ると、これらの中小零細企業の町工場、
むろん、このご時世、経営はたいへんであろう。
しかし、大手ができない細い注射針を作る町工場など、
よく話題に上るように、一芸に秀でているところもあり、
頑張っていることもまた、書き添えねばなるまい。

また、最近のこの界隈。京都の町屋だったり、
谷中・根津・千駄木の長屋のように、昔の(戦後すぐ)の
建物を気に入った若いアーティストがアトリエ、工房、
ギャラリーなどにして移り住んでくる例も、増えてきてはいる。

さて。

以上、業平、押上、向島他、スカイツリーお膝元の
歴史を私なりに、振り返ってみた。

いかがであったろうか。

日本、東京の明治以降の近代化の歴史を凝縮させたような街
といってもよいかもしれない。
むろん、私の視点であるので、偏ってもいるとは思う。

ただ、そんな歴史の中でも、きれいごとだけではない歴史、
というのも事実として、知っておいた方がよい、と思っている。

毎度書いているが、品行方正だけが人間の歴史ではない。
いや、濁ったものにこそ真の人間の歴史、というものは存在する。

そして、そんな下町にこそ、人間の本質がある。

この界隈、スカイツリー人気もよいが、どこにでもある、
同じ顔をした、なんの特徴もない、ただ新しいだけの町には
なってほしくない。まあ、下町のこと、おそらくそうは
ならないだろう。

スカイツリーにきたら、今回書いてきたことを頭に、
是非、この界隈を歩いて、商店街で買い食いをし、あるいは、
居酒屋に入ってみてほしい。
そして、なにかを感じていただければ幸いである。



長々のお付き合い、感謝!。






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