断腸亭料理日記2012

三社祭・日曜日

5月20日(日)

さて。

日曜日。

昨日は一人できたが、今日は午後から、
内儀(かみ)さんとともに、三社祭見物に出る。

先日来書いている通り、日曜日は、神社の本社神輿、
というのが出る日。

朝、宮出し、日中、氏子町内を引き継いで担がれ、
夜に入って、宮入、ということになる。

三社祭というのは、おそらく東京の
祭の中では最も人も集まるし、花形、ということになろう。

それだけ、トラブルや揉め事も起ころう、というもの。
数年前には神輿に乗ったとか、乗らないとかで、
中止になった年もあった。

さて。

三社様、浅草神社の本社神輿は、三基ある。
つまり、一之宮、二之宮、三之宮。

そして、氏子町内は東、西、南の三地区に分けられ、
それぞれ、東が一之宮、西が二之宮、南が三之宮を
担ぐ。

私の住む、元浅草に一番近い三社様の氏子範囲は
南の寿町界隈。

私は雪駄履きで内儀さんとともに真っ直ぐ東に向かう。

新堀通りを渡って、しばらくいくと、もう
三社様の祭提灯が軒下に下げられている氏子範囲に
なる。

神輿渡御のコースと時間はWebで公開されているので、
これを見ながら、神輿を探す。

国際通りを一本西に入ったあたり。
寿一町目、二丁目あたり、揃いの半纏の担ぎ手の人々が
集まっている。

毎年のことだが、予定よりは多少遅れているようだが、
神輿発見。

寿一丁目と、二丁目の渡御に付き合って、観る。


祭の運営、段取りはそれぞれの祭毎に異なっているのだろう。
自分の所属している鳥越祭はむろんある程度わかるのだが、
三社のことはよくわからない。

基本、神輿渡御の観るポイントは、担ぎ始めと
担ぎ終わりで、ここがおもしろい。

隣町から引き継いで、手締め。担ぎ手が、わっと棒に取り付き、
ここで、花棒といって、先端に取り付くのを争う。
この時、お約束の多少のトラブルがある。そして、それを
三社の場合は、鳶頭(かしら)が押さえる。
(鳥越などは鳶頭は表に出ないが、三社は、仕切り側の
表に出てくる。)

もう一度手締め後、わっと担ぎ始め。
道中は、町内の祭本部である神酒所(みきしょ)の前で、
神輿をサス、というが、持ち上げる、くらいのことがあるが、
さほどのドラマはない。
そして、担ぎ終わり。

神輿を正しい位置に置く。これがまだまだ担いでいたい、という
思い入れなのか、なかなか置かなかったり、いろいろ。
置いて、手締め。挨拶。

次の町内と入れ替わる。

とまあ、大方こんな感じであろうか。
(一度、三社の祭組織も含めて、誰かに聞いて、
ちゃんとした段取りを書き留めておきたいもの、で、ある。
どこかに、調査研究はありそうか。)

三之宮を観て、神輿というのは、観ているだけでも
けっこう疲れるもの。
観ながら、傍らで生ビールなど売っているので、
呑みながら、なので、トイレにも行きたい。

田原町交差点から、六区方向へ。

休憩がてら、ロックスそば、マクドナルド裏あたりの
路地に最近できた、という、蕎麦やへ、いってみようと
思ったのである。


とろろのぶっかけ。隠れて見えないが、中にそばが入っている。

趣味そば、といってよいのだろう。
(趣味そばとは、長くなるので今日は説明しないが、
このあたりをご参照されたい。)

つゆが多少薄いか。
日本一濃い、並木藪のある浅草でこの薄さは、気になるところか。
(もう少し、様子を見て、今日は店の名前は控えることに。)

さて。

ここから、国際通りを北上、二之宮を目指す。
(ビューホテル界隈は、祭最中は、ちょいと、怖いエリア。
が、ここも覗いてみる。)

二之宮は、千束通り商店街にいた。


毎度、思うのだが、これはなにも三社だけに限らず、
我々の鳥越でも同様だが、このあたりの祭というのは、
担いでいる人だけでなく、外からの見物客は除いて
文字通り老若男女、この町に住んで道に出て観ている人々
すべてが、構成員。祭の参加者である、ということ。

三社など、見物人も多く、神輿は揉んで、蛇行をするので、
はっきりいって、近付くと、危ない。

しかし、杖をついたお婆ちゃんも、思わず知らず
歩道から車道に一歩踏み出して観ている。

おそらく普段は寝たきりのように思われるお爺ちゃんも、
町内の半纏をきちんと着せてもらい、『ほら、お爺ちゃん、
お神輿きたよ』、と、娘さんらしい人に支えられて、
見物をする。

また、ほんの小さな赤ちゃんを抱いた、若いお母さんも
旦那が担いでいるから当然のようにすぐそばで一緒にいる。
もちろん皆、自分達の祭である、という意識、なのである。

まだまだ、この界隈、実際に住んでいる人々が多数あり、
『町』としての共同体、町会があり、そのハレの発露としての
祭、というのが、きちんと存在していることを実感させられる。

さて。

ここまで観たら、もう一つの、一之宮も観なければ。

予定をみたら、この近く、見番のある柳通りあたり。

さっそくいってみる。
(一昨日書いた、象潟(きさがた)町であった。)


こちらは、一之宮だからか、行列には、馬に乗った宮司さん
一本歯の下駄を履いた天狗様、羽織袴にカンカン坊
TVのニュースにも出ていた、氏子総代のお爺ちゃん、
三番組の鳶頭(新門の総元締め)などが先導。

このあと、まだまだ神輿は町内をまわり、
雷門から仲見世を抜け、宮入へと、渡御は続く。

私の方は、ここまで観て、もうだめ、くたびれた。
そして、素足に雪駄で歩いていたので、意気地がないが、
足も痛い。

帰ろうか、帰ろう。


すっと、タクシーで、帰宅。

しかし、やっぱり、祭はよいもんである。

来月の我々の鳥越祭もたのしみ、で、ある。






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