断腸亭料理日記2012

上野広小路・うさぎやの団子

5月26日(土)午後

引き続き、土曜日。

芝大門の四川薬膳料理・味芳斎で“牛丼”を食べ、
コーヒーやを見つけて、一休みし、
帰路に着く。

再び自転車で第一京浜を真っ直ぐに戻る。
新橋を抜けて中央通り。
往路同様、銀座は歩行者天国のため、裏通り。

来る時は東側を通ったが、帰りは西側。

京橋に入って、中央通りに戻り、京橋を突っ切り、
日本橋を渡る。

左側に三越、三井本館、マンダリンオリエンタル。

室町から、今川橋。
ここが中央区と千代田区の境。
昔でいえば、日本橋と神田の境界。

このあたりをご存知の方ならおわかりであろうが、
町並みが急に変わる。
大きなビルから、ごちゃごちゃした雑居ビルへ。

江戸の頃を考えれば、神田は江戸開府からの職人の街で、
日本橋は三井越後屋を筆頭とする大商人の街。

真っ直ぐ帰宅するのならば、ここで右に曲がるが、
このまま中央通りを行って、上野をまわって、帰ろう。

神田駅のガードをくぐり、神田鍛冶町から、須田町。
右に万惣フルーツパーラー、靖国通りの交差点。
渡って、中央線の高架、万世橋。

そう、万世橋。こんな話はご存知であろうか。

万世橋は、今、ご存知の通り、マンセイバシといっている。
これ、最初はヨロズヨバシであったのである。

架けられた当初、時の東京府知事大久保一翁によって
同じ字なのだが、ヨロズヨバシと読むように
名付けられていた、という。

大久保一翁という人は、あまり知られていないだろう。
一翁は隠居名で、本来は忠寛。元幕臣、旗本である。

勝海舟を見出した幕閣側の人物。

時代が経ち、逆に海舟の影に隠れてあまり歴史の表に
出てこないが、江戸無血開城にも尽力もし、また、
明治に入っても、こうして東京府知事もしていた人物。
旧幕臣で明治新政府の重職に付いていた人は少ないが
そのうちの一人といってよかろう。

『万世』という漢語は辞書には、とこしえ、永久、
という意味であると書かれている。
訓読みはヨロズヨで、音読みは“バン”セイ。

東京が、とこしえなることを願い、万世橋。
いかにも、江戸を治めていた元幕臣が付た名前らしい。

が、そんな大久保一翁の思いとは関係なく、
庶民によって、読みが変わることは、まあ、よくある。

ヨロズヨは、橋の名前としては、なにか、まわりっくどく、
すっきりしない。これは江戸っ子のセンスか。

バンセイは破裂音で言いにくい。
で、落ち着くところは、マンセイバシ。
そういうことだったのであろう。

閑話休題。

肉の万世を右に見て、橋を渡り、秋葉原に突入。

アキバのホコテンは、日曜日のみ。
(思わず書いてしまったが、“ホコテン”。
そういえば、最近使わない言葉かもしれない。)

従って、歩道上はオタク諸氏があふれ、
雑踏を極めている。

末広町の交差点を越えて、そろそろ、上野広小路。

お!。

そうだ、最近は抹茶も飲むし、うさぎやで茶菓子を買おうか。

店に入ったら、どらやきに使っている、ここ特製のつぶ餡が入った
豆乳のソフトクリームをやっており、店先で
食べている人も、ちらほら。

えーと、なににしようか。

やっぱり、看板のどらやきは、買わずばなるまい。
それから、抹茶用に落雁。
ここの落雁は喜作落雁といって、
正月に買ったのだが、素朴な麦こがしの落雁で
甘すぎず、うまい。

それから、ここにしては珍しい、もう一つの新製品。

店内には、ただ「団子」とだけ短冊に書いてある。

上生菓子のような見かけだが、桃色とあんこ色の
二色の団子が串に刺さったもの。
(「あやめ団子」と銘があるらしい。)

どらやき3個と、落雁と団子、それぞれ一箱。

買って、あとはそのまま帰宅。

抹茶を点(た)ててみた。


この団子、なかなか、乙な見かけであろう。

表面があんこで、中は求肥(ぎゅうひ)。

上生菓子なんというのは、私のような、がさつ者には
なかなか似合わないが、これは、よい。

和菓子やというのも、東京にはむろん、星の数ほどあり、
その中でも、老舗もたくさんある。

しかし、中でも、この上野広小路の[うさぎや]は
ちょっと、趣を異にしているように思われ、それを
私は、好ましく思っている。

なにかといえば、飾らない
あまり商売っ気がないというのであろうか。

味もむろんいいのだが、どら焼きがメインで、品数は
少ない。それで、飾らずに、気取らずに、素朴だが
いい材料を使った、うまい菓子を作ろうとしている、というのが、
菓子からも、店からも、応対をする店の人々からも
伝わってくる。

大正2年に今の場所で創業している、という。

老舗で、今でも人気の和菓子やといってよかろう。

まったく、稀有な存在である。





うさぎや



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