断腸亭料理日記2012

国立劇場・塩原多助一代記 その4

歌舞伎『塩原太助一代記』から、落語『ちきり伊勢屋』へと
話が飛んでいる。

『ちきり伊勢屋』は『塩原多助一代記』と同時代の作品で、
やはり商家の盛衰を扱った落語。昨日書いた“規範”のようなものを
別の言葉でいっており、噺としてもとてもおもしろいので、
ちょっと書いてみたい。

麹町五丁目に、ちきり伊勢屋という大きな質屋があった。
20代前半の若い主人、伝次郎。
親である先代の主人は伝次郎が子供の頃に既に亡くなり、
昔から勤める番頭さんに育てられ、店もこの番頭さんが守って
先代主人から引き続いて、繁盛をしている。

ある時、伝次郎が嫁を迎えることになり、その吉凶を占ってもらうために、
当時、そうとうな名人で、絶対に外れないといわれた、占い師にみてもらう。

すると、あんた、あと1年で死ぬよ!。

と、いわれる。
なぜかといえば、あんたではなく、あんたの父っぁんは、
生前、店を大きくするために、そうとうに悪いこともし、人を
踏み付けにもしてきた。
この因果が、あんたにめぐって、あと1年で死ぬ、と。

どうすればよいか?。
死ぬといったら、死ぬが、、、

まあ、あんたのお父っぁんの罪滅ぼしをなさい。
そうしたら、今の世には無理だが、生まれ変わった今度の世には、
長生きができるかもしれない、と。

ショック、で、ある。
だが、世間で絶対に外れない、といわれている占い師に
いわれたら、もうだめである。

じゃあ、もういい、わかった。
よいことをしよう、と伝次郎は決心する。

江戸中の重病人のいる家を探してまわり、私財を使って、お金を恵む、
近隣の乞食に食事の施(ほどこ)しをする。
ある時は、お金に困って心中をしようとしていた母と娘に
百両というお金を恵んだりもした。

こんなことを半年続け、ある日、
伝次郎はこれをパッタリとやめ、奉公人には十分にお金を出して
暇を出し、商売もやめ、今度は一転、遊び始めた。

吉原へ居続け、湯水のように金を使う。

遊んでいるうちにさすがの物持ちの伊勢屋の蔵も底をつき、
今度は、死ぬ、といわれた後の返済期限で、金を借りて、さらに
遊びまくった。

これは愉しいであろう。

で、死ぬ、といわれた当日、自ら棺桶へ入り、寺まで運ばせるが、死なない。
そんなはずはない、いったいどうしたのだ。
占いが外れたのか?。

わからぬが、兎(と)にも角(かく)にも、死ねなかった。

莫大な借金も抱え、身一つ。
乞食のようになって、高輪の大木戸あたりを歩いていると、
なんと、死ぬ、といった、占い師が店を出していた。

伝次郎は、お前のおかげで死ねずこのザマだ、どうしてくれる、
と、食いついた。

占い師は、もう一度、みさせてくれというので、みさせると、
あの時出ていた死相がすっかり消えて、今度は八十まで長生きする、
という。

占い師がいうには、あなたが半年よいことをしたので、
これが功徳になって、こうなった。
なにもしてあげられないが、これから、あんたは品川の方へ行くと
運が開けるから行ってごらん、と。

金のある時には死ぬ、といわれ、金がなくなって長生きをするといわれ、
皮肉なものだ、、、、と、品川に向かって、とぼとぼ歩いていると、
麹町時代の幼馴染に出会い、その男が今住んでいる長屋へ転がり込む。

その友達も、親に勘当され金がない。
伝次郎が持っていた着物を二人の生活費のために、
表の質屋へ持っていく。

すると、その質屋は、なんと、伝次郎が施しをしてやった、
母と娘で、是非、婿になってこの質屋をやってくれ、
屋号もあなたの元の、伊勢屋でよい、と。

わけを聴いてみると恵んでもらった金で、店は窮地を脱し、
こうして商売を続けていられる。あなたのおかげです。
是非、婿に、と。
娘はというと、絶世の美女。
それじゃあ、というので、伊勢屋の暖簾を再興し、
伝次郎は幸せな人生を送ったという。

『積善の家に余慶あり。
ちきり伊勢屋でございます。』

と、圓生師匠はしめくくっている。
(この噺も1930年(昭和5年)歌舞伎化されているよう。)

なかなか、たのしい噺で、私大好き、で、ある。
是非、機会があったら一度聴いていただきたい。
(三遊の圓生師が演っているが、昨日も書いたが、本来は柳派の噺で
いかにもそれらしい。)

『積善の家に余慶あり』。こんな言葉は最早(もはや)
使わなくなり、誰もわからなくなっている。

まあ、伝次郎がやった意識的に善行を積む、ということも
あるのだが、例えば、商売をする上で、人を踏み付けにしない、
というような、人道上のモラルは守る、というような
ことであろうか。このあたりのこと。

あるいは、こんなものもある。
ご存知の方も多かろうが、世界最古の現存する財閥の一つ、
住友グループの「住友事業精神」に、浮利を追わず、というのがある。

『「営業ノ要旨」
第二条
我が住友の営業は、時勢の変遷、理財の得失を計り、
弛張興廃することあるべしと雖(いえど)も、苟(いやしく)も
浮利に趨(はし)り、軽進すべからず』

『「浮利」とは、「一時的な、目先の利益」あるいは「安易な利益追求」のこと
ですが、「道義にもとる不当な利益」の意味も込められています。』
住友電工ホームページより。ふりかな筆者。)

現代まで住友グループすべてがこの教えを守っているかは
私は知らぬが、こういう規範があったのである。

また、これも有名だが、明治、日本資本主義の父と
呼ばれる、渋沢栄一。

事業というものは国家社会に役に立つためのものでなくてはならない。
また、同じように、金融は経済のためにあり、金融そのもののために
あってはならない、というような趣旨のことを言っていたと記憶する。

現代的には、先の住友グループの住友化学が行なっている、
アフリカでの防虫蚊帳の事業などは、これにあたるのだろうし、
前にノーベル平和賞を受賞した、インドのグラミン銀行、
貧困者に対するマイクロファイナンスもその例であろう。

最近、これら社会問題の解決を目的として収益事業に取り組むことは
「ソーシャルビジネス(社会的企業)」といって注目をされ初めていると
いってよいのであろう。

話が飛んでしまった。
『塩原多助一代記』『ちきり伊勢屋』の話であった。

明治の頃にはこういうモラル意識が
経済人にも、庶民にも確かにあった、ということである。

そしてこれは、今の我々が戦後の経済成長とともに
忘れてしまったことの一つ、なのかもしれない。
また、同じように、経済成長後、さらにバブル後、
未来を夢見て、というのも失くしてしまってもいる。
これは、日本社会が明治の頃からの目標を達してしまったから、
ということだと私などは思うのだが、それで、この明治の頃に戻れるのか、
といえば、そうそうは戻れない。

未来も、規範も失くしている?!。それが今の日本の現状であろう。
じゃあ、どうすればよいのか。

これはまた、別の機会にしよう。


 

 

国立劇場


 



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