断腸亭料理日記2012

京町屋・

船鉾町長江家住宅 その1

9月14日(金)

さて。

金曜日、大阪出張。

6時50分、東京駅発の、のぞみ。

午前と午後の二つのミーティングを終えて、
淀屋橋から、京阪に乗って、15時頃
祇園四条まできた。

またまた、出張ついでの京都。

大阪出張でも、やっぱり京都へきてしまう。
ちょっとした時間でもなにかを見つけられそうな気がして
京都に寄らずにはおられないのである。

今日は、先日の東山、清水寺成就院の特別公開
に続いて、特別公開シリーズ、京町屋。

場所は四条烏丸からもすぐそば。

京阪の祇園四条を出る。

どうも、大阪も京都も、今日はバラバラとした
雨模様。

四条大橋も蒸し暑い曇天。

ここから烏丸までは、普通なら歩くのだが、
汗だくにはなりたくないので、河原町から
阪急に一駅だけ乗る。

四条烏丸で降りて、地上に上がると、
案の定、大粒の雨、

そういえば、この前の東山でも通り雨に降られた。

目的の場所は、四条烏丸の南西、船鉾町。
四条烏丸の交差点から、南西の路地に入って
コンビニを捜す。

あった、あった。ビニール傘を買う。

さて。

京都市観光協会主催の特別公開の京町屋、
場所を調べて、四条烏丸のすぐ近く、というので、
ちょっとびっくりした。

京都で四条烏丸といえば、今は最も繁華な場所、
京都の中心と、いってよいのであろう。

そんなところに町屋が残っている、というのは、
やはり東京の感覚では、理解できない。

東京であれば、大手町や銀座、あるいは日本橋あたりに
木造の歴史のある町屋があるようなイメージではないか。

そう、もう一つ。

京都の町人である町衆によって今日に渡るまで
連綿と続けられている、祇園祭。
引き廻される屋台、山鉾も、このあたりの町々で
継続して、運営されている。
事実、今日のこの長江家があるのは船鉾町で、
祇園祭の屋台の一つである、船鉾を出す町内。

東京であれば、神田祭、山王祭であるが、
その祭を支える町内である、神田、日本橋、などは、
江戸期から、町人の住む区域であったわけだが、
オフィス街や商業地になり、住んでいる人は極端に減って
久しい。

祇園祭が町衆の血を引くこの界隈の町々の人々によって、
変わらずに運営されているということは、住んでいる人々が
少なからずいるということになる。

実際のところ、半信半疑ではあったのである。
四条烏丸のすぐそばに(人の住んでいる)町屋がある、
というのは。


より大きな地図で 断腸亭料理日記・京都町屋・長江家住宅 を表示四条烏丸から、南へ一本下り、西へ二本目。

あった。

公開は4時までというので、間に合うのか、今回も
少し、心配であった。

特別公開の看板があり、格子は開け放たれている。
格子を入り、土間。
脇の傘立てに傘を置き、右手はずぐに座敷。

その座敷前の土間に机が置かれ、そこに係の方がおり、
そこが受け付けのよう。600円也を払う。

先客の女性が一人おり、既にボランティアの男性の
説明が始まっており、靴を脱いで座敷に上がり
その説明を聞き始めた。

今回も、撮影は禁止。
写真もなしで、その説明だけをここに書き出しても、
長くなるだけなのでやめておこう。

学術的な説明はこんなページがあったので
ご興味があれば、こちらを。

で、私は、私の印象だけを書いてみたい。

まず表。

間口が七間。

(上の写真で、白壁の中央から少し右側に柱があるが
この柱より左側が本来の町屋で、右側は後から
増築されたもので、左側だけで、七間ある。)

七間間口、というと落語でも大店(おおだな)という描写になろう。

一間は、1.8mくらいなので、12.7mほど。

よくいわれることだが、この間口に対して
税がかけられたので、京都では間口の割に、奥が長い、と。

実際にこのお宅は、驚くことなかれ、奥は三十間。
つまり、54.5m。

なるほど。1:5の、驚異的な、うなぎの寝床。

面積でいうと、合計692m2で、209坪。

建坪、200坪強の店舗兼住宅。

う〜む、やはり、個人経営のお店とすれば、
やはり、デカい、という印象であろう。

ただし、ここに奉公人も含めて、なん人の人が
住んでいたのか。

よくわからぬが、ご主人家族で6〜7人。
番頭さん1人または、2人。(だが、番頭さんは通いかも。)
手代(てだい)が4〜5人?。丁稚(でっち)が10人くらい?。
それから、ご主人家族の奥向き仕事をする、女中さんが2〜3人?。
炊事などを行なう、おさんどん2〜3人、力仕事をする、下男1人?。

そう、30人くらいはいたのではなかろうか。

また、この中に、蔵もあれば、庭もある。

一人当たりの面積は、さほど広くはないことは
想像できよう。


長くなった。

ここで終わるのも、なんなので、もう一日。




 


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