断腸亭料理日記2013

断腸亭パリへいく。 その9

4月30日(火)

朝からきて、ヴェルサイユ宮殿のゲートを通れたのが
3時というのは、いかにも疲れた。




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まあ、あまり計画的に動いていないのが、
逆にポリシーだったりはするので、これも甘受せねば。

オーディオガイドをもらって見て回る。

さて。

そもそもヴェルサイユ宮殿とはなにか。

かの太陽王と呼ばれたルイ14世が、それまでのルーブル宮に加えて、
離宮として1682年に建てたのが最初、と、いう。

例によって、わが国は、というと、天和2年。
将軍は綱吉。元禄が始まる5年ほど前。
江戸も半分よりも前の方。

残念ながら私にはフランス史を語る知識はまったくない。

大雑把な理解ではこの後、ルイ16世の時にフランス革命が起き、
日本でも人気の、王妃マリーアントワネットは
押し寄せる民衆に追われ、ここを脱出したが最終的には、
夫ルイ16世とともに、処刑された。こんなことであろうか。

フランス革命が1789年なので、王宮として使われたのは107年間。

一渡り見学コースを見て回る。

まずは、王の礼拝堂。

正面にはパイプオルガン。

いろんな部屋があるが、やはり、ここであろう。

広大な庭を見渡す、長い長い、縦長の部屋。

窓の反対側の壁は、すべて鏡で、鏡の間、と呼ばれているらしい。

王が賓客を謁見する時に使われたという。

鏡はよくよく見ると、変色しているところもある。
造られた当初、17世紀からの鏡であろうか。

当時から鏡があったのか?。
はて、鏡って、いつからあるのであろうか。

古くは日本などでも、銅鏡などといって、銅板を磨いて
鏡にしていた。
(日本では江戸の頃まで庶民はこの金属を磨いたもので
あったと思われる。)

調べてみると、ガラスに水銀を使ったものが発明されたのは
14世紀のベネチアらしい。

その後今も使われている銀などをガラス面に蒸着させたものは
19世紀にドイツで開発されている。

この頃はまだとてもとても高価なものであったのではあるまいか。
(板ガラスの製造技術にも関係すると思われるが。)

いずれにしても、当時とすればものすごいものである。

王の寝室。

金の天蓋付き。
王や王妃は四六時中まわりに人がいて、本当に一人になるのは、
ここで休む時だけであったという。(江戸の将軍や御台所も同様であった。)

王妃の寝室。

と、いうことは、マリーアントワネットの、
ということになろうか。
王妃は、押し寄せる民衆にこの部屋からこっそり抜け出した、
と、ガイドがいっていた。

王と王妃の食卓。

食器類は散逸し、展示してあるものはダミー(といっても
英国王室のものらしい)だが、こういう食卓で、正面の椅子に
大勢の人々が、見ていた、という。

一緒に食事をする、のではなく、相手をする人々は
ただ見ていた、というのは、へんなものである。

中の部屋を観終わった。
庭は別にして、建物だけとすれば、意外に小さいような気がする。

ここだけですべての政務が済んでいたのか、ルーブルなども
王国政府の機能としては使われていたのか。

例えば、江戸城などと比べれば、随分と小さいように思われる。
いや、王と王妃のプライベートスペースだけとしても
小さかろう。江戸城には大奥なんという将軍だけの巨大な
プライベートスペースがあったものである。

正面の庭に出る。

建物はともかくも、庭は広大である。
手前に噴水があって、真っ直ぐに伸びた道。
その先に水路。

その水路を右に折れて、同じくらいの距離をいくと、
そこにはマリーアントワネットの作らせた田舎風の庭園と
離宮がある。

カメラにあるパノラマ機能で長く撮ってみた。

噴水のまわりの植え込みも幾何学模様。

時間と気力があれば、その田舎風庭園も見てみたいが、
とてもそこまで歩いていく気力はない。
暗くもなろうし、なにより、寒い。

この噴水を降りたところに、野外のカフェがあるようである。

そこまでいって、温かいものを腹に入れたい。

庭は直線の道にシンメトリーの配置。
木はそのままの形で生えているのはごくわずかで、
ほとんどは直線や曲線で切り取ったように、刈り込まれている。
日本の庭の作り方とは、180度違っている。英国にはイングリッシュ
ガーデンなどといって、自然の草原を再現しているようなものもあるが、
欧州では限りなく人工的にみせているこういう庭の方が多いのか。
やはりこれも、自然とは人に征服されるものという欧州人の
思想が影響してるといってよいのであるまいか。

その生垣の中のカフェへきてみた。

簡単な食べ物もあるよう。

カフェオレと、スパゲティーボローニャを頼む。


フランスでもボローニャといえばこれのことになるのか。

さすがに野外カフェ、麺は冷凍かレトルト。

ただ、このスペースには野外用のストーブがあって、
意外に快適。(むろん、野外なので喫煙も可。)

食べ終わって、帰路へ。

再び、宮殿を抜け、中庭を抜け、駐車場を抜け、
ヴェルサイユの街をぬけ、駅にたどりつく。

電車に乗って数十分。
サンラザール駅に戻ってきた時には、7時近くなっていた。
(だがまだ十分に明るいが。)

降りると雨も本格的に降ってきた。

オペラ座近くのデパート、ラファイエットで買い物。
食事はここでなにかお惣菜を買って、すますことに。

2階が食品売り場。
なぜだか、お客は日本人を多く見かける。

とても買いやすい売場。

チーズにパンと、内儀(かみ)さんがなにかラタトゥイユのようなものを
買って、ホテルに戻る。

お!、そうだそうだ。

明日のディナーの予約をしなくては。

明日がこの滞在の最終日。
最後だけは、ちゃんとした星付きのところで飯を食おうと。

いくつか星付きを含めてリストアップしたレストランへ、
内儀さんがかけてみるが、なぜであろうか、軒並み休み。
(内儀さんは、意地悪をされていうのかと思ったようである。)

なん軒か目で、理由がわかった。
明日は、5月1日。
そう、メーデー。

フランスは国民の祝日で、デパートからなにから街はすべて休み。
(働く者の日なので、むしろ、働いてはいけないらしい。)

で、なにもパリまできて、日本人シェフの店へいくこともないかと、
避けてはいたのだが、その店へかけてみる。
ここは、日本人シェフの初めて星を獲得したというところである。

と、運よく、営業しており、キャンセルがあったとかで
二人、予約ができた。

 


つづく。

 

 

 


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