断腸亭料理日記2013

上野公園、13年夏 その1

8月3日(土)

引き続き、土曜。

昼下がり、床屋に出る。

例によって、仲御徒町のQB。

短パンに青いアロハ。
足元はいつもの雪駄。

天気はよいがやはり、猛暑というほどではない。

髪を切って、特段のあてもないが、
不忍池まできてみる。

真夏の不忍池といえば、上野まつりなどといって
いろんなイベントをやっている。

今日は古道具の市だ。
落語などにもでてくるが、こういうところのものは
骨董というよりは古道具。美術品だったり珍しかったり、
プレミアのついているものではなく、どこにでもある、
ありふれた、落語では、まあガラクタですね、などという。
ボロボロの着物だったり、どこの国のものだか魔除けの
ような民芸品だったり、薄汚れた陶器、などなど
種々雑多なものがある。
(これはこれで、おもしろいのだが。)

そして、池には蓮。

蓮というのは、ご案内の通り、花を開くのは朝顔のように
朝方で、昼間は閉じているが、ところどころに桃色の花が見える。

この蓮は、江戸の頃から不忍池の名物であった。

今は池之端の仲町にあるが[蓮玉庵]という老舗の蕎麦や
以前は池の畔(ほとり)にあって、店名はやはり蓮にちなんでいる
というわけである。

かの蜀山人、太田南畝先生の日記には
友達と連れ立って、不忍の池のはたの、蓬莱楼というところで
蓮飯(はすめし)を食う、という記述などがある。

蓮飯というのは今に残っていないが
どんなものであったのであろうか。
蓮の花の盛りのこの季節、不忍池の名物であったようである。

そして、秋冬には蓮は蓮根(レンコン)として掘り出して、
不忍池産の蓮根として神田の青物市場でも売られていたのである。

弁天堂から向こう側へまわってみる。


蓮の向こうに見えるのは野外ステージ。
近くまできてみると、誰やらのJAZZのライブだ。
女性ボーカルが聞こえる。

蓮の葉の緑と赤い弁天堂、その向こうに見えるのは
上野精養軒。精養軒は、むろん建物は違うが、
この場所に明治からあった。

蓮の花と葉は、仏様と一緒に出てくるが、
こうしてじっくり見るとつぼみでも清げ。

ちょうど一周して、三橋(みはし、ABAB前)の交差点まで
戻ってきた。

せっかくだから、上野の山にも登ってみるか。

中央通りに面した入口から自転車を乗り入れる。
ここには江戸の頃は、黒門があった。これは東叡山寛永寺の
表門で、将軍お成りに使う門であった。

右手の西郷さんの銅像の方は階段があって、ここからは自転車では
登れないが、左側はなだらかな坂で自転車でも走って入れる。

しばらくなだらかな坂を登ると、右側、山の上には清水堂がある。
あまり知られていないかもしれぬが、このお堂は
上野の山では数少ない、上野戦争と、東京大空襲の二度の戦いを
潜り抜けて、焼け残った江戸初期のもので重要文化財。

小さいが京都の清水寺を模して建てられ、本場の
清水寺同様のミニチュアの舞台にもなっている。

見上げると?ん?


大きな立札に、広重江戸百景「月の松」としてある。


松の枝を丸く仕立ててある。

ほう、こんなものを作ったんだ。

これは↓これ。


この前も出したが、またまた広重の名所江戸百景のうち、
これは「上野山内月のまつ」という一枚。

この絵はむろん知っていたが、妙な松があるもんだ
程度に思っていたくらい。実際に再現していたとは知らなかった。

この春、花見の頃、ここにはきているはずなので、最近植えられた
のであろう。

再現したものをみると、なるほど。
こういうことができるのか、と納得する。

ずっとくると、左に精養軒へ入っていく道があり、今は顔だけの
上野の大仏様。その先、左に大きな石の鳥居。


ここも上野では数少ない、江戸初期のもので重要文化財、上野東照宮である。
(右側の茶店がどこの場末か、という感じではあるが。)

そうだ。ここ数年、改修をしていたがどうなったか。
見ていこう。

私とすれば、ここを素通りすることはできない。
いろいろな意味で、上野の山を象徴しているように
思えているからである。

なにか、この周辺、少し掃除がされたのか、心なしか、
小奇麗になっているような、、。

お!。そうだそうだ。
この鳥居のことである。

鳥居左側に彫られている文字。


これは、この鳥居を寄進した年月日とその人の名前である。

皆さんはこういうところにはあまり目はいかなかろう。

普通の神社であれば、寄進をするのは信仰をしている人、
あるいは氏子、である。
寄進をした時代とその人(あるいは人達)のことが
それを通して見ることができておもしろいので、私は
注意して見るようにしている。

ただ、ここの鳥居はちょっと違っている。
幕府開祖、神君家康公を祀った東照宮。
それも江戸府内、幕府お膝元の上野の山である。
そうとうな意味がある。

ちょっと小さいがお読みになれるだろうか。
(きれいな楷書なので読みやすいとは思われる。)

「寛永十年癸酉四月十七日 厩橋侍従酒井雅楽頭源朝臣忠世」

である。

これ、まだちょっと戦国の頃の香りもある。

 


長くなった。

今日はここまで。
種明かしは、また明日。

 

 

 




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