断腸亭料理日記2013

野晒し その7

前回に引き続き今日も、フィクションのつづき。


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前回



[大七]というのはな、今の主人の忠兵衛でもう三代目になる。初代はなんでも、

もとはさる藩に仕えていた武士であったというが、なにやら事件に巻き込まれ、

退身し、夫婦二人であの料理屋を始めた。いや、もっとも、最初からあんな

大きな有名な家ではなかった。

 場所は向島だが、もう少し土手からは離れたところで、茶店のような小さな

店であったらしい。この人には商才もあったのであろう。小体(こてい)だが、

ちょっと他にはない風雅な小座敷を設けたり、初代は自ら包丁も使えたんじゃな、

この頃から、鯉の料理は始めていたらしい。

 それに、退身をしたその藩の繋がりというのも役に立ったようじゃ。例えば、

重役の接待に使ってもらうというようなことじゃ。風光明媚な向島で、風雅な

座敷、ちょっと珍しいうまい鯉料理。これで少しずつ名が知られるようになっ

たというわけじゃ。

 今の場所へは、二代目の時に土地を買って移り、庭や生簀、離れのある本格的

な有名料理屋になっていった。

 初代の頃にはまだ向島にも料理屋はそう多くはなかったようじゃ。そういう

意味では、あの家が先駆けに近いかもしれんな。

 だがまあ、そんな[大七]じゃが、別段あこぎな商売をしてもおらんし、初代の

頃からの付き合いのその藩とも今でも関係はよろしいようじゃなあ。

はて、恨み、なぁ」

「その、ご出身の藩、というのはどちらなんですか、教えちゃぁいただけないんで」

「いや、そんなことはない。別段、世間へ隠し立てをしていることではない。

尾張様じゃ」

「ほう、それはまた、たいそうご立派でござんすね」

「うん。お出入り、という看板こそ出してはいないが、尾張様ご家中がよく使わ

れているということは、知らない人はないことじゃ。

 じゃがな、柳治さん、初代が退身したわけ、というのが、わしも聞かせてもら

ってはおらんのだよ。ちょっと表に出せないことらしいのじゃ。だがもう三代も

前のことじゃ、その時の恨みとか因縁というようなことは、あまり考えにくい。

それに、今もいう通り、尾張様とはよい関係であることは間違いないという

からな」

「そうですか。恨み、というのもありませんか。やっぱり、商売敵の嫌がらせかなぁ」

「しかし、嫌がらせはよいが、骨はどうした。いくらなんでも生身の骨などそうそう

転がってはおらんぞ」

「そうですねぇ。どっかの墓を掘って、頭の骨だけ取り出してってのもそうとうな

手間ですよね。それに、気味ががわるい」

「まあ、そういうことをやろうという奴なら、多少気味が悪いくらいのことは平気で

やるかもしれんがのう。しかし、ただの嫌がらせでそこまでするものかのう」

「うーん。

そうだ。例の訪ねてきたっていう旅の坊さんですよ」

「それそれ。そ奴はかなり怪しい」

「三回って予言めいたことまで言っていったってのは、もう一回やるぞ、ってこと

になりますか」

「おそらくはそういうことだろうな。

 うん、そうだ。よし、明日はわしもいってやろうか」

  七

 翌朝、柳治と緒方のご隠居は、通りの向こうの蛇骨(じゃこつ)横丁にある一膳

飯屋[むじなや]で朝飯を食い、向島へ出かけた。

 蛇骨横丁でむじな、というのはどうも獣ばかり並ぶが、界隈の独り者には重宝され

ている店。朝であれば、飯に味噌汁、煮もののような日替わりのおかず一品にお新香

という定食。これで十六文。かけそば一杯がニハチの十六文なので同じ値(あたい)。

だが[むじなや]のは飯が食い放題なので、安い。今日は季節のもの、かつおの生鰹節

(なまりぶし)をしょうゆで煮たのと瓜の塩もみ。味噌汁は蜆(しじみ)であった。

 二人が向島の[大七]にきてみると、既に小梅の親分こと。目明し九蔵(きゅうぞう)

とその手下の十吉(じゅうきち)がきている。九蔵に十吉とはまるで揃えたようで、

さらに子分の方が一つ上というので、皆に冷やかされている。

 そしてさらに、今日は北町の同心筧左兵衛も出張っていた。柳治は実のところ、

この筧同心とは顔見知り。

 このあたりで、柳治の生まれについて述べておかなければならない。

柳治は麗々亭柳治と名乗る噺家の二つ目なのではあるが、彼も生れは武家。本名は

芳二郎と先に書いたが、兄は北町奉行所与力の吉田源蔵。従って、柳治の芳二郎も

姓は吉田ということになる。源蔵とは兄弟ではあるが、母が違う。柳治(ここでは混乱

を避けるため、柳治で通す)の方は妾腹。母は豊島郡金杉村、庄屋佐倉家の娘。吉田

与力家へ女中奉公に上がっていたときに主人の手が付き柳治を身籠った。しかし、

正妻の嫉妬で、実家(さと)へ帰された。そういうわけで、柳治は母の実家、金杉村

で育ったのである。

 柳治の少年時代、なぜ噺家になったのか、など、追々書いていくことにはなるであ

ろう。噺家になった今は、実の兄は家を相続し、一人前の与力として北町奉行所に

勤めている。柳治との関係もわるくない。柳治も時々は兄の屋敷へ訪れることもある。

そんなわけで、北町奉行所の同心は直接ではないにしても兄の部下ということになる。

緒方のご隠居もこのあたりの柳治の素性は承知のことではある。

 さて。昨日の庭仕事の小屋。

 女将のお玉と、今日は主人の忠兵衛も顔を揃えている。

「こんにちは、筧様」

「お、これは芳二郎さん、じゃなくて、今は、噺家の柳治さん、でしたね。

 なんでまた、ここへ」

筧はちょうど柳治とは同年配で柳治も北町の同心の中では比較的よく知っている方

である。

「いや、うちの長屋の隣がこの緒方のご隠居で、姪御さんがお玉さんなんですよ。

ちょいとご心配で私もついてきてみたんですよ」

柳治もちょっと言葉があらたまる。

「なるほど」

「筧さん、この骨にはなにか不審なところはあるんでしょうか」

「ええ。私もまあ、そう多くはありませんが、人間の髑髏というのは調べたことも

あますし、最初のも私の方で検分はしたんですがね。最初のもこれも、まあ、水に

浸かっていたらしい骨ではあります」

「大きさとか、重さなんかは」

「そうですね。大きさから大人のものだとは思います。おそらく男。重さや触った

具合なんかも特別変わったところはないようなんですよ」

「傷もない」

「そう」

「じゃあ、まったく手がかりなし?」

「うーん。いまのところはね」





つづく



 




   


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