断腸亭料理日記2013

断腸亭パリへいく。 その16

5月2日(木)

さて。

いよいよ、帰国。

中五日で、いろいろあったが、期間としては
やはり短い。

朝飯を食って、出立。



昨日のカフェでのサンドイッチを思い出し、
バケットを二つ割にしてハムとチーズをはさんだ。
パンがうまいので、ホテルのバッフェでもこういう食べ方
もっとすればよかった。

来た時同様、オペラ座前までいって、バス。
(帰りは道を間違えなかった。)

シャルル・ド・ゴール(CDG)空港に着き


見慣れたスタバ。
(カフェの本場、パリではここと数か所にしかないらしい。)


帰りの機内食。


シーフードのソースのかかったフェットチーネ。
パリで作られたJALのもの、安心して食べられる。

何事もなく、帰宅。

お疲れ様でした。

さて。

まとめ、らしきものを少し書いておきたい。

腹を壊して熱が出たりもし、寒く、天気もわるく、
やはり、ちょっとした珍道中であった。
しかし、総決算をすれば、愉しく、また収穫のある
パリ滞在であった。
欲をいえば、パリのような都市に滞在するのであれば
1か月くらいはいたかった。

いや、もっといえば、パリは住んでもいいと
感じられたのは、我ながら驚きでもあった。

極端なことをいえば、パリであるとか、
フランス人、フランスという国に対して、
思っていたイメージが随分と変わった。

では、今までどんな風に思っていたのか。
正直のところ、特にフランス人に対しては
あまりいい印象はなかった。

個人的にフランス人に友達がいるわけでも
ないのだが、以前に今でもフランスの植民地である、
南太平洋のニューカレドニアへ
ダイビングへ行った時のこと。

帰りの空港。成田行きのJALの長い列に並んでいると、
ルイ・ビトンの大きなスーツケースをいくつも
持った、いかにもお金持ちというムッシューとマダムが
列の先頭にいきなりついて、あろうことか、
付近にいた日本人に荷物を運べ、と指示した。

まあ、彼らはファーストクラスで、JAL便ではあるが、
エール・フランスのコードシェア便であったようではあるが、
これはなんたることか。
未開な植民地の東洋人くらいにしか見ていない。

フランス人はこんなものか、と、まあ、思ったわけである。
(実際フランス人にこういう人がいるのは間違いはなかろうが。)

今回、パリにきて思ったのは、いろんなところが
東京に近いのでは、と、いうことであった。

歩く速度が速い。
車が来なければ、赤信号でもどんどん渡る。
(これに歩きたばこが付くが。)

こんなこともあった。
ヴェルサイユへ行った朝。
サン・ラザール駅でぼんやり歩いていたら、
通勤列車を降りて出口へ急ぐマダムの道を塞ぎ、
軽く、チッ、と舌打ちをされた。

あんまり褒められたことではないのだが、
都市で働き暮していれば、こういうものである。
東京などもそうであろう。

私など、前を歩く人は追い越さないと
気が済まぬくらい、足は速い。

ロンドンへは行ったことがないのでわからないが
ニューヨークなども歩くのは早いが、もっと
人種にしても、職種(階層)にしてもいろんな人がおり、
一様ではない。

パリ人は、わるくいえば、気取った感じであろうか。
カフェなどの接客にしても、無理に笑顔を作らない。

冷たいとみる向きもあろうが、この方が
都市らしい。

花の都であるから、それでいいのである。

プライドを持って、人と人との距離を適切に取る。
昔からの東京人も京都の人なども近いものがあると思う。

もう一つ。

レ・アールの老舗レストラン[Au Chien qui Fume]で
お婆ちゃん二人が、日曜の昼、背筋を伸ばし、
ワインを飲みながら、たっぷりとした量の昼食を楽しんでいた。

東京でも、私の住んでいる浅草では、
うなぎや、蕎麦やなどで、背筋を伸ばした
お婆ちゃんが、一人で、うな重や、大海老天ののった
天ぷらそばを食べている姿を見ることがある。

都市で生まれ育ち、働き、歳を取った人は
女性でもこういうものである。

これもやはり、街の歴史、というものであろう。

そうそう。
レ・アールで思い出した。

実は、フランスといえば、池波先生。

池波正太郎先生は、フランス、特にパリがお好きで
晩年に近い頃であったが、なん度も出かけられている。

レ・アールがまだ市場であった頃。
まるで東京下町の居酒屋のようだと、気に入った、
小さなバーへ滞在中足繁く通ったと書かれている。
店だけでなく、セトルジャンというここの店主の
人柄もいかにもであると、すぐに仲良くなった。

先生はフランス映画も好きで、ジャン・ギャバンも
この店にきていた、ということで、古き佳きパリの
匂いが十二分に感じられたという。

それが、レ・アールはショッピングセンターになり、
セトルジャンもどこへ行ったか分からず、
数年後、再訪した時に、これを知り、先生は
大きなショックを受けた。
どこも(東京と同じように)古いものを壊して
味もそっけもないものに変えていく、と。

確かに、そうなのであろう。

パリの街並は古く、確かに古いものを大切にしているが
同時に新し物好きであることも確かなのであろう。

東京は古いものを大切にしなさすぎるが、
これも似ているところ、なのかもしれない。



つづく。



  

 


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