断腸亭料理日記2013

吉例顔見世大歌舞伎・
通し狂言 仮名手本忠臣蔵 その2

引き続き、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」。

第一幕。

序幕、といわないで大序、という。

これは浄瑠璃ものだからのようで、大序というとなんだかとっても
重々しい。

ここは松の廊下の刃傷(にんじょう)につながる複線の幕。

実際の浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだ理由というのは
史実としても本人がなにも言っていないので
よくわかっていないというのがほんとのところであろう。

ここでは、塩谷判官(浅野内匠頭)の奥方への高師直(こうのもろなお、
吉良上野介)の横恋慕と、高師直というのは偉そうで、とにかく
いやな奴である、ということの複線を描く。

短い休憩があって、二幕目。

『三段目 足利館門前進物の場』『同  松の間刃傷の場』と
続く。

これは45分。

弁当まではもう少し辛抱。

ここも、切腹までの複線といってもよいかもしれぬ。

昼の部の最大のクライマックスは、なんといっても『切腹の場』
なのである。

左団次が高師直を演じているが、悪役ぶりがよい。

ここまでで、お昼休み、30分。




今回も[辨松]の二段だがご飯が赤飯のもの。

さて。

いよいよ『四段目 扇ヶ谷塩冶判官切腹の場』。

"腹切り"。または、別名“通さん場”ともいう。
一度幕が開くと遅れてきても、客席への
出入りを禁じたという。

また、この判官を演じる役者は、その日、家を出てから、劇場に着いて
判官を演じて、帰るまで、誰とも口を聞いてはいけない、など。

昔から様々に気を使った厳粛な幕。
それだけ、演ずる側もお客も、塩谷判官の切腹を重くみていたという
ことだと思われる。

これはどうなのか、わからぬが、家にあるDVD、NHKのもので
由良助は当代吉右衛門もお父さんの松本白鸚で少し古いものだが、
掛け声などもこの幕ではほとんど聞こえなかったように思われる。

今日の、この場面では、かけている人が多少いたが、
なんとなく、憚られるような気がしたものである。

切腹の作法なども大名クラスの身分のある武士の切腹に
できるだけ忠実に舞台上で再現しているという。

幕が開くと、銀箔地に青い“違い鷹の羽”の紋所
(浅野家のもの!)が大きく入った襖の大広間。

最初に切腹の沙汰を伝える幕府の上使が登場する。

判官も迎えて、沙汰を受ける。

上に着ていた黒紋付きの羽二重を脱ぐと、下は薄い浅葱の裃で
既に覚悟の死装束。

そのまま、下を向いたままの家来達が裏返した畳を並べ白布をかけ
切腹の場を黙々と拵える。

腹を切るための小刀、九寸五分(くすんごぶ)が三方に載せられて
運ばれる。運ぶのは、大星由良助の一子、力弥。

判官は、国許(くにもと)から由良助が駆けつけてくるのを
ひたすら待っている。
むろん、仇討のことを言い残したいから。

判官が「力弥、力弥、由良助はまだか?」と問う。

控えていた力弥は、花道の向こうを遠く見て
「いまだ、、、、参上仕(つかまつ)りませぬぅ、、、、。」

なん回かこのやり取りがあり、検視の手前もあり、これ以上
待てない。判官はとうとう腹に九寸五分を突き立てる。

ここに到って、やっとバタバタバタと由良助が花道から駆けつけてくる。

そして、花道の七三(しちさん)で平伏。
(花道の七三というのは、舞台寄り三分、3/10、のところ。
多くの花道を使う芝居はここで演技をする。)

検視役(先ほどの上使)の手前もあるので、一度ここで止まる
のである。

二人いる検視の内の温情派が「その方(ほう)が由良助とやらか、
苦しゅうない、近う、近う!」という言葉で由良助は
判官のそばまでくる。

判官、「由良助ぇ、待ちかねたぁ、、、、。
定めし様子を聞いたであろう、聞いたか、聞いたか、、」

と、苦しい息の下で、万感の思いを込め、由良助に声を掛ける。
一言二言やり取りがあり、

判官は九寸五分を引き回し、喉の急所を切る。
そして「この九寸五分は汝(なんじ)へ形見。」といって、由良助へ
九寸五分を手渡して、息絶える。

まあ、そうとうに有名かつ、名場面である。

むろん、史実は内蔵助は国許にいて、立ち会ってはいない。

そういう演出か、この菊五郎の二回繰り返した「汝へ形見」の
「カタミ」が「カタキ」に聞こえたのだが、気のせいであったろうか。

『遅かりし由良助』という成語があるがここからのものである。

この場面には様々芸談のようなものがたくさんある。

以下、落語「中村仲蔵」と書きましたが落語「淀五郎」の
誤りでした。お詫びして訂正いたします。

落語「淀五郎」にもそんな一話がある。

淀五郎が最初に判官を演じた時に、親方の團蔵が由良之助で、
最初の上演では由良之助は判官のそばまできてくれなかった。
なぜかというと、仲蔵の判官が演じ切れていなかったからと。
つまり、この判官は小藩とはいえ一国一城の主。
それが己の責で、滅んでしまう。主としての威厳と、家臣達に対して
申し訳ないという心が現れていなければだめだ、と。
(落語なので真偽のほどは定かではないが。)


「仮名手本忠臣蔵四段目」『石堂馬之丞 塩冶判官 斧九太夫 
大星由良之助』万延元年 江戸中村座 三代目豊国 石堂馬之丞、
四代目尾上梅幸 塩冶判官 初代中村福助






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