断腸亭料理日記2014

神田須田町・あんこう鍋・いせ源

一週間遅れになってしまったが、
ここは書いておきたい、須田町[いせ源]。

1月19日(日)夜

今日は内儀(かみ)さんの希望で神田須田町の
あんこう鍋[いせ源]

相変わらず、寒い日が続いているが、
やはり一冬に一度はここへきたい。

それも最も寒い今頃がよい。

冬は日曜もやっている。

少人数では予約は出来ないが、
その代わり、少し早い時刻に行こう。
5時すぎに出る。

拙亭のある元浅草から神田須田町というのは
毎度書いているが、歩けない距離でもない。

稲荷町から銀座線に乗って上野、上野広小路、
末広町、神田と四つ目。

一番後ろから降りて[万惣]のある須田町の
交差点に出てくる。

5時半には到着。

関東大震災後の昭和5年の建築。
東京都指定の歴史的建造物。


乙な玄関である。

今は置いてはいないが「塩ゆでかに」なんという
昔の看板が掛かっている。

今でこそあんこう鍋専門であるが、昭和初期の品書きには
はまなべ、かきなべ、ねぎま、などなどのあんこう鍋以外の鍋も
載っている。

当時、ここのあんこう鍋は50銭。

今は3400円。

そば一杯が大正8年に7銭、昭和9年に10銭。
(「値段の・明治大正昭和・風俗史」朝日文庫)

そば一杯は今、立ち喰いでなければ6〜700円であろうか。

厳密にはわからないがそばの5倍くらい、、、当時の50銭と
今の3400円は同じくらいの価値かもしれない。


あんこう。

小さい頃から、あんこうという魚はこうだというのは
むろん知っているのだが、やはり、こんなものを
よくもまあ、食べようと思ったものであると、思われる。

日本という国は四方を海に囲まれて、長いこと
肉食もせず、主として魚を食べてきた。

毒のあるふぐにしても、このようなグロテスクな
魚も、たこもいかも、海藻や、ほや、なまこまで。
海にいるものは食べられるものは、なんでも食べる。

欧米はもちろん、例えば、同じように海に囲まれている、
ミクロネシアの島々の人々などとも随分と違った
食文化を築いてきたものである。

まあ、考えてみれば、和食以上に、中華料理は
なんでもありである。彼らは、四本足のあるものは、椅子と机以外は
食べるなどという。なんでも食べる、という意味では
彼らの方が上であろう。
(そう。和食が無形文化遺産なら、中国料理も指定されて
しかるべきであろう。)

ともあれ。

硝子格子を開けて入ると、下足。

下足番の小父さんから番号の木札をもらって、正面の
黒光りした階段を上がる。

この木札の番号は下足の番号でもあるし、
会計の番号でもある。
駒形の[どぜう]などもこのやり方を今でも続けている

この木札は座ったお膳の上など、わかるところに
置いておく。

お姐さんはこの番号に勘定をつける。
なかなか管理しやすい仕組みである。

ビールを頼んで、鍋二人前。
他にも料理はあるが、鍋だけで十分。

お通し。


菜の花のおひたし。

鍋もすぐくる。


下拵えが終わったあんこうの身と、あんきもも。

野菜は、うど、椎茸、銀杏、きぬさや、
三つ葉、細い白滝、焼き豆腐。

甘辛の濃いめのつゆ。

あんこうは温まれば、食べられる。

煮えてきた。


あんこうのプリプリのゼラチン質がうまい。

燗酒に替える。



ここもやっぱり、菊正宗。

やはり東京の下町老舗は菊正、で、ある。

濃口しょうゆの濃い味には菊正がなにより合う。

お銚子を、もう一本。

鍋を食べ終わると、おじや。
頼むのは一人前で十分。

お新香。

右側は長芋の梅酢漬け。

お姐さんがご飯を入れて、生玉子を入れ、つゆを足してくれる。


絶対に勝手にかき混ぜてはいけない。

お姐さんに叱られる。



うまかった。

腹一杯。

木札を持って、勘定は下の帳場。

ご馳走様でした。




千代田区神田須田町1丁目11番地1
03(3251)1229

いせ源









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