断腸亭料理日記2015

2015年落語のこと その3

引き続き、落語のこと。

民俗学では、民俗語彙という言い方をするのだが、
ある地方のあるムラでの、ある民俗行為、事象などを指す
言葉として特有なものとでもいうのであろうか。

「おれのムラではよぅ、年に一度はみなで、ミチブシンを
するんだぁ」

今書いた、ムラ、などはよい例であろう。
民俗語彙は、カタカナで書く。

このムラはむろん行政区画の村ではなく、現代語というのか、
普通の言葉では、集落といった方が範囲としては
あてはまることが多いだろう。民俗社会で一つの生活圏として
共同体としてまとまっている範囲というのであろうか、
原初的というのか自然発生的なというのか、そんな使い方である。
ムラという言葉の本来指し示すものともいえるかもしれない。

近いものを落語に出てくる言葉で探すと、ウラ、なんという
言葉がある。(たいして近くないが。)

大家(おおや)さんが「このウラをなんだと思っているんだ」。
(「花色木綿」)
なんというセリフがある。

これは裏長屋などというが、表通りに面して商家があって、
その裏のあいた土地に家作(かさく)として長屋を建てている
というようなことがよくあったのだが、その家作の
長屋のことをいっている。
○○さん所有のという意味を含んで、○○ウラという言い方を
したし、前記のようにウラだけでも使ったようである。

これは民俗語彙といってよいのではなかろうか。

むろん、そのまま場所を指す言葉として、大きな寺など
建物などがあり、その裏だからという場合もあったと思われる。

「野ざらし」に
「おれんとこは、浅草門跡“裏”、角(かど)から三軒目、
腰障子(こししょうじ)に丸八としてあるからわかるよ」

なんというセリフがあるが、これなどはどちらであろうか。
浅草門跡というのは、浅草本願寺のこと。その裏だから
門跡裏なのか、浅草本願寺所有の長屋だったのか。

またこんな言葉をご存知であろうか。

湯灌。

ゆかん、と読む。
(これは民俗語彙とはいえないかもしれぬが。)

こんな言葉も落語に出てくる。(「らくだ」「ちきり伊勢屋」他)

以前は人は亡くなると弔い(葬式)の前に身体を洗って、
男は頭を剃った。頭を剃るのは、剃髪、文字通り仏になること。
身体を清めるために洗うことを湯灌といったのである。

このため、多くの寺には湯灌場といって遺体を洗う場所が
用意されていたのである。
(いつ頃までのことであるかは、わからない。)

ついでだが、お棺のこと。

これも落語の中には、座棺というが丸い桶といった方がよいものが
登場する。これに膝を曲げ座らせて遺体を入れたのである。

亡くなってからすぐにこしらえる棺桶なので、
早桶(はやおけ)という言い方がよく出てくる。
今は棺桶を用意する業者を葬儀屋といっているが、
以前は早桶屋というのが普通であった。
(「付き馬」「ちきり伊勢屋」「らくだ」「黄金餅」他)

座棺がいつまで使われていたのかは調べたことはないので
わからないが、明治生まれの私の祖父母は、昔はそうだったと
言っていた記憶があるので、東京でもおそらく明治になっても
残っていたのであろう。

そしてその早桶に遺体を納めて、天秤棒の差し担いで
寺(旦那寺)へ行列で運ぶ。葬列ということになろうが、
大きな商家などでは派手にやったようである。(「片棒」
「ちきり伊勢屋」他)
庶民は近親者、同じ長屋の住人など地縁の人々、友人か。

担ぐのは「黄金餅」では大家の指示で今月の月番と
来月の月番。民俗学では誰がするのかというのは重要なのだが、
独り者ばかりの貧乏人の長屋では近親者もなく、
長屋の相互扶助というのであろうか、皆の代表である
月番が担いでいる。ちなみに月番というのは、月交代で
長屋の雑用などをする係。長屋で香典を集める、なんというのも
この月番の仕事である。(「らくだ」など)

寺で葬式をし(通夜は自宅で、葬式は寺でというのが一般的のようである。)
焼き場(火葬場)の切符をもらって(「黄金餅」)
(切符というのは詳細不明だが寺で火葬の許可証のようなものを
発行したのかもしれぬ。)火葬場へ持っていき火葬。
火葬場は「らくだ」だと落合、「黄金餅」だと桐ケ谷。
(ちなみに落合にも桐ケ谷にも今も火葬場・斎場がある。)

行列で寺まで道のりは長い。例えば「黄金餅」では
上野から麻布。上野から麻布までの町名を言い立てるので
ここが聞かせどころになってもいる。

長い道のりを歩き腹が減るので、この行列が出る前に皆、
飯を食う。これを、出だしの飯といった。
(立ったまま、箸一本で食べた、と圓生師は語っていたように
思われる。)「ちきり伊勢屋」
この“出だしの飯”などは民俗語彙といってよいのであろう。

「黄金餅」の上野から麻布は確かに遠い。
しかし、おもしろいから創作として上野から麻布にした、
とばかりは言えないように思う。

自分のうちの寺(旦那寺)というのは、江戸の庶民であっても
別段近所にあったとは限らないのである。

江戸の寺は明暦以降、郊外に移転させたので、
麻布だったり、拙亭の近所浅草だったり、山谷、深川、、
その他に、寺町として固まってあったのである。
例えば日本橋だったり京橋だったり寺のない地域も少なからずあり
皆、そこそこの距離を歩いて行ったはずである。
(「ちきり伊勢屋」では麹町から本所の寺で、やはり遠い。)

なんだか、例が葬式関係ばかりになってしまった。

だが、やはりこんなことはあまり歴史書には書かれないことである。
(最近は民俗学としては江戸、東京は研究は
されているのであろうか。)

葬式の話しばかり並べたが、祝儀不祝儀(しゅうぎぶしゅうぎ)、
冠婚葬祭というがもう一方の結婚式というのはどうであろうか。

祝儀、祝言という言い方になるか。
だが意外に、これは葬式ほど落語には詳細には出てこない。

例えば「蜘蛛駕籠」であろうか。

「神田竪大工町、左官の長兵衛の娘で、おてっちゃんと
言ゃぁわかるだろ。え〜、わからない?加納屋の旦那が仲人で、
大黒屋で祝言上げたといやぁばわかるだろ」(「あ〜ら、く〜まさん」)

ただこれ、祝言の場面は描かれず、セリフの中だけである。
左官でも親方くらいの地位の者の娘か。一応料理屋らしい「大黒屋」で
仲人を立てて人を招いてやっているようである。

一方「たらちね」では、大家の紹介で一緒になるのだが
いきなり八五郎の家(長屋)に連れてきて、夜、大家さんの仲人、
隣の婆さんくらいの立ち合いで、簡単な尾頭付きのお膳を囲む程度。

庶民は貧乏で金もなく基本大仰な祝言、今の披露宴など
あげなかったのが普通だったといってよろしかろう。

「俺とかかぁの馴れ初めなんざぁなぁ、自慢じゃねぇが仲人なしの
くっつきあいだ。おめぇじゃなくちゃいけねぇ、お前さんじゃなくちゃ
いけないと、好いて好かれて、好かれて好いて一緒ンなった仲なんでぇ。」
(「小言幸兵衛」)

こんなのも多かったはずである。

 


もう少し、つづけよう。


 

 


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