断腸亭料理日記2015

連休・上野東照宮 その3

引続き、上野東照宮。

修復なった拝殿、本殿を観て再び唐門前の参道へ
出てきた。

外国人がやはり多いが、中に石の灯篭に腰を掛けて
なにかを食べている数人。

神聖なものとまではいわないが、400年近く前の
仮にも我国の重要文化財である。あまりいい気分はしない。

参道を戻ってくると左側、フェエンスの向こうに
五重塔が見える。


これも重文。

このフェンスの向こうというのは上野動物園。

さらに五重塔の向こうはパンダ舎。

毎度書いているが、この五重塔は本来は東照宮のものであった。

家康の重臣、土井利勝の建立。

東照宮というのはまあ、本来神社である。
神社に五重塔というのは、おかしい。

江戸時代は、まあそんなことは普通のこと。

それが明治になり、例の神仏分離政策で寛永寺の
所有になったのである。
その後、上野動物園ができて、戦後敷地ごと寛永寺から上野動物園に
なり、現代に至っている。

これ、ほんとうになんとならぬものであろうか。
動物園は都の管理なので舛添さんであろうか。

上野動物園内にある意味はまったくなかろう。

かといって、これだけ近いのだから移築するのもまた
あまり意味がなかろう。

五重塔と周辺部分だけ、都の管理のまま上野公園の
フリースペースに出していただけなかろうか。

どう考えても東照宮と一体であることが自然である。

明治時代のお馬鹿な混乱をいまだに引きずっているのは、
まったくナンセンスである。

参道をさらに戻って、石の大鳥居前。

諸大名が寄進した石灯篭は大鳥居の外にまで
まだまだ並んでいる。

この大鳥居の門前には、よくTVなどにも取り上げられるが
カレーそうめんという不思議なものがある、茶店というのか、
売店がある。

(ちなみにこれは「太田備中守源資宗」と書かれている。
太田資宗は譜代大名で後に遠州掛川藩主になる太田家の祖。)

その古びた看板が立て掛けられていた。
この売店だけでなく、花見の頃などこの参道にも
屋台店が出ると重要文化財の灯篭には綱を張って使われたり
してもいる。

やはりどれだけ今まで上野公園で東照宮が冷遇されていたか、
わかろうというもの。

身近にあるのはよいのだが、もっと文化財を大切にしましょうよ!。
なん度も書くが、奇跡的に残っている江戸初期の遺物、
東京の宝のはずである。

さて。その大鳥居。

なん度も観ているのだが今回気が付いた。


これは鳥居の裏側。

前に、伝説では?などと書いていたのだが、ちゃんと
ここに書いてあった。

この鳥居は、一昨日書いた下馬将軍の酒井忠清のお爺さん、
やはり大老まで務めた酒井忠世が建てている。

この人は、既に家光の代になっているが晩年に失脚し
ほぼそのまま没している。

どうもこの時にこの鳥居は埋められてしまったようである。

それを七代後の酒井雅楽頭家の当主である酒井忠知(忠恭)が
享保19年(1734年)に再建していた。
それがこの裏側に書かれていたのである。

まったく、うかつであった。
裏くらい見ておかねば。

これが表。


この表には最初に建てた忠世の名前が書かれている。

ちょっと余談。
この写真に写り込んでいる、母子のお二人。
私が裏側の写真を撮っていると、興味を惹かれたのか、
寄ってきて、同じように鳥居の文字を読み始めた。
娘さんの方は、なんのことやら、という体であったが、
お母さんが「享保っていつ頃だろう?、幕末頃?」
などと話されている。

思わず、説明をしたくなって言葉が喉まで出かかった。
しかし、通りかがりのこのタイミングで詳細な説明を始めたら、
かなりヘンな奴になろうと、踏みとどまった。

「酒井様といえば、昔は○○(ご近所?)にお屋敷があって」
などとも話されており、親しみがあったのであろう。

先に書いたが落語「三味線栗毛」にも酒井雅楽頭は
登場するが、下屋敷が大塚にあって、この噺は
その大塚が舞台。大塚のご近所にでもお住まいであろうか。

さて、再びGWでにぎわう上野公園。噴水広場まで一回り。
西郷さんの銅像。この前のがけ下のビルの再開発の影響であろうか、
銅像前も以前ほど人が集まらなくなった。
(この再開発ビルは、上野3153(サイゴウサン)という。)

清水堂の上にきた。

一昨日出した、月の松。上から見るとこんな感じ。

 



やはりこれ、この清水堂から、不忍池、弁天堂、さらに対岸まで
ずっと見渡せるのが、江戸の広重の浮世絵。

おそらくそれを意識してここに植えているのだと思われる。

左右の木々をもう少し刈り込む予定があろうか。

 

おわり

 

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