断腸亭料理日記2016

小島町・うなぎ・やしま

1月30日(土)夜

さて。

土曜日。

金曜から降るかも、といっていた南岸低気圧による雪は、
結局今週は東京では降らずじまいであっ た。

しかし、寒い。

雨は上がったが、曇りで底冷えのする一日。

夕方、内儀(かみ)さんが買い物に出て帰ってくると、
「やしまがやってるよ」とのこと。

[やしま]というのは拙亭のごくごくご近所、小島町交差点角の
うなぎやさんで、ご主人とは以前からの顔馴染み。

土曜日は一応営業することになっているのだが、
お休みのこともままあって、先ほどの内儀(かみ)さんの
目撃報告となったのである。

よし、じゃあいってみるか。

15分後に伺いますと内儀さんにTELを入れさせ
着替えて出かける。

歩いて数十秒。

7時少し前。

入って、ご主人に挨拶をして、座敷に上がる。

先客は数組。

少し前に座敷は、お膳ではなく、低めの椅子とテーブルに
なっている。
高齢の方には畳に座るよりもこの方がよい。

ビールと、白焼き上(じょう)一つと、うな重同じく上二つを頼む。

品書きには、注文が入ってからうなぎを割くので多少時間がかかります、
と、書いてある。

ビールと味噌豆がくる。

味噌豆は毎度書いているが、念のため説明しておこう。
落語にもなっている。

ようは味噌にする前の豆、大豆という意味。
つまり茹でただけのもの。
味噌を作るためというのではなく、これだけで
お惣菜、で、ある。
青海苔がふってあり、辛子じょうゆでつまむ。

茹でただけといってしまえば、それだけのものなのであるが、
これが食べ始めると、とまらなくなる。

落語と書いたが、少し長い小噺といった方がよい短いもの。

台所で味噌豆が煮えている。
小僧の定吉が、味見といってつまみ食いをしていると、旦那に見つかる。
旦那はけしからぬ奴だといって、定吉を使いに出す。
旦那は、ん?と、思い、どれどれ、俺もつまんでみるか、
と、味噌豆をつまみはじめるとこれが旦那も止まらない。
しかし、定吉が帰ってきたらしめしがつかない。
どこかよいところはないか。そうだ、といって、便所に持ち込んで食べ始める。
使いから帰ってきた定吉。旦那はいない。しめしめ、つまみ食いの続き。
だが、旦那に見つからぬところ、見つからぬところ。
そうだ、便所だ。と、器を持って、便所を開ける。
あ!旦那!。なんだ定吉?!。あ、あ、あの、お替りを持ってまいりました。

まあ、こんな他愛ないものではある。(しかし、場所がきたない。)

今、味噌豆など知っている人も限られていると思うが、
東京に限らず、以前はどこの家庭でも作る、
庶民の簡単なお惣菜であったものであろう。

ここ[やしま]ではお通しにずっと味噌豆を出している。
確か、ご主人が修行をされた雷門の老舗[初小川]でも
出していたこともあったように思う。

ゆっくり待っていると、白焼きから、きた。

 

ほかほか、で、ある。
蒸したて、焼き立てということであろう。

以前はなかったようにも思うが、塩なども添えられている。

試みに塩で食べてみる。

ん!。
脂ものっているので、やはり塩だけではちょっと生ぐさい。

やはり、白焼きにはわさびじょうゆである。

どうもこのうなぎの白焼きをわさびじょうゆでつまむという行為が
とてつもなく粋、というのか、江戸前らしく感じられるのである。

うなぎといえば、もちろん蒲焼、うな重であることは
間違いないのではあるが、だからこそ、白焼きが粋になるのである。

そして、白焼きをうまく食わせるのが下町のうなぎやの技量であり
価値のように思う。

お重もすぐにきたが、白焼きを食べ終えるまで、ふたをして置いておく。

食べ終わり、お重。

肝吸いにお新香。

 

アップ。


ふたを開け、山椒をふる。

あまみがすぎない、さっぱり、きりりとした、
これが江戸前、それも東京下町の蒲焼の味、で、ある。

しかし、こちらも脂がのっている。
やはり、うなぎの食べ時は、夏ではなく冬。

うまかった、うまかった。

ご馳走様でした。

お勘定をして、ご主人に挨拶をして、出る。

うなぎが絶滅危惧種になって以来、なんとなく、
食べるのに憚られるような気分がずっとしている。

毎度書いているが、にぎりの鮨と並んで、うなぎ蒲焼は
江戸で生まれた和食の大立者である。
私など東京の人間にとってはかけがえのない、故郷の味。
なくしてはむろんいけない。
そのための努力を日本国民とりわけ東京人は
引き受けなければならないように思う。

そのためになにをするのか、まだ国の水産政策などを
みていても、もう一つよく見えないようにも思われる。
東京オリンピックもよいのだが、間違いなくうなぎの消費量は
東京がNo1であろうし、それ以上に東京食文化の
中心的存在である。東京都として保護育成はできぬであろうか。
舛添さん。

いつの日か、思う様故郷の味を食べられるようになることを
願っているのだが。

 


03-3851-2108
台東区小島2-18-19
 

 


 

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