断腸亭料理日記2016

鳥越祭2016 その1

6月11日(土)

さて。

土曜日。
いよいよ、今週末は鳥越祭。

蔵前というのか、浅草橋というのか、私の住む元浅草から
南に下がった鳥越にある、鳥越神社の例大祭。

元浅草を含めて、上野と浅草の中間の浅草通りあたりから
浅草橋あたりまで、南北に長い地域が氏子範囲になっている。

毎年、細かく書いているので長年読んでいただいている方は
ご案内のことかと思う。

鳥越祭は例年、この6月の第二週あたりの土日と決まっている。
4月の終わりから台東区など東京の下町は毎週末どこかで
お祭りをしているが、その最後である。

ちょうど先週は、ウイークデーであったが、
赤坂の日枝神社の山王祭であった。

神田明神が江戸総鎮守。
日枝神社は江戸城鎮守。
江戸を代表する産土神はこの二社。

神田の氏子範囲と山王の氏子範囲はともに
旧江戸の中心部。
江戸城(皇居)を中心にして、日本橋あたりが
二つの神社の氏子町の境になっている。

この二つは由緒からしてもちょっと別格であるが、
規模からすると浅草神社の三社祭、あるいは富岡八幡の
深川祭が大きい。

鳥越神社自身の由緒は古く江戸以前にさかのぼるようだが
祭がいつ頃から行われていたのかは、私は詳らかな
情報を持っていない。

先の神田、山王はしっかりした記録もあり
むろんのこと江戸時代から行われている。
三社も、歌舞伎などにも出てくるが、やはり
江戸から行われていたことは確かなことと
思われる。
深川も元禄の頃というので、随分と昔だが、みかんで儲けたという
かの紀伊国屋文左衛門が寄進した総金張りの神輿が三基あったが
関東大震災で焼失したという逸話が残っている。
(元禄の紀文寄進は古すぎると思うが、少なくとも
江戸期製作の神輿があったのは間違いなかろう。
場所は近いが佃島の住吉神社、佃祭の名物、現存する八角神輿は
天保の製作で、これは間違いはないよう。)

鳥越規模のお祭は、下町界隈でも今数多くあるが、
いつ頃からどんな風に行われていたのか、というのは、
あまり話題にも上らない。
記録の類もあるのかないのか。
私もあまり今まで意識したことがなかった。
学術研究はあるのであろうか。課題にしよう。

江戸、東京の祭は、江戸期には神田にして山王にしても
基本、町毎の山車の出る祭で今のように神輿の祭になったのは、
明治以降という。鳥越祭も明治末には、今のような神輿の祭としての
記録は残っている。
ひょっとすると、明治以降のことなのかもしれない。
鳥越についていえば、江戸期はこの界隈、ほとんどが武家屋敷と
寺で、町人の住む町家はかなり限られていた。山車にしても神輿にしても
祭として成立しなかったのではなかろうか。

ともあれ。

土曜日。

毎年のことで、夕方から夜、町神輿が各町集まって
連合渡御というのがある。

木曜あたりから町の神酒所(みきしょ)が開かれ、
神輿のテントが設えられ、神輿が組み立てられ。
金曜の夜、町の神酒所に町会と町の祭組織の睦(むつみ)の
役員さん達などが集まって、神輿に御霊入れの儀式があった。

土曜の昼間、遅く始まる。

仕事もあって、家にいると、声が聞こえてきた。


窓から覗くと子供神輿の連合渡御のようである。

 

子供よりも、まわりの大人の数の方が多そうである。

下町である。戦前の鳥越祭の写真などをみても、
子供はそれこそ佃煮にするほどいた。池波先生も戦前、永住町
(私の住む七軒町の隣)の育ちでそんな一人であったわけである。
それは戦後、高度経済成長の頃、まで、あろう。
どの町会でも子供神輿を誂えて、今もすべての町会にあって
こうして連合渡御をしている。
町会行事として、祭の間、金魚すくいをやったり、
焼きそばやお菓子を配ったり。
うちの町会でもやってはいるが、年々下火になっている。
(かくいう私達にも子供はいない。)

この界隈、近年マンションも多く建ち、私達のような新たに
住み始めている者も少なくはない。しかし、小学校は
統合され、子供の数は減少の一途をたどっているのであろう。
大人の鳥越祭は、外から担ぎにくる人もあり、成立しているのだが、
これが今の現実であろう。

ともあれ。

昨夜、睦の担当の方に届けていただいた、町会の半纏(はんてん)。

毎度書いているような気がするが、東京下町では、
祭に着るのは、法被(はっぴ)ではなく、半纏という。

まったく同じものだと思うが、三社でも、神田でも深川でも
芝でも、間違っても法被といってはいけない。
地元の人間がら、田舎者の誹りを受けよう。

鯉口という前ぼたんのシャツを着て、
下は短パン。
上から半纏を着て、細い帯を貝の口に締める。

素足に雪駄。
担ぐ気はほぼないし、実際に担げもしない。
恥ずかしながらまさに、格好だけ、で、ある。

16時半すぎ、町会の神酒所にきてみる。

既に、町会神輿は神酒所の前に正しく置かれている。

人々も集まり始めている。

町会神輿の担ぎ出しの前に、例年通り、町内にある
都立白鴎高校の和太鼓部の皆さんによる、太鼓の演奏がある。
それを待って、大勢の人垣。
部員の皆さんもスタンバって、太鼓のセッティングも
既に終わっているようである。
土曜日、町神輿は白鴎生も例年担ぐ。


つづく




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