断腸亭料理日記2016

「諏訪の神:封印された

縄文の血祭り」戸矢 学 その5










引き続き、

「諏訪の神: 封印された縄文の血祭り」戸矢 学



さて。

四回に渡って書かせていただいたが、
今日は、これを読んで考えたこと。

この書、戸矢氏の、様々な通説の皮をむいて、
本当の姿に迫ろうとする姿勢というのにまず
わが意を得たり、と感じたのである。

昨日書いた練馬区な石神井の地名の由来説明であるとか
その前の、お神輿は見下ろしてはいけない、であるとか。
一般にいわれているが、おかしいだろ!ということが
たくさんある。

これらは歴史、民俗、神道、考古学、その他関係する
学問の連携のなさが生み出している誤りである。

まあ、それぞれの先端で研究されている先生方は
こんなことは承知していることであろうが
こと神様のこと、信じている人も世の中にはおり
声高に訂正する必要もなかろうということかもしれぬ。

ただ、私が思うのは、本当の私達日本人の姿が
わからなくなっているのはやはりよいことではない、
ということなのである。

戸矢氏という方はどこかの大学の先生という
ことではなく自由な立場というのであろうか
それでこのような説の展開ができるのかもしれぬ。

とても大切なことである。

私達日本人はどこからきたのか、という問いは
とても大きく、一つの学問体系だけでは
解明することは難しい。
関連分野が連携、俯瞰することが必須であろう。
(こんなこと、私が学生の頃から
いわれていた、至極あたりまえのことだが。)

さて。

こんな絵を書いてみた。

言葉はあまり吟味されていないのは承知している。
お許し願いたい。

日本人の精神世界というのであろうか、
宗教感、神感のようなもの。
あるいは、もう少し大きく、世界感といってもよいのか。
そんなものがどういう構造になっているのか
というのを絵にしてみたのである。

横軸は時間。

はるか1万5000年前に縄文時代が始まったといわれているが
それから現在まで、この日本列島に我々日本人は住んできたわけである。

縄文時代というのは狩猟採集生活といわれてきたが、
縄目模様の縄文式土器を使い、青森の三内丸山などでは
大規模な集落を形成し、定住生活をしていた。
(きっと諏訪地方などは、もっと大規模な縄文集落
があったのかもしれない。)

また、紀元前4世紀頃から稲作の伝来とともに、弥生時代となる。
3世紀中ごろからが、古墳時代。

大和朝廷の成立。私が日本史で習った頃は4世紀中期。
今は、ヤマト王権などといって、3世紀中頃か。

538年仏教伝来。
今回、人柱などがこれによって廃止された、
というのを書いた。

奈良時代、平安遷都。
国風文化、武士の台頭、鎌倉幕府成立、南北朝、室町時代、
応仁の乱、戦国時代、豊織政権、江戸時代。
明治、大正、昭和、平成。

これだけ我が国の歴史があるわけであるが、
我々はなにを考えて、この日本列島で生活してきたのか。

上の、台形の図を考えたのは、我々の、精神世界であるとか、
世界感というのは、縄文からリアル同様に地層のように
積み重なっているのではないか、という私の仮説である。

この1万年5000年の間に、むろんのこと、生活にしても
文化にしても実に様々な変化があったわけである。

稲作伝来、仏教渡来、この二つは初期日本の大きな変換点
であったのであろう。
稲作は生活面、仏教は精神面なのか。
仏教伝来までは、祭政一致。仏教伝来と前後して、中央集権
律令国家なんというものになっていく。

仏教については、その後もなん回かに分けて
宗派違いで渡来し、禅宗、浄土真宗いわゆる門徒、
日蓮宗、法華、などなど変化、変遷もしている。
また、神仏習合なんというものも、盛んに起きている。

また、陰陽道でよいのか、暦の世界感も少なからず
日本人に影響を与えていると思われる。
さらに、儒教。渡来自体は古いが、武士を中心として生活規範
なんというものになったのは江戸時代なのか、
我々の価値観に大きな位置を占めている。

そして、明治になって述べてきた、国家神道の
考え方が登場し、まるで国の宗教のようになっていた。
また、同時に近代の欧米的価値観も入ってきてもいる。
そして、戦後、現代まで。

時代を追うと、こういうことになるのだが、
これを絵にすると、実は、それぞれ矛盾をすることも
抱えながらの場合もあるが、なにかが完全になくなっている、
駆逐されたのではなく、多少形や中身は変わってはいるが、
積層して持っているのではないか、と考えたのである。

縄文の神が生きている諏訪大社と御柱祭をみてきて
どうもこうではないか、というところにたどり着いた。

縄文の神というのは、自然崇拝、アニミズムという
ことになるのだろうが、やはり我々日本人の自然観には
どうも、最も深い部分に今でもこういうものがしっかりある。

先般の大震災があっても、人々は容易に故郷を捨てない。
海や山に対して、心底から恨むことはしない。
これは縄文的世界感、価値観が残っているからではないか。

稲作が半島や大陸から入ってきても、大きな征服や入れ替わりは
なく、ある程度の渡来人はあったであろうが、徐々に、平和裏に
同化していった。

その後も、様々な価値観が流入してきたが、それぞれが
残っているのは他国、他民族に征服されたことはないからか。

複雑というのか、いい加減というのか。
また、こういう民族というのは世界的に見ても稀有であろう。

誇ってよいのか、わからぬが、少なくとも我々自身、
こういう背景をもってこの島国に1万年以上暮らしてきて、
今も暮らしているということを意識すべきではなかろうか。
私達が、どこからきたのか、を。

 

この稿 了


 


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