断腸亭料理日記2017

團菊祭五月大歌舞伎 その3


引き続き、5月の歌舞伎座「團菊祭」。

昨日は、一つ目の「壽曽我」と坂東彦三郎家の襲名披露。

休憩時間に弁当を食う。

既に書いたようにくる途中、銀座三越の地下で
買ってきた。

今日は、うなぎが食いたくなって[ての字]のうな弁。

[ての字]というのは創業文政10年(1827年)。
東京のうなぎやでも、かなり古い方であろう。
店舗で食わせるよりも、こうしてデパートで売っている方が
主なのかもしれない。

妙な屋号だが、創業者が鉄五郎という名前で、
頭の音を取って、「ての字」ということらしい。
(「てつの字」でもよさそうだが。)
江戸らしい、乙な名前である。

うまい。

むろん、うまい、のであるが、これは特上であったか、
3,000円を超えていた。
うなぎというものは、大きさで値段が決まっており、
弁当だから安い、店だと高いというものでも必ずしもなく、
今、うなぎそのものが高いということなので、
まあ、仕方がなかろうが、、、。

さて。

二つめの芝居は「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」。

昨年9月、やはり歌舞伎座で“通し”を観ている。

これは私のこの芝居の初見であった。

玉三郎、吉右衛門、二枚看板、両人間国宝の芝居で
現代において、これ以上の芝居はないのであろう。
芝居素人の私にも十分にたのしむことができた。

この芝居の最大の人気幕は、通称「飯(まま)炊き場」と呼ばれる
〈竹の間〉という幕。若君を毒殺から守る忠義の乳人(めのと)政岡が主人公。
御殿の座敷竹の間で政岡が自ら若君のためにご飯を炊く。
しかし、ここは今回はなし。それ以降が演じられる構成。

この芝居の詳細は、前回かなり詳しく書いているので
ご参照されたい。

(仙台藩のお家騒動を扱った話なのであるが、これは史実を
もとにしている。周辺の話もこの時書いているのだが、なかなか
おもしろい。)

ともあれ。

その有名な「飯炊き場」がないとなると、その後の
御殿、床下、対決、刃傷となる。

「御殿」では乳人政岡の子、千松が若君の身代わりになって
毒殺される。政岡の若君を守る乳人として気丈に振る舞い、
その後、母としての悲嘆。

昨年の玉三郎は、抑えた演技が光ったと評され、トウシロウの
私も大きくうなづいた。
今回は、その政岡を菊之助。
「玉三郎のお兄さんに習った」といっているようで、
なるほど、同じ路線であった。
私など、他の人のものを観たことがないので、
わからぬのだが、激しく取り乱したりするのであろうか。

ともあれ。
毎度書いているが、菊之助はそうとうな名優であると、私は思う。
ポスト玉三郎?。
あれ、菊五郎になるんじゃなかったっけ?!、
と思うほどである。
両方できたら、もっとすごいか。

そして「床下」。
ここは前回も松緑が登場したが今回も松緑で、ちょいと荒事の幕。
その時にも書いているが、この人は、本当にこういう役には
ぴったりはまるものである。

そして、最後の「対決・刃傷」となる。

ここはある種、法廷劇。お白洲の場面が見せ場。

お家騒動なので、若君派と乗っ取り派の戦い、で、ある。

法廷劇としての筋は、ちょっとチャチでびっくりするほどの
ことはない。いや、むしろ茶番といってもよいくらいか。

さて、ここでやっとというべきか、今月の「團菊祭」のもう一方の
主人公の海老蔵の登場である。(床下でも一度出てくるが。)

海老蔵は仁木弾正という乗っ取り派の親玉の役。

この役は、本来は座頭格のものである。
前回は吉右衛門であった。

現代ではあまりピンとこないが、悪者方の頭目は座頭が務める。
これは、歌舞伎の江戸の頃からの決まり。

吉右衛門の場合どうであったか。

悪者の親玉なので、とにかくふてぶてしく、そしてちょっとやそっと
ではやっつけられないくらいの強さを見せなければならない。
へなちょこでは、喜劇になってしまう。
さすが吉右衛門先生、ぐーともいわせない。

結局、勧善懲悪、最終的にはやられてしまうので、
ちょっとでも弱いところ、同情できるところなどは、構成上不必要である。
強いからこそ、やっつけがいがあるのである。
当たり前の話である。

そうすると、やはり強烈な存在感があって、うまい、なんでもできる
役者である必要があろう。
とすると、それはやはり、座頭となる。
単純といえば単純だがある意味、理にかなっている

海老蔵はどうであったか。
この人も、悪役はやはり人(にん)に合っている。

役作りなのか、心労なのか、わからぬが、
ちょっと痩せたのではなかろうか。
もっともっと強い悪役然としていてもよいのかもしれぬが
それでもこの年齢にしては、随分と存在感があった。
正直のところ、私自身今まであまり評価をしていなかったのだが、
ちょっと見直したくらいである。

前にも書いたが「團菊祭」と銘打たれても、
“團”の方は、海老蔵一人。
寺島しのぶの子息、眞秀君の初お目見得と坂東彦三郎家の
襲名披露と、昼夜、菊五郎家、音羽屋のための一か月とも
いえるようなところ。

孤軍奮闘する海老蔵が仁木弾正に重なって感じられさえしたのであった。

 

つづく

 

「刃傷シーン」

画:国芳 伊達競阿国戯場 先代萩 細川勝元:8代目市川 團十郎
井筒外記左衛門:4代目坂東 彦三郎 仁木弾正直則:8代目 市川 團十郎
江戸 河原崎座 嘉永2年(1849年)
(八世團十郎が二役ということか。)


 


 

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