断腸亭料理日記2017

山形肉そば

5月30日(火)昼

今日は山形。

かなり暑くなりそう。

盆地の山形は真夏日は必至であろうと覚悟をして
「つばさ」に乗った。

昼前に着いたら、
案の定、強い日差し。

昼飯は、山形駅ビルの蕎麦や[三津屋]へ。
(考えてみれば蕎麦が続くが。)

以前にも一度冬に入っている。
山形市内の老舗蕎麦やの出店(でみせ)。

席につくと、品書きとは別のシートで、
「冷やし鶏そば」というのがあった。

ん!。

これだ。

本来は「鶏そば」ではなく「肉そば」という名前。

山形の近年話題のご当地(B級?)グルメ、で、ある。

2年前にも真夏、山形でも芭蕉縁(ゆかり)の山寺駅の前で
一度食べている。

ちょっと不思議なそば、で、ある。

大盛で頼んでみた。

白髪ねぎときゅうりの千切り。
鶏肉のスライス。

ちょっと写真ではわからないが、氷も入っている。

つゆはこの店のものは少し甘め。

鶏肉は、なぜか堅い。

だがまあ、うまいもの、ではある。

なぜこんなものが山形で発展したのか。
かなり不思議である。

ぶっかけとも違うし、つゆの違いから、
温かいかけそばを冷やしたというものとも違いそうである。

由来を調べてみると、ちょっと古いがこんな記事を見つけた。
(マイナビ)

なんでも、山形でも本場は山形市の北西、
さくらんぼで有名な東根の西、
最上川沿いの河北町というところ。
旧町名では谷地町というよう。

ここで戦前、馬肉の煮込みで酒を呑み、
そのあと、もりそばを食べるという習慣があったという。
馬肉が戦争で食べられなくなり、鶏肉になった。

もりそばがどうして冷たいつゆの今の形になったのかは
説明されていないのでわからないのだが、
そもそも酒の肴のそばであったので、伸びないように
冷たいもの。
鶏肉を先に酒の肴としてつまんで、後でそばを喰う。
こういう食べられ方である、とのこと。

なんだか、核心部分はよくわからないのだが、
温めていないつゆにそばを入れて、酒の肴だった鶏肉をのせる
というのは、たまたまの思い付き、だったのかもしれない。

当初の、肉を先につまんで酒を呑み、別にもりそばを
食べればよさそうで、なんとなく釈然としないが、
そば自体を酒の肴にしていたという色彩も強いのかもしれない。
(奇しくも昨日の私の鴨せいろの食べ方はそういうことになる。
そばそのものが酒の肴になるのは間違いない。)

ある程度鶏肉をのせた冷たい汁そばというのが定着した段階で
つゆの味などは改良、進化し肉そば専用に最適化されたつゆが
できていったのであろう。

もう一点、冷たいつゆであるということの理由。
夏、暑い山形盆地という気候のせいではなく、
述べてきたように、酒の肴なので冷たいという。
冬でも本場河北町では肉そばは冷たいものという。

さて。

鶏肉が堅い件。

基本どこの山形の蕎麦やでも肉そばの
鶏肉は堅いもののようである。

これはなぜか。
若鶏ではなく成鶏を使っていると説明される。

しかしこれ、以前は卵を産まなくなった廃鶏の利用であった
のではなかろうか。

愛知県高浜市では廃鶏を使った鶏飯を名物にしている。
ここは養鶏が盛んで廃鶏が多くあったから。
また、奄美の鶏飯(こちらはケイハンと読む)にかける
鶏のスープは同じく廃鶏から取るともいう。
(奄美でも肉も食べていたということも聞いたことがあったような
気もするが。)

理由は安かったから。

むろん今では柔らかい若鶏を使ってもよいのであろうが、
堅い鶏肉を使うことが定着し、今では山形肉そばといえば、
そういうものになっている。

歯応えがよいので、これはこれで乙なものであることは
確かである。
(普通の鶏肉では、冷やした鶏南蛮か。
だが、そんなものも存在しない。)

しかし、で、ある。

調べて、考えてくるとある程度は
納得はできるのだが、それでも、なんでこんなものが
という疑問は完全には払拭されていないように
感じるではないか。

皆様、いかがであろうか。
山形に訪れる機会があったら是非食べてみていただきたい。

山形肉そば、ちょいと妙なものである。

 

 

三津屋


 


 

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