断腸亭料理日記2018

磯田道史氏著作から
「通史的思考」と「民衆の視点」その1

さて、突然だが、磯田道史という人をご存知であろうか。

国際日本文化研究センター准教授、日本近世史学者。
1970年生まれで今年48歳。

歴史好きの方はご存知かもしれぬ。

映画「武士の家計簿」の原作。
NHK・BSのの「英雄たちの選択」の司会をされている。

この先生、前から気になっていたので、この夏休みから
kindleで買える著書を軒並み読んでみた。
その中で、そうである!、と膝を叩いたことを二つ
書いてみたい。

一つ目は「明治維新で変わらなかった日本の核心」(PHP新書)

という著作。これ自体は猪瀬直樹氏との対談をまとめたもの。
“明治維新”とタイトルでいっているが、古代から近現代までの
我が国を“通史”として政治経済その他がどのように
変わってきたのか変わっていないのかを考えている。

磯田氏はあとがきでも「歴史で一番大切なのは『通史』である。」
といっている。

「通史」というのは、時代を越えて歴史を考えるというような
概念といってよいのか。
日本人はこういった「通史」という考え方は苦手であるという。

教科書でも学校の教え方も時代毎であるし、研究者も専門分化が
はっきりしており、奈良時代であれば古代史、室町時代であれば
中世史、江戸時代であれば近世史、とそれぞれの研究分野が分かれ、
その専門分野を掘り下げて研究している。
まあ、蛸壺といってよいのか。

一般の歴史好きの人も、戦後国好き、幕末好きなど、
好きな時代が決まっている。

私は、以前から書いていたと思うか、
「私たちはどこからきて、どこへ行くのか」ということを
明らかにすることが大切であると思っている。

日本史学者、日本民俗学者、その他日本をフィールドとする考古学
歴史地理学者、社会学者、文化人類学者、経済、金融、文学、言語、
心理、宗教、演劇、音楽、芸能、絵画もろもろのすべての
人文社会学系の日本研究の最終的なミッションの一つは
「私たちはどこからきてどこへ行くのか」を日本社会に物申すこと
ではないか、と考えるのである。

私自身は大学で日本民俗学を学んだ。
日本民俗学は史学ではない。
史学と民俗学の違いは同じ日本社会を扱っても、
文献史学などというが、日本史学は基本的には文献、古文書を
ベースに研究をし、時代、年代という時間軸の概念を持つ。
民俗学は基本的には文献は使わずに、そこに住んでいる
人々へのインタビュー調査、フィールドワークをもとに
研究をし、時間軸の概念は持たない(と習った)。
(もちろん、どちらも原則論として。)

つまり、民俗学では研究対象のムラなり社会がどんなものなのか、
という、史学でいうところの通史のような考え方をするのため
「私たちはどこからきてどこへ行くのか」ということが大切である
というところに行きついたのかもしれない。

ここで、ちょっとだけではあるが、なん回も書いているが
私自身のバックグラウンドを書いておく。

私自身は東京の出身である。大学の民俗学の学科では学部の
卒論は最も身近な自分の故郷へいって書けといわれていた。
しかし、当時日本民俗学ではマチ、都市は扱わないというのが
原則で、私の故郷である東京は対象ではなく大学で民俗誌の
編纂を依頼されていた、新潟県最北の山北町の
調査に入れてもらい、卒論(らしきもの)を書いた。

そしてその後、サラリーマンをしているうちに、江戸落語
(立川談志家元)に出会いのめり込み、落語を習い
自ら演じるようになった。演ずることもしながら、
過去の名人のものも含めておそらく世の中に残っている音は
ほぼすべて集め聞いている。噺もおそらくかなりの数を知っている
と自負はしている。(知っているだけで喋れるわけではない。)

また、もう一つ、池波正太郎先生の「鬼平犯科帳」他2シリーズの
江戸庶民を描いた作品群に接し、これらも私の骨肉になっていった。

大学で江戸、東京の民俗を研究できなかったのが、江戸落語と
池波先生にのめり込んだということになっていたのだと思っている。

ともあれ、そんなことで一時期NHK文化センターさんの講座
「池波正太郎と下町歩き」なんというものをやらせて
いただいたりもした。(料理、食い物のことは、まあ、
枝葉ではある。)

この講師をさせていただいた経験で自ら自覚したのは
歌舞伎のこと。江戸、庶民、民俗、というキーワードを
掲げながら、歌舞伎というものは、私の頭の中にはほぼ完全に
欠落していた。これは圧倒的な弱点である。
歌舞伎を知らずに江戸庶民を語ろう、などいうのは、
まったくもって片腹痛いことであると気付き、その後
勉強のつもりで、年に数回ではあるが観るようにし、
また、資料も読み、都度できるだけ深くその芝居や役者を
知ろうとしてきてはいる。また、そのアウトプットというのか、
観劇記のようなものもここに書いてきた。
この中で、考えてきたのは、江戸落語とやはり関連するが、
河竹黙阿弥翁の芝居群である。
時代として落語と重なると思うが、幕末から明治のもの。
このあたりにかなり惹かれている。

とまあ、以上のようなバックグラウンドで、
「私たちはどこからきて、どこへいくのか」を考えていたり
するわけではある。

必然的にこの「私たち」は江戸人、東京人になってきたり
しているわけではあるが、まあそれでも語るのには足りていない
ものがまだあるのは自覚はしている。

と、ここまでが「通史的思考」、「私たちはどこからきて
どこへいくのか」にまつわること。

さて、もう一つ。磯田先生の著作で気になったこと。
これも複数の日本史学者のシンポジウムで「戦乱と民衆 」
(講談社現代新書)

というもの。
古代から近代まで、各時代毎の戦乱の中で民衆はどうしていた
のか、というテーマ。
歴史というのは、民衆という視点で研究されたものは
今まではどちらかといえば、枝葉であった。
信長やら、秀吉やら、坂本龍馬やら西郷隆盛が主役であった。
しかし、大坂の陣で大坂の民衆はどうしていたのか。
禁門の変で京都の町は焼かれたのだが、この時京都の町の人々は
どうしていたのか、といった切り口である。

昨今、私の知る範囲でも特定の分野で、近世(江戸時代)などでは民衆に
焦点をあてた研究群は皆無ではない。
しかし、全体をみれば、やはり政治であったり、文化でも耳目を集める
対象が研究の主体であったのだと思われる。

名もない人々、町民、農民などを対象にしたものが
先ほどの通史同様に、日本人というのは何者であるか
ということを考える際には欠かせない視点であることは
いうまでもなかろう。



つづく


 

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