断腸亭料理日記2019

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その12

引き続き、円朝作「真景累ヶ淵」。

昨日は「豊志賀の死」まで。
なかなかよくできている。怖い、がおもしろい。
ストーリーテラーの円朝の面目躍如であろう。

その4「お久殺し」
豊志賀の死後、新吉はお久と下総へ駆け落ちする。
下総の羽生村。今の常総市羽生町の累ヶ淵。
夜になってしまう。
雷雨。
鬼怒川の土手道でお久は怪我をしてしまうが、どうしたことかその顔が
死んだ豊志賀そっくり、目の下が腫れてくる。錯乱した新吉は拾った
草刈鎌で誤って殺してしまう。新吉は隠さねばと思い、死骸を川に
落としてしまう。これを土手の甚蔵という江戸から流れ、土手下の
小屋に住み着いている「悪党」に見られ、強請られるが金もなく、じゃあ、
というので弟分になる。

その5「お累の婚礼」
お久の死骸は村の者に見つけられ、寺へ葬られたことを知り
新吉は墓参りに行く。
お久はこの村の物持ち、質屋を営む三蔵の姪で二人はここを目指してきた
のであった。三蔵はお久のいた江戸の質屋で奉公をしていたのである。

この墓で三蔵の妹、お久には従妹でやはりいい女のお累(るい)に
出会う。新吉はいい男で、お累は新吉に岡惚れする。
だが、お累は熱湯を浴びて、例の豊志賀の顔面半分腫れた顔になってしまう。
三蔵から話しがあり、新吉はお累の婿になり、お累は新吉の子を身籠る。

「真景累ヶ淵」関係図 その2

その6「勘蔵の死」
そんな時、江戸から新吉の伯父、勘蔵が病で余命いくばくもないとの
知らせがきて、新吉は駆けつける。
勘蔵は死を前にして、新吉の生い立ちを話す。

父新左衛門のこと、新吉はその次男で、自分(勘蔵)はその奉公人であった。
新左衛門の宗悦殺し、新左衛門の奥方の病、奥を深川から手伝いにきたお熊
という女に新左衛門の手が付き身籠る。長男の新五郎は父に嫌気がさし家出。
新左衛門は乱心から奥方(新吉の母)を切り、自らも切り死。一家離散。
お熊は女の子を産むが仕方がないので深川に戻る。そして、新吉は自分の甥として
育てたこと。

新吉が下総に戻る途中、篭に乗るが眠ってしまい兄の新五郎が夢に出てくる。
新五郎が捕まったのは質屋の三蔵が奉行所に訴えたことをいい、その妹の
累の婿になったことを責めた。
兄新五郎。(これは「その2」で語られたもの)新五郎は家出後、再び江戸に戻り、
豊志賀の妹お園を誤って殺してしまった後、働いていた店の金を盗んで逐電
(ちくでん、トンズラすること)、捕まり、既に獄門になっていた。このことを
新吉は同じ帰り道、小塚原の刑場で新五郎の捨て札を見て知ることになった。
この新五郎もまあ「悪党」といってよいだろう。

その7「お累の自害」
新吉が下総羽生村に戻ると、お累は新吉の男の子を産んでいた。
新吉がこの子の顔を見ると、夢に出てきた兄の新五郎に瓜二つ。
ギョッとし、これも己の因縁か、と思う。
お久の墓参りに行くと、お賤(しず)という江戸者の女に出会う。
お賤は羽生村の名主惣右衛門の妾。同じ江戸者というので二人は
惹かれあう。
このあたりから、新吉は人が変わっていく。
お累の顔は半面腫れて見られない顔。息子は獄門になった兄そっくり。
家にも寄り付かなくなり、お賤の家に入りびたり。
遊ぶ金欲しさに家のものはあらかた質入れ。挙句、お累は病に。
それも顧みない新吉。たまに帰ると、お累に殴る蹴る。
気持ちがわるいと息子に煮え湯を掛けて殺してしまう。

DVと子殺し。どこかで聞いたような話しである。

平然と家を出ていく新吉。お賤の家へ。
夜中、雨の中、お賤の家にお累が訪ねてきて、今晩中にこの子を
葬ってくれという。なおも新吉は殴り、蹴り、締め出す。
と、直後、お累が、死んでいるという知らせが入る。
お累は、家で、新吉がお久を殺したあの草刈鎌で自害をしていた。

円生師(6代目)の噺でも、とても聞いていられない。凄惨、新吉の
自己中、人非人(にんぴにん)ぶりが際立つ。

その8「聖天山」
ここから、お賤主導になるが、財産目当てでお賤の旦那である名主
惣右衛門を殺し、これをねたに強請りにきた土手の勘蔵も二人で殺し、
お賤新吉は羽生村を出奔。

ここまでで前半である。
ここからは、円生師(6代目)のCDにも入っていない。
あまり演られることもなかったのであろう。

ここからしばらく、お賤新吉からは離れる。
惣右衛門が殺された羽生村名主の跡取り惣次郎一家の話しになる。

速記本からの円朝全集を読んだわけだが円朝の語りはディテールが実にしっかりと
語られているのがわかる。ストーリーもさることながら部分部分もおもしろい。
もちろん、言文一致の話し言葉なので、明治の言葉だがさほど難しくはない。
後半の主要登場人物を挙げてみよう。

・惣次郎…羽生村名主
・お隅(すみ)…惣次郎の妻
・惣吉…惣次郎の弟
・花車重吉…関取、惣次郎の幼馴染

・安田一角…剣客、近くの田舎道場の道場主
・山倉富五郎…旗本の元用人の浪人。江戸から流れてきて惣次郎に
       拾われ名主屋敷で職を得ていた。

さて。
山倉富五郎はお隅に思いをかけ、惣次郎から奪うため、
恩のある惣次郎を裏切り、惣次郎と因縁のある安田一角をけしかけ
殺させる。

お隅は夫の仇討に出る。山倉は打てたがお隅は安田に返り討ちに遭い
命を落とす。

残された惣次郎の母と弟の惣吉、この時10歳、が安田一角の仇討に出る。
二人ではどうにもならぬので頼りになる関取の花車に助太刀を頼むため
江戸へ向かう。
途中、母が急病になり近くにあった観音堂に助けを求めると出てきた
比丘尼(尼さん)に騙され母は殺され、あり金を取られてしまう。

まさに、兄をはじめ皆が次々と殺され、惣吉は10歳の若さで
あっという間に、一人っきりになってしまった。

だが、不幸中の幸というべきか、ところの和尚に拾われ、
母や兄の菩提を弔い、私のとこころにいなさいというので、
惣吉は和尚の弟子となり宗観(そうかん)と名を変える。

一方、ここで、お賤新吉再登場。
二人は羽生村から逐電し、諸国をまわって悪事を働き、もはや
一角の「悪党」になっていた。
そして、久方ぶりに羽生村の近くまできていたのである。

街道で村にいた頃、新吉とつるんでいた作蔵にばったり街道で出会う。
すると、かの質屋の三蔵が大金を持ってここを通るはずであると、
いうので、三人で待ち伏せ、三蔵と共の者を殺し、金を奪う。
さらに、新吉、お賤は作蔵を殺す。

この時、お賤は顔に怪我をする。この怪我がまた豊志賀、
お久、お累同様の半面が腫れるものであった。

翌日、新吉とお賤が旅を続けていると夕暮れになって雨に
なってきた。雨宿りに、近くにあった観音堂に入る。
出てきた尼さんに休ませてもらうことを頼む。

と、お賤が
「おや、おまえはお母(っか)あじゃないか」
尼「はい、どなたへ」
賤「あれまあ、お母あだよ。まあ、どうしておまえ尼におなり
だか知らないが、ほんとうに見違えてしまったよ。十三年あとに
深川の櫓下(やぐらした)の花屋へ置き去りにしていかれた娘の
お賤だよ」

そうである。この尼はお賤の実の母、お熊であった。
ここから長い長いお熊の衝撃の、懺悔話になる。

 

 

つづく

 

 


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より

 

 

 

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