断腸亭料理日記2019

上野・とんかつ・蓬莱屋

2月25日(月)夜

さて、ちょっと久しぶりであろうか。

上野のとんかつや[蓬莱屋]。

先日も書いたが、ここは大正元年創業で現存するとんかつや
としてはおそらく最も古い。
ご近所の[ぽん多本家]の方が創業は先なのだが、洋食やを
名乗っているので、あくまでもとんかつやとして、という
ことである。

[ぽん多本家]は今日は休み。

5時の開店を目指していく。

ここはヒレカツ専門。
ヒレカツ専門に揚げ始めたのもここが初めてであるという。

そして、かの小津安二郎監督がお馴染みであったところで
あるのも有名。
小津監督はとんかつが好物であったというが、中でもここ。
昭和38年、監督の臨終の病床に届けられたとんかつも
この店のものであったそうな。

とんかつ、とんかつやと映画というのは、この時代、
もう一人の監督を思い出す。
川島雄三監督。「幕末太陽傳」「須崎パラダイス赤信号」などが
代表作といってよろしかろう。
川島監督もとんかつは好物でその名も「とんかつ大将」という
とんかつの好きな下町の青年医師を主人公にしたものを撮っている。
そして川島監督だとやはりご近所の[井泉本店]。
ここをモデルに森繁主演で[喜劇とんかつ一代]を撮っている。

昭和も30年代以前。私たちが生まれる前の世相ととんかつ。
神話であるが、上野はとんかつ発祥の街ともいわれている。
真相は、明治末から大正期、東京の各地で洋食やのカツレツが
独立しとんかつのみを出す店が同時多発的に生まれていた
のではないかと考えている。
だが、中でも上野に多かった。今も多い。
江戸からの繁華街、下町の代表、東北日本への玄関口。
そんな上野ととんかつが合っていたのではないか。
銀座ではなく、上野。今も銀座にはとんかつやがほとんどない。

庶民のご馳走であったとんかつ。

今はここ[蓬莱屋]もヒレカツ定食2,980円で決して安くはないが
もっと身近なものではなかった。

閑話休題。

5時10分頃、暖簾を分け、曇硝子の硝子格子を開けて入る。

先客なし。
口開けである。

カウンターの一番端っこ、壁際。
コートを脱いで、掛ける。

お姐さんが、品書きとお茶を運んでくる。

あ、ビール。
中瓶。
中瓶はエビス。

それから、ヒレカツ定食。

ビールを頼んでも、お姐さんはお茶は置いていく。

ビールがきた。

ここのお通しは、以前から四季を問はず、これである。
枝豆?、青大豆のひたし豆、が正解か。
お通しがいつも判で押したように、同じというのも
一つの見識であろう。

エビスをゆっくり、呑む。

ここはヒレカツを長いまま、揚げる。
二度揚げだが、比較的時間がかかる。

カウンターが高く、揚げている手元は見えない。

揚がったようである。
切って、キャベツが盛り付けられた皿にのせる。

お待ちどうさまでした。

お姐さんがきて、ご飯は後になさいますか?、
と、聞いてくれる。

あ、それで。

ここは、こういう気を使ってくれる。

ビール一杯分程度は残して、とんかつでも呑みたい、
のである。

「熱燗はやめてくれ!」もそうなのだが、
なにもいわなくとも、以前は東京のどこの食い物やにもあった、
気の使い方ではなかったのか。

お客の呑み食いにスタイルがあった。
それもある程度の共通性を持って。
これが池波先生などがいっていた“男の作法”であろう。
粋、野暮と言い換えてもいいだろう。
こうした東京の男の作法のわかる者がほぼなくなっている
ということなのかもしれぬ。客も店も。

だがこれも食文化の一つではなかろうか。

アップ。

濃いめの揚げ色。
中心はほんのりピンク色。

ここは塩は置かれていない。
かなりシャバシャバなソースをかけ回して、食べる。

弾力のある柔らかさ。
ロースが好きでかつ以外でも、ヒレはあまり食べないのだが、
うまいものである。

ビールで二切れほど食べ、ご飯をお願いする。

豚汁ではなく、味噌汁。
青みはいんげん。
舌が火傷をするほど、熱い。
だが出汁感は強い。
昔のままなのかもしれぬ。

食べ終わりが近くなると、お姐さんが熱いおしぼりと
差し替えのお茶を運んでくる。

うまかった。

ご馳走様でした。

コートを引っ掛けて、立って勘定。

ありがとうございました〜。

蓬莱屋

台東区上野3−28−5
03−3831−5783

 

 

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