断腸亭料理日記2019

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」
〜断腸亭考察その27

引き続き「悪党の世紀」を踏まえての断腸亭の考察。

円朝の忠義・孝行の孝行に対し徹底的に茶化す「二十四孝」
(+「天災」)について考えている。

これ、どちらも真実なのである。
抵抗する八五郎も説教、意見をする大家、紅羅坊奈丸も。

どちらも人間の中に、人の社会にあるのである。

そのバランスの中に人間は暮らしている。

「二十四孝」も「天災」も“業の肯定”といってよいのであろう。
聞いた客(江戸っ子の職人)は、そうだ、そうだと、喝采を
送るでのであるが、いずれそのことに気が付く。

こういうことを意図して作られたとまではいえなかろうが、
「人間」というものを深く反映した噺になっているように
思うのである。だからこそ、現代まで残っている。

そんなことで「既成の道徳、価値観を疑い」「ぶっ壊」して
いる、わかりやすい噺がたった二例であるが、深い。
この人間というものの本当の姿を描いた“深い”話は人々が限界状況に
あった「悪党の世紀」だからこそ、生まれてきたのではないか。
まずこんなことを考えてみたのである。

さて。
そんなことで、もう少し、わかりやすい例を
探してみたのだが、そうそうきれいなものは見つからぬ。

ただ「規制の道徳や価値観を疑い」「ぶっ壊している」ような噺は
数限りないし、落語とはそうだ、といってもよいくらい。
ただ、ここに取り上げて説明しやすいというとなかなか難しい。

そして、この作業よくよく考えると、「悪党の世紀」という
切り口で数ある落語の噺をくくり直すということである。
始めてみたのはいいが、かなりたいへんなことに気が付いた。
ただ、やはり、この作業、新しく落語というものが見つめ直す
ことにもなると思うのである。がんばって続けてみよう。

因業大家(いんごうおおや)vs店子(たなこ)という対立。

これはどうであろうか。
いかにも幕末の「悪党の世紀」との関りはありそうではないか。

大家というと、因業大家というのはすぐに思いつくのだが、
これもよくよく落語に出てくる大家を吟味してみると、いろいろある。
大家がすべて因業大家かと思うと、そうでもないのである。

いい大家さんもいる。ひょっとするとそちらの方が
多いかもしれない。「二十四孝」「天災」の大家さんも
別段因業大家というわけではない。説教はするが、
八っつあんのためを思って言ってくれているのである。
「小言幸兵衛」の幸兵衛さんも、口うるさいが、因業と
いってしまうのは、かわいそうである。「髪結新三」の大家さんも
欲張りだが、悪を懲らしめ事件をきれいに解決している。

そこで「唐茄子屋政談」「大工調べ」。
この二席はどうであろうか。
わかりやすい因業大家が出てくる。

先に「唐茄子屋政談」の方からみていこう。

この噺、どのくらいの方がご存知であろうか。
ちょっとマイナーな噺かもしれぬ。

志ん生(5代目)、金馬(3代目)あたりから、志ん朝師が有名か。
前半部分は、笑いもあり、人情もあり、よい噺で、今も
演じる人はある。

この前半部分は落語では毎度お馴染み、放蕩の若旦那が勘当になる。
最初は威勢がいいが、金もなくなり泊めてくれる友達もなくなり、
困り果て、吾妻橋から身投げをしようとする。
(これも毎度お馴染み、身投げといえば吾妻橋。たまに永代橋の
こともあるが。)

すると、通りがかりの人に、止められるのだが、
これが実の叔父さんであった。

叔父さんは、兄(若旦那の父)への憚りもあり、止めなきゃよかった
などというが、本所の自分の家に連れていく。
叔父さんは、翌日から若旦那にかぼちゃの担い売りをやらせる。
大店の若旦那で、重いものなど持ったことがないので、四苦八苦。
季節は真夏。浅草、雷門あたりでフラフラになって倒れてしまう。
すると、近所の人が出てきて、訳を話すと、かわいそうだというので、
ほとんどのかぼちゃを、近所の人にもいって、売ってくれる。
若旦那は、人情を知る。

かなり軽くなったので再び歩き始め、以前通った吉原あたりまでくる。
あー、ここで楽しい日々を送ったな〜、などと回想。
ほぼ、ここまでで終わることがほとんど。

問題は、ここから。
浅草の西に誓願寺店(せいがんじだな)と当時呼ばれた、まあ、
かなりの貧民街があった。ここに入ってくる。
買ってくれる、という家があり、それじゃそこで弁当を食べようと
軒先を貸してくれ、と頼む。そのお内儀(かみ)さん、お茶はおろか、
お湯もないくらい、貧乏。後家さんで小さな子供が二人もいる。
子供はなにも食べていないようで、弁当を物欲しげに見ている。
若旦那は弁当を子供にあげ、売り上げもそのお内儀さんに全部渡して
帰ってくる。

叔父さんは若旦那の働きをたのしみにしていたが、売り上げはない、
え?ということになるが、わけを話すと、よくやった、と叔父さんも
ほめる。叔父さんは、俺もそのお内儀さんの面倒をみたい、というので
二人で再び誓願寺店の長屋へ。
くると長屋では騒ぎになっている。「あ、さっきの八百屋だ」。
「お前さんが、してくれたことが仇になった」という。
ここの大家が因業で、残してきた売り上げはたまった店賃にと
むしり取ってしまった。お内儀さんは子供を置いて、首を吊って
死んでしまった。(嗚呼。)
若旦那、叔父さん、長屋の人々、怒って、大家の家を皆で“打ち壊す”。
裁判になり、大家は相応の罰を受けた。
叔父さんはお内儀さんの葬式を出し、残された子供を育てたという。

なかなか、凄い噺なのである。

「口演速記明治大正落語集成(以下「集成」)」に春風亭柳枝(3代目)
明治24年(1891年)の口演で「性和善」という名前で載っている。

講談の「大岡政談」から落語になっている。だが、天保5年のこと
としてこの事件が史料にあるよう。(「落語の鑑賞201」延広真治編)
これ、実話なのかもしれぬ。
天保5年の事件であれば、これは間違いなく「悪党の世紀」のもの
といってよろしかろう。

ちょっと極端な例を見つけてしまったのか。
「悪党の世紀」の反映どころか、そのものではないか。

落語でこういう実話を元にしているものは、レアであろう。
前半部分がよい話なので、現代に残っているということかもしれぬ。

噺の成り立ちは、前半部分と後半部分と別の噺といってもよいほど
違っている。取って付けたよう。実際に取って付けたのでは
なかろうか。
だが一席、として、どちらも当時の人間を描いて余りある。

落語では定番の“放蕩の若旦那の勘当と改心”に、「悪党の世紀」
の極貧家族と因業大家、“打ち壊し”を描いている。そういう目で見ると
隠れた名作に思えてくる。凄い噺である。

 

 

 

つづく

 

 


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より

 

 

 

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