断腸亭料理日記2019

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」
〜断腸亭考察その32

引き続き、名作「黄金餅」。

西念が死んじゃって、金兵衛は飲み込んだ金を取ろうと算段。
葬式を仕切ることにする。大家にいって、通夜の準備。

早桶※なんぞ買えないから、井戸端に干してあった奈漬けの樽(大家のを
無断借用)に納める。長屋の者も集まって、線香をあげて通夜。
金兵衛の寺は、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の
木蓮寺(もくれんじ)。(場所も寺も架空。)
どうする?、今夜のうちに持ってちゃうか。この長屋の者ぁ皆、明日一日
休んだら、食えなくなっちまう。と、いうことで、長屋中で葬列となる。
大家は足が悪くて「すまねえが、皆に頼むよ。」
「担ぐのはどうする?。」
「今月の月番と来月の月番だ。」
「なんだかよくお前と担ぐね。」
「そうだ。隣同士だからな。」
「この前も糊やの婆さんが死んだの担いだ。」
「そうだ。」
「また担ぐんじぇねえか。」
「そうだ。」
「こんだ、大家さん担ぐんじゃねえか。」
「冗談いっちゃぁ、いけねえ。」

皆、提灯を持って出てくる。提灯たって満足なものぁ一つもありゃしない。
盆提灯を持ってくるものもあれば、柄の取れた弓張だったり、、。

この噺、壮絶なのだが、笑いが多いのが特徴。
「こんだ、大家さんさん担ぐんじゃねえか」は大好きである。
これぞ落語である。
志ん生(5代目)だけの工夫ではないかもしれぬが、これがこの作品が
残っている大きなポイントであろう。
志ん生(6代目)では「大家さん担ぐんじゃ」を含めてずっと増えているが
円朝全集のものも、やはりもともと笑いは多い。
志ん生(5代目)までどのように伝わったのだろうか。

ここから、かの有名な麻布の寺までの道中の町名を並べる、言い立て
といってよいのか、そこまで早口ではないが。

「下谷の山崎町を出まして、上野の山下を通って、三枚橋を渡って
広小路へ出てまいります。、、」

これは覚えていないので空では書けない。

家元は、金馬師匠(3代目)だと「上野の広小路を出ます。えー。
あのあたり今も雑踏がございますなぁー。今あの辺にイラン人がたくさん
いて、偽の電話、売っております。西郷さんが睨んでイヤーな顔しており
ます。、、」などと物真似版も演っていた。(金馬師は演っていない
と思うが。)

上野から中央通り、神田を抜けて、日本橋、京橋、銀座八丁を突き抜けて、
新橋で右に曲がって、虎ノ門を左に曲がる。愛宕下、神谷町、右に曲がって
飯倉の坂ぁ上がって、飯倉片町、左に曲がって麻布の永坂、降りて、十番、
大黒坂を登って一本松から麻布絶口釜無村の木蓮寺に着いた時には
みんなくたびれた。

私、虎ノ門まではわかるのだが、麻布辺りは土地勘がなくイメージが
できない。今、グーグルマップでこのルート検索してみた。歩きだと
2時間10分と出た。早桶を担いでいるので、もっとかかっていようが。
深夜である。まあ、くたびれよう。

寺へ着くと、ここも超貧乏寺。
山門の扉を金兵衛が叩く。
金「和尚さぁ〜〜ん、開けてくれよ〜〜。」
和「うわぁ〜〜〜い、酒屋の小僧かぁ〜〜〜?
  一升や二升の酒で木蓮寺の和尚は夜逃げぁしねえといっとけ〜〜。」
金「なんだなぁ。酒屋の小僧じゃねえよぉ。金山寺やの金兵衛。」
和「うぇ〜〜?金山寺持ってきたぁ〜?」
金「金山寺なんか持って来やしねえよ。弔(とむれ)ぇ持って
  きたんだよ」
和「え〜〜?金兵衛さんが死んだか?」
金「なんだかなぁ。そうじゃねぇよ。俺は金兵衛。弔ぇ持ってきたんだよ。」
和「あ〜、そうか」
金「ここ、開けとくれよぉー」
和「あー、そこ開かねえよ。こないだの嵐で倒れたのをそ〜と起こして
  ヤツがかってあんだ。うっかり叩くとそっちへ倒れるぞ」
金「お、お。危ねえなぁ。
  どっから入んだ」
和「さあなあ、どっからって、ないが、その先の塔婆垣が壊れたとっから
  犬が出入りしてるから、そっから入ってきな」
金「なんだなぁ。犬こ(く)ぐりかい」

ここの件(くだり)も傑作である。
この間抜けな会話、大好きである。いかにも志ん生(5代目)ではないか。
(こういうところは空で書けるのである。)

皆で、犬こぐりから入る。
「おー、オメエ先に入れよ。」「やだよ俺、太ってるから。」
「太ってるから先ぃ入るんだよ。後の者が楽じゃねえか」というのがある。
これも大好き。

和尚は庫裏で「な〜〜に、今な、くさやのいいのがあったから、一杯
やってたことなんだよ」と、いい機嫌。

本堂にお棺を運び、葬式。
本堂っつたって、ガランドウでなんにもない。
阿弥陀様も木魚も銅鑼もみ〜〜〜んな売っぱらっちゃって、な〜〜にもない。
衣も袈裟もないので、麻の蚊帳の破れたところに頭を突っ込んで、
払子(ほっす)の代わりに、ハタキを持って出てくる。
線香も焼香もないので、煙草の粉とお茶の粉を煙草盆の炭にくべて、欠けた
茶碗をチーンと鳴らし、怪しいお経が始まる。
「きんぎょ〜〜〜、きんぎょ〜〜〜、、、、、
 、、、、アチャラカナトセノキューライス、テケレッツノパ
 お仕舞」
「あ、お仕舞かよ、まじめにやれよ。」
「いいよ。どうせまた、きんぎょ〜〜って始まるだけだよ。」

このお経はもっともっと長いのである。もちろん全編滅茶苦茶。
これだけ、ふざけた噺も珍しかろう。
談志家元がいっていたイリュージョンといってよいのか。
凄惨さとの落差。
もちろん、それを考えて、これ以上ないくらいふざけていると
考える。

金「じゃ、みんなご苦労さん。ほんとだったら、茶の一杯(いっぺい)
  も出さなきゃなんねぇだが、弔(どむれい)が貧乏で寺が貧乏と
  きている。なんにもねえから、こっから新橋ぃいくと夜明かしが
  出てるから、みんなそこで、手前(てめえ)の好きなもの食って
  呑んで、手前(てめえ)で勘定払って、帰ってくんな」
 「なんだな」といいながら、皆、帰る。

金兵衛は、庫裏の台所で錆びた鰺切りをギッテ(盗む)、桶に連尺と
いう背負う道具を付けて、木蓮寺を出る。
一人、で、ある。
「あー、気味がわるい」
だが、これをしないと西念の腹の金は手に入らない。

焼き場は桐ケ谷。今も桐ケ谷には斎場があるが、麻布からはこれも
随分距離がある。(やはり調べると徒歩で1時間ほど。)

焼き場に着いて、今すぐ焼けと脅す。
「順繰(じゅんぐ)りだよ」「順繰りも、どんぐりもあるけぇ」。

とにかく、夜明けまでには焼いとく、ということ決着。

仏の遺言で一つだけ、頼みがある。
腹だけは、生焼けにしておけ、と。

で、一度出る。

 

つづく

 

 


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より

 

 

 

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