断腸亭料理日記2019

断腸亭落語案内 その1 円生・御神酒徳利

昨日からのつづき、ではあるが、
いい加減、タイトルを変えた方がよいか。

断腸亭落語案内?、、前にも書いたような気もするが。
まあ、よいか。「その1」として再スタートにしよう。

須田先生からも離れ、現代の東京の落語家から音の残っている、
過去の落語家について書き始めた。

三遊亭円生(6代目)、古今亭志ん生(5代目)、桂文楽(8代目)
昭和の三名人から。

私のNo.1は円生師。一般に評価の高い「包丁」。私自身「包丁」
という噺は特に好きでも嫌いでもない。
円生師の一席のものの噺では「寝床」が好きである。

「寝床」は、時代設定は明治あたりであろうか。
大店の旦那が義太夫(三味線と義太夫節という唄。唄の方を
稽古する。)に凝り、店子や店の者に料理など出して聞かせる
という、ドラえもんのジャイアンリサイタルの元ネタと
いってよい噺。

前に書いたように、この三人の世代までは、誰かの看板になった噺は
他の人はしない、という不文律があったが、「寝床」は珍しく三人とも
演って、音が残っているレアな噺かもしれない。三人ともよい。

そもそも私はこの噺自体が好きである。
旦那が誰がくるんだ、と聞くのに、店子のそれぞれの事情を聞きに行った
店の者が一人一人の事情を説明する件(くだり)、ここは文楽師。
豆腐やのところでは、がんもどきの作り方を細かく説明を始め「誰が
がんもどきの“製造法”を聞いてるんだ」は肝。

志ん生師は、番頭にサシで聞かせたことがあり、この時、逃げる
番頭を追いかけて、蔵に追い込み、旦那は梯子をかけて蔵の窓から
中に義太夫を語り込み、蔵の中で義太夫が渦を巻いて、番頭は
七転八倒、、。その場でお暇をいただきたいと、いなくなって
しまった。
まさにドタバタのデフォルメ・イリュージョンである。
談志師は三人を混ぜて、ここから文楽師匠、ここから志ん生師匠、
円生師匠と入れながら演っていたのを思い出す。

円生師は子供の頃義太夫で舞台に上がっている経験もあってか、
枕で義太夫の物真似をおもしろく聞かせるのだが、これが秀逸。
一しきり、大袈裟に(?)義太夫の笑い方を演って、最後に義太夫
のことを「馬鹿ですよ。あんまり利口な仕事じゃない」とやっている。
私は、本編よりもここの方が好きかもしれない。

噺は店子は誰もこない。店の者も仮病を使って誰も聞かない。
旦那は怒って、店立て(皆、即刻家をあけてくれ)、奉公人には
暇を出すと言い始める。それはいけないというので、皆、集まる。
旦那はへそを曲げてごねるが、結局始める。
だが、皆、出されたものを食うだけ食って、呑むだけ呑んで
聞きながら寝てしまう。旦那は途中で気が付き「家は宿屋じゃないぞ。
帰っとくれ。」すると、小僧の定吉が泣いている。「番頭、見ろ。こんな
年端もいかぬ子供だが、ちゃんと義太夫の人情がわかるんだ。
え、どこが悲しかったんだ」「あそこでございます」「あそこだ?」
「あそこは私が義太夫を語っていた、床(ゆか)じゃないか。」
「あそこは私の寝床なんでございます」。下がっているような、
いないような。よく考えると不思議な下げである。
以前は、この旦那のようなことをすることを慣用句として「寝床」と
いったものである。

さて。もう一席、円生師で挙げると「盃(さかづき)の殿様」。
あまりメジャーな噺ではないが、これは確か志らく師も円生師と
いえばコレ、といっていた記憶がある。

吉原の花魁と馴染みになった殿様が、国表にいるときに、大きな
盃を足の速い家来に担がせて運ばせ、江戸吉原の花魁と盃のやり取り
をする、という馬鹿馬鹿しいもの。
こんな筋なのでもっと短くできる噺であると思うが、40分もかけて
演っている。このクライマックスが滅法おかしい。抱腹絶倒。
この盃を担いだ家来は走り始める前に「エッサッサー」というのだが
なんとも円生師のこれがおかしい。
頭のいい人なので、もっともらしい顔をして、ともすると上から
目線的な聞かれ方もできるのだが、その人のこのとぼけた味わいが
おかしいものである。このあたり、円生師の真骨頂なのでは
なかろうか。

もう一つ。これ、噺ではない。円生師のお茶の飲み方。
やはり志らく師も好きだといっていたし、奇しくも小谷野先生も
「21世紀の落語入門」

で円生師のお茶の飲み方は書かれていた。志ん生師も文楽師もお茶を
飲んでいる音が入っている録音は聞いたことがないと思うのだが、
円生師は実によく飲んでいる音が入っている。

噺の中の登場人物が飲んでいるようにも聞こえるような、絶妙の
タイミングで噺の中で飲んでいるのである。これが味がある。

志らく師は、談志家元にこれをいったら、そうかい?!俺はそんなこと
思ったことはないけど、といっていたという。
(談志師自身はお茶は飲むが、台詞の途中ではなく切れ目で飲んでいたが。)

もしかすると、我々世代はリアルの円生師ではなく、音だけで聞いて
いるのでこんなことに反応してしまうのかもしれぬが。
ともかく、気にして聞いてみていただきたい、よいお茶の飲み方
である。

さて、円生師といえば、私はなんといっても長編である。
寄席や落語会で長編を聞く機会はかなり少ない。
そういう意味で、CDの威力発揮である。
もっと皆さん聞くべきである。
長いので、なかなか寝付けなくて困っている時には是非。

文楽師は長編も演ったことは演ったが少ない。志ん生師も長編は
あるが、出来不出来が激しい。
やはり、三遊のトップ、ほぼスキなく1時間の噺でも演る。
忙しい現代人は聞きずらいかもしれぬが聞いてほしい。

私は、やはり円朝もの、怪談、因果もの、悪党ものといってよいか、は
暗いので聞かない。だが、長編にも意外に明るいハッピーエンドもある
のである。

まず定番だと思うが「御神酒徳利(おみきどっくり)」。
時代設定は江戸時代。上方種というが舞台は江戸がスタート。
小さん(5代目)師の形も音があり、柳派のものは多少系譜が違う
ようである。
そちらではなく円生師のもの。

日本橋馬喰町の老舗の宿や[刈豆屋(かりまめや)]。
「暮れの十三日。仙洞御所(せんとうごしょ)をはじめとして煤取
(すすと)りというものをいたします」と円生師は説明をする。
セントウゴショという音だけなのでもしやすると別のことかもしれぬが
まあ、仙洞御所で合っていよう。(まさか「銭湯、御所」?。)

“仙洞御所”というのは長いこと上皇がいないので、日本史用語で
あった。今回天皇の代替わりがあってニュースにも出てきたので、
耳にされたかもしれぬ。上皇の住まいを仙洞御所というのである。
煤取り、煤払いは、いわゆる暮れの大掃除であるが、師走の十三日に
するものであった。今も歴史のあるお寺などでしているのがニュース
になる。
上から下まで、煤払い、大掃除をするので“仙洞御所”という言葉
が出てきたのか。

[刈豆屋]は江戸の町ができた頃、三河の国から家康についてきた。
願い出て、宿やを始め、代々江戸の旅籠やの総取締を務める大家(たいけ)。
将軍家から拝領をした銀の一対の御神酒徳利が家宝であった。
この煤取りの日、毎年その御神酒徳利を出し、神棚に供え祝う。

 

 

つづく

 

 

断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5
|
2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |

2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15

2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |

2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月

2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月

2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月 |

2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月

2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月

2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月 |

2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 | 2009 12月 |

2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 | 2010 6月 | 2010 7月 |

2010 8月 | 2010 9月 | 2010 10月 | 2010 11月 | 2011 12月 | 2011 1月 | 2011 2月 |

2011 3月 | 2011 4月 | 2011 5月 | 2011 6月 | 2011 7月 | 2011 8月 | 2011 9月 |

2011 10月 | 2011 11月 | 2011 12月 | 2012 1月 | 2012 2月 | 2012 3月 | 2012 4月 |

2012 5月 | 2012 6月 | 2012 7月 | 2012 8月 | 2012 9月 | 2012 10月 | 2012 11月 |

2012 12月 | 2013 1月 | 2013 2月 | 2013 3月 | 2013 4月 | 2013 5月 | 2013 6月 |

2013 7月 | 2013 8月 | 2013 9月 | 2013 10月 | 2013 11月 | 2013 12月 | 2014 1月

2014 2月 | 2014 3月| 2014 4月| 2014 5月| 2014 6月| 2014 7月 | 2014 8月 | 2014 9月 |

2014 10月 | 2014 11月 | 2014 12月 | 2015 1月 |2015 2月 | 2015 3月 | 2015 4月 |

2015 5月 | 2015 6月 | 2015 7月 | 2015 8月 | 2015 9月 | 2015 10月 | 2015 11月 |

2015 12月 | 2016 1月 | 2016 2月 | 2016 3月 | 2016 4月 | 2016 5月 | 2016 6月 |

2016 7月 | 2016 8月 | 2016 9月 | 2016 10月 | 2016 11月 | 2016 12月 | 2017 1月 |

2017 2月 | 2017 3月 | 2017 4月 | 2017 5月 | 2017 6月 | 2017 7月 | 2017 8月 | 2017 9月 |

2017 10月 | 2017 11月 | 2017 12月 | 2018 1月|2018 2月| 2018 3月|2018 4月 |

2018 5月 | 2018 6月| 2018 7月| 2018 8月| 2018 9月| 2018 10月| 2018 11月| 2018 12月|

2019 1月| 2019 2月| 2019 3月 | 2019 4月| 2019 5月

BACK | NEXT

(C)DANCHOUTEI 2019