断腸亭料理日記2025

断腸亭イタリアへ行く その27 ミラノ10

4756号

引き続き、ミラノ。

 

 

スフォルツェスコ城。

地図も。

中庭というのか、城壁の中をパノラマで撮ってみた。

この城はヨーロッパでも有数の規模らしい。
これだけちゃんとした欧州の城を見るのは初めてかもしれない。

最初は「14世紀の要塞の跡地に、15世紀にミラノ公フランチェスコ・
スフォルツァによって建てられ」た。

先に書いたように中世はミラノ公国としてミラノが独立を保った
数少ない時期で、スフォルツァ家はミラノを統治したミラノ公爵家。
フランチェスコ(1世)は第4代ミラノ公。「1450年、フランチェスコ・
スフォルツァは共和主義者を打ち破ると、城を改築して自らの公邸に
し始めた」(ウィキ英語版、以下同様)という。
つまり、ミラノ公の城塞兼住まいであったよう。
かのレオナル・ド・ダヴィンチもフレスコ画を描いていたり、
設計にも携わっていたと。

その後、先に書いたようにミラノは様々な勢力の統治下になるが、
ここは多く、それぞれの勢力の城塞として使われたよう。
それでなん度も戦いの場となり、都度、破壊と修復を経てきた
とのこと。

この城塞は、元来も今も、北西に向かって縦長の長方形なのだが、
説明のパネルにも出ていたが、16世紀、スペインの統治時代、
「12の稜堡を追加した後、六角形(元々は五角形)の星型要塞
として、城を要塞様式に改造する工事が開始された。」
という。
この長方形の外側に張り出した部分を作っていたわけである。
直線ではなく尖がりが多数あると、外部に接している面積が
増えるので、その分大砲などを置いて攻撃できるスペースが増える。
日本の箱館の五稜郭をちょっと彷彿とさせるが、この当時欧州で
よく作られていたもの。

そんな時代を経て、19世紀のイタリア統一後はミラノ市に移管された。
その後、ミラノ市の手によって修復と周辺の整備が行われ、1905年、
今見えている、なくなっていた正面中央の尖塔が16世紀の図面通りに
再建されたという。

北側の外は、広大な公園。

城塞時代は兵の訓練をする練兵場であったよう。
この日は、移動遊園地が出ていた。
日曜日でもあり、家族連れでなかなかの賑わい。
フィレンッツェにも広場に家族経営のメリーゴーラウンドが
あったが、話しに聞いていた、欧州の移動遊園地は今でもちゃんと
機能しているよう。

北西の角。

ちなみに、今のスフォルツェスコ城の大きさは、石垣の外側を
測ると、4.4ヘクタール、東京ドームとほぼ同じくらいか。

さて、上の地図をもう一度見ていただこう。
フィレンツェ、パレルモもそうであったが、ミラノも古い街なので、
古くは街を取り囲んで、壁、市壁があった。
このスフォルツェスコ城は、北西の市壁の外に張り出す形で位置していた
という。ここからちょうど、環状の通りがミラノの街を取り囲んで
いるのでこれがそうであったように見える。

城塞から近くの地下鉄M1線の次の駅、カルドナ/Cadornaまできた。
ここは地下鉄だけでなく、ミラノ近郊を走る鉄道の始発駅もある。
またまた、ちなみに、Cardonaはこの広場の名前で、これは、
イタリア王国の著名な軍人ルイージ・カドルナ/Luigi Cadorna
から取っているよう。通りや広場の名前は、フィレンツェは多く
カトリックの聖人であったが、ミラノはほぼ皆、偉人の名前を
取っている。この違いは、なんであろうか。

また、我が国と比べるとこれまたおもしろい。
我が国は、実在の人の名前を通りの名前などに付けることは
あまりない。明治通り、昭和通り(作った時代)、環状八号
(ナンバー)、青梅街道(行先)、清洲橋通り(橋の名前〜
清洲橋は両側の町、深川清澄町と日本橋中州のそれぞれ一文字を
取ったよう。)浅草通り、大久保通り(地名)。ちょっと人名に
近いのを捜すと、台東区拙亭近所の左衛門橋通り。これは橋の名前
だが、さらにその由来は、江戸期、付近にあった庄内藩酒井左衛門尉
(じょう)屋敷。東京は付近の武家屋敷由来の名前は特に坂に多いが、
ある一定数存在する。ただやはりこれも、人名というよりはその
場所を示す地名に近いのでなかろうか。
どちらかといえば、別の意味のあるものを持ってくることはなく、
関連する、あるいはその道などの属性そのものを意味する言葉を
使っている。日本人は偉人であっても、限定した特定の意味を
持たせることをきらうかもしれない。偉人であっても賛否は分かれる。
逆にイタリアはナポレオンのように賛否は分かれても、偉人の名前を
付ける。おもしろい。

閑話休題。

昼飯。
カドルナ駅前にサンドイッチやがあったので入ってみた。
[La Focacceria/ラ・フォカッチェリア]。後でわかったが、ここは
ミラノ中央駅などにもあるチェーンであった。


これと、アメリカーノ。(やっぱり、ただ薄い。)

どちらもホカッチャなのだが、丸いのは、丸くしたホカッチャで
サンドイッチ。中身は日本のロースハムのようの感じ。
ひょっとすると、昨日のモルダレッダ、ボローニャソーセージ
かもしれぬ。やっぱり、これ、といって指差して買っているので
中身は分からない状態である。
もう一つは、四角く切ったオープンサンドでチーズにズッキーニ、
ドライトマト。

この店は、ミラノが本部のようだが、ジャノバを謳っている。
どうもフォカッチャはジャノバ発祥のよう。これも知らなかった。
ジャノバは行ったことはないが、ちょうどミラノから真南の海沿いの
大都会。(昔、地理で習ったが、ご存知の通り、トリノ、ミラノ、
ジャノバの三都市はちょうどこのあたり、等距離にありイタリアの
三大工業都市である。)

ここ、ファストフード店ではあるが、確実にちゃんとうまい。
やはり、ハムだったり、チーズだったり、イタリアはそれぞれの
素材がうまい、のである。
ここで食べて、出る。

目の前に、ミニスーパーの[カルフールエクスプレス]があったので
入ってみた。部屋のあるマンゾーニ通り付近はあまりにもお洒落で
高級な地域なので、まったくこういう店がないのである。
前にも書いたが、お惣菜やサンドイッチもあって、ほぼ日本のコンビニ。
なかなか便利。

水、ビール、それから、つまみのハム類、カップ麺のようなもの、
それに、なんと、おにぎりまであったので、買ってみた。

地下鉄に乗って、モンテナポレオーネ駅。
部屋に戻る。

 

つづく

 

 

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