断腸亭料理日記2025
4738号
2月17日(月)
引き続き、フィレンツェ。
ホテルの朝食。
昨日同様、ミニハンバーグとペッコリーノチーズ。
サラミ。
このサラミ、見てお分かりになるだろうか。
ちょっと生っぽい。生ハムといってもよいのでは
なかろうか。これが、実にうまい、のである。
こういうものは、日本ではまず、ない。
なぜであろうか。
さて、今日の予定は、とりあえず、ドォーモに行こう。
ドォーモはduomo、で英語のドーム(dome)であろう。
ただ、ラテン語のdomus(ドムス)が語源で、
「神の住む家」だそう。
と、いうと、形ではなく、機能。東京ドームなどの使い方は
本来はナンセンスかもしれぬ。
イタリアでは、その街で一番大きな教会を指す場合が多いよう。
それで国中にあるが、街で一つが原則のよう。
フィレンツェのドゥオーモは、前に書いた、サンタマリア・
マリア・デル・フィオーレ。Cattedrale di Santa Maria
del Fiore。聖マリア大聖堂。
入るのは無料だが、長い列なので朝イチで並ぶことにした。
10時オープンのようなので、9時頃から。
書いているようにフィレンツェは昼間は暖かくなるのだが、
朝晩は随分と寒い。
ホテルから歩いて5分ほど、15m程度の列に並ぶ。
私達のような外国人観光客もいるが、イタリア人の方が
やはり多い。フィレンツェ自体がそんな感じで、イタリア
国内からの観光客が多数に感じた。
巨大なので、全体像は撮れない。正面の扉。
デザインがお分かりになると思うが、白基調、やはり上品で
お洒落であろう。
この聖堂の反対側にある、これ。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂(Battistero di San Giovanni)。
八角形の珍しい建築。
サン・ジョバンニは日本の教会では聖ヨハネといっている。
各国語で音が変わるので、混乱するが、英語ではジョン(John)。
ラテン語、ドイツ語がヨハネス(Johannes)、フランス語はジャン
(Jean)。日本はラテン語由来になるのか。
聖ヨハネは、キリストの弟子の1人でイエズスキリストに
洗礼を授けた人なので、洗礼者と呼ばれる。
ここもかなり有名なので中を見ることもできるのだが、
私達は、まあ、中は見なくてよいか、ということにした。
ここはミケランジェロがよく引き合いに出されるが、
作品がある、といわけではないようで、どうも彼が絶賛したから、
ということのよう。じゃ、まあいいか、である。
扉、内部の装飾などやはり素晴らしいようだが、フィレンツェで
有名なものを見るだけでも、キリがない。
昨日は、どれだけアップアップしたことか。
どうしてもとあれば、また来ればよいじゃないか。
で、ちょっとだけ、サン・ジョバンニ洗礼堂の説明を
書いておこう。カトリック教徒の私も聞きいたことがない。
洗礼堂というのはそもそもなんであろうか。
どうも、中世より前のものらしい。
この洗礼堂も起源は4〜5世紀という。古いカトリックでは
聖堂に入る前に、毎回(?)洗礼式を行っていた、と。
その後ここは、なん度も改築をしているとのことだが、やはり、
建築様式はルネサンスでもゴシックでもなく、それ以前の
ロマネスク様式らしい。
ともあれ。
1時間ちょい、待った。身体が冷え切ってしまった。
入る。
意外に、シンプル?。
ここにもあるが、ステンドグラス、多数の絵(聖画)だったり
彫刻、浮き彫りなどなどで、もっともっと装飾されている聖堂も
多いが、むしろシブイ、か。
祭壇とは反対側。
文字盤が妙なのだが、これ、24時間の時計らしい。
これもルネサンス期のもの。
どこの教会でもそうだが、ドームの下が祭壇である。
両脇にパイプオルガンのパイプが見える。どんな音なのか。
ただ、祭壇方向の写真はここまで。
なんとなく、私、信者だからか、背後に十字架のある祭壇の
写真を撮るのが憚られるので、祭壇まで行ってもどこの教会でも
ほとんど撮っていない。撮影禁止のところはほとんどないのだが。
やはり、祈る方向の写真は撮れないではないか。
で、ここの祭壇方向のアップの写真も撮っていない。
ドームの裏にあたるが祭壇上の天井、天蓋は撮っていた。
フレスコ画。このモチーフ、なんだかおわかりになろうか。
アップにしてみた。
そう、最後の審判。
ミケランジェロ作バチカン、システィーナ礼拝堂の天井と同じ。
ここのものは、そのミケランジェロの弟子ともう一人の共作
とのこと。当然ルネサンス期のもの。
洗礼堂の説明を少し書いたので、こちらも書いておかねば
いけなかろう。
起工は13世紀終わり。サンタ・マリア・デル・フィオーレ
という名前もこの時についていたよう。
当時はまだメディチ家以前。で、ルネサンス初期というよう。
ヨーロッパの教会にありがちだが、建設はとても長くかかり、
まず、15世紀終わりにやっとドーム部分まで完成した。
最後まで残ったのが、正面、ファザード。
ここはメディチ家の大公もからんですったもんだした挙句
一度作りかけたが、やめたりし、結局、1864年(日本の明治20年
で、ある。)にコンペが行われ、今のものに決まり、1887年に
完成したとのことである。
これだけ新しいので、白地に薄いピンクと緑というデザインが
モダンに見えるのか。様式は、フィレンツェらしいルネサンス
ではなく、当時流行のネオゴシックとのこと。
ちなみに、書いたように内部は別で初期ルネサンス。
そう。もう一つ、よくここのTVの取材などで出てくるが、
ここのドームの上には登ることができる。有料である。
まあ、私自身は高いところは興味はないので、
行かなかったが。
つづく
Corte Calzaiuoli Elegant Suites
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