断腸亭料理日記2004

蛤(はまぐり)飯

2月13日(日)夕食

蛤(はまぐり)飯である。

しかし、またまたやってしまった。

仕上げに、「もみ海苔をたっぷりと」ふらなくてはならなかったのを、
忘れてしまった。

以前に、鴨飯を作った時にも、仕上げに、芹をきざんだものを
ふりかけなければならない、のを、忘れている。

食べ終わって、この日記を書くために、原典を読み直すのであるが、
決まって、この時に、気が付く。

鴨飯にしても、蛤飯にしても、メインがあって後の、
仕上げの飯である。このため、酒も既に入っている。

このため、いい加減、というのではないが、
きちんと作り終わるだけで、精一杯。薬味にまで気が回らず、
食べて満足してしまう。

また、薬味というもの、例えば、そばを食うのに、

ねぎ、がない、天ぷらを食うのに、大根おろしがない、というのでは
気が付かない者はいまい。

しかし、鴨飯にしても、蛤飯にしても、そうそう、
馴染んだメニューではない。
筆者など、初めて作り、食べるものである。
「ん?、何か足らない・・・?」などと、気が付かないのである。

また、池波先生お得意の、「たっぷりと」、という表現。
これがポイント。

これが、うまそうなのである。

つまり、たっぷりと、ふりたくなるほど、うまい、と、いうのである。
これを忘れてしまった、と、いうのは、まったく、痛恨の極み。
画竜点睛を欠き、千丈の堤も蟻の一穴から崩壊す、の譬え、である。

「せっかくの、蛤飯が・・・。」

そんなに、後悔しなくともよいか・・・。

ともあれ、これは、「剣客商売」である。
今日、午前中、加藤剛・中村又五郎版「辻斬り」を
スカパー「時代劇専門チャンネル」で見ていると、食べていた。

調べてみると、原作の「辻斬り」のこの場面には「蛤飯」は出てこない。
しかし、「剣客」には、なんと、「蛤飯」だけでも三回も出てくる。

池波先生、そうとうに、蛤好きである。

そのうちの一つは、桑名で佃煮(しぐれ煮であろうか)を
飯にまぶしたもの。
(桑名といえば「貝新」のもの。今度買って置こう。)

他の二つは、どちらも同じ、つゆや、湯豆腐とセット。
蛤のつゆで、飯を炊き、炊き上がってから、軽く味を付けた
蛤を混ぜ込む。

蛤の湯豆腐はこの前(1/13)書いた。

午前中から、夕飯はこれ、と、決め、吉池で蛤を「たっぷりと」仕入れた。
ちゃんと、昼から塩水に入れ、砂も吐かせた。

あらかじめ、蛤飯用には、湯豆腐とは別に、つゆを作り、
米を浸し、軽く、しょうゆと、酒。
貝は、殻からはずし、しょうゆと、酒で軽く煮、煮汁につけておく。

さて、夜になり、炊飯器をセットし、炭も熾し、鉄瓶に湯も沸かし、
燗も付け、呑みながら土鍋で、蛤の湯豆腐もやった。

これは、これで、やはり、うまかった。

湯豆腐が終わり、飯が炊き上がり、蒸らし、
お茶を入れ、漬けてあった、貝を飯に混ぜ込み、
ハフハフ、いいながら、うまい、うまい、と、食べてしまった。


そして、今、「もみ海苔、たっぷり」に気が付いてしまったのであった。

残念。

原典

・・・実は小兵衛、あれからまた、腹具合を悪くしてしまった。

せっかく癒(なお)りかかっていたものを、又六がみやげに持って来た

蛤(はまぐり)を、その日の夕餉(ゆうげ)に、吸物や蛤飯にして

たらふく食(や)ったのがいけなかったのか・・・・・・。

池波正太郎著 剣客商売「天魔」 鰻坊主から 新潮文庫

(ここには、「たっぷり」の形容詞はない。
「包丁ごよみ」の方に記載されている。編集者の創作かも知れない。
もう一ヶ所は、「辻斬り」妖怪・小雨坊に登場。)

参考

池波正太郎著 剣客商売「包丁ごよみ」 新潮文庫



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